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熊本県宇土市 夕日に映える御輿来海岸の干潟2014-03-07

「日本の渚百選」に選ばれた御輿来海岸は,夕日に輝く砂紋の景色が神秘的で,干潮と日の入りが重なる日はたくさんのカメラマンが訪れます。
干潮時,三日月型の独特の砂紋が現われます。
本日(2014-03-06)の干潮時刻は18:17、日の入時刻は18:19。
”1時間前がお勧め!”と案内パンフにあったので16:30~17:00着を目指して目的地へ向かいました。

海岸すぐそばの駐車場に車を停めて、徒歩で”島山展望所”に向かいました。
あちこちに親切な案内標識があります。

干潟景勝の地”島山展望所”

16:30です。たくさんのカメラマンの方がスタンバイされてます。

こんな看板も! (傾斜地の雑草、雑木をカットし整備されています。)

16:33。 陽が落ちる前の写真。

17:16。 干潮を待つのも、かなり寒いです。(手袋が欲しい!)

18:00。 夕日が落ちて、干潮間近。
雲が広く覆っていて夕日はイマイチですが、雲の切れ間から差す夕日がきれいです。
夕日の方向は、普賢岳です。



夕日の下に厚い雲が・・・・・
太陽が隠れたので帰ります。

日本一干満の差が激しい有明海の自然がなせる景色はダイナミックで昼間も素晴らしいものですが,この時期ならではの夕日に輝く御輿来海岸は魅了されます。 次回は、もっと天気がいい日に来れますように!



折角の宇土訪問。昼間に、市内の船場町、宇土城跡、轟水源を訪ねました。後程アップします。

熊本県宇土市 船場町、船場橋界隈を散歩2014-03-07

3月に入り、気候もよくなったので宇土市網田地区の御輿来海岸の干潟を見ようとお出かけです。
干潟は夕陽とセットなので、ちょっと寄り道。


船場橋近くの川岸には川に下りるための石段や船着場跡があります。
川のほとりは江戸時代に宇土細川藩蔵屋敷があったところで,武家屋敷や井戸なども残されています。
時代の流れとともに大きく姿を変えた市街地の中にあって, この界隈は江戸時代の名残をとどめるスポットとして市民に親しまれています。
また,船場橋は江戸時代末期に造られた江戸川の支流,船場川に架かる石造の単一アーチ橋で石材には馬門石を使用しています。
当時の肥後の石工たちの優れた技巧が今なお残っています。
(-宇土市観光情報サイト-より)


宇土市街入口の信号から南へ。500~600mで本町商店街に「船場橋界隈」の立看板があります。 橋の手前に5~6台の駐車場あり。

船場橋。

市指定文化財の石碑

橋の茶色っぽい赤い石が馬門石らしいです。

こんな水路にも馬門石が使われています。

人・自転車は通行されています。

船着場と石畳の案内板

馬門石で造られた井戸。船場橋、轟泉水道井戸の案内板。

たぶん宇土細川藩蔵屋敷に資料館が建っているようです。
残念ながら休館でした。

川沿いの個人のお宅ですが、風情ある立派な屋敷でした。

笹で作られた生け垣。

駐車場の車止の後ろに石仏らしきものが並んでましたが、馬門石らしいです。


これから、宇土城跡へ向かいます。

熊本県宇土市 宇土城跡・キリシタン大名 小西行長の居城を散策2014-03-09

宇土市街から宇土城跡・城山公園に向かいました。
地図を見ると、宇土城跡・城山公園と宇土城跡(西岡台)がちょっと離れてあります。
不思議に感じながら訪れました。


道路の看板にしたがって、狭い道をお墓沿いをすこし上がると駐車場がありました。
案内板あり。 「近世宇土城跡」との案内。 ・・・?

市指定文化財の石碑

本丸跡らしい。

宇土市には、同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城と
小西行長によって宇土古城の東に位置する丘に築かれた平山城とあったのですね。
やっとわかりました。


宇土城とその城下の想像図

小西行長の銅像

見渡しましたが、遺構らしきものは この石垣しか見つけられませんでした。

続いて、中世期の宇土城である、宇土古城へ向かいました。

交差点の案内板

国指定文化財 宇土城跡

国指定史跡 宇土城の案内板
平安時代からの年表があります。

丘の上が「千畳敷」

虎口、千畳敷

19号建物と柵列跡の説明

轟水源に向かうと、宇土古城のすぐ裏に 西岡神社がありました。

熊本県宇土市 - 肥後三名泉のひとつ、轟水源へ2014-03-09

宇土古城から西岡神社に立ち寄り、轟水源へ向かいました。1kmちょっとです。

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轟水源と轟泉水道(ごうせんすいどう)
江戸時代,宇土の城下の飲み水は水質が非常に悪く,街の人々は毎日の飲み水に大変困っていました。

当時の藩主だった細川行孝公は,街の南西部にある轟水源から松橋焼の土管を使った水道を造って,藩士の家々まで飲料水を引く計画を立てました。長さ43センチの丸い土管を総延長4.8キロメートルもつなぐ大工事で,寛文3年(1663)に完成しました。

しかし,その後100年ほど経つと傷みが激しくなり,5代藩主興文公のとき,土管を網津産の馬門石(まかどいし,阿蘇溶結凝灰岩)製の石の樋管に取り換える大改修を行いました。この管は「コの字型」にくり抜いた石に板状の石を被せ,その繋ぎ目を「ガンゼキ」という接着剤で接合したものです。大改修であったため財政的な負担も大きかったようですが,石の樋管は壊れにくく,また組み合わせ式の管を採用したことにより維持管理が非常に楽になったといいます。

武家屋敷には1戸毎に水を蓄えるための井戸が設けられ,町内には共同の井戸がつくられ,宇土の人々の生活を潤しました。
この轟泉水道は,今なお使われている上水道では日本最古といわれ,今でも100戸程の人々が生活用水として利用しています。また,この水道の水源となっている轟水源は,このような歴史的価値も認められて“日本の名水百選”にも選定されています。
(宇土市 観光情報サイト より)
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案内板




水汲み所の上段、水が湧いています。



付近は、景観を大切にされているみたいで、生垣や庭がきれいに手入れされています。
笹の生垣は、船場町でも見かけました。定府町の笹垣が観光パンフに載ってました。

海っぴ凧あげ大会 in マリナタウン海浜公園2014-03-09

市政だよりを見ていたら、凧あげ大会の案内を発見。
ちょっと覗いてみようと車を走らせました。

「マリナタウン海浜公園」とは何処?
能古渡船場の先、福岡女子高校の裏でした。
愛宕浜西駐車場に停めました。2時間、200円。

会場に12:00ちょっと前に着きましたが、あいにく天気は曇り。
車で会場に向かう間、小雨も降るような天気です。

浜辺にはたくさんの親子、大家族、グループでの参加者がゼッケンをつけて
様々な凧を懸命に揚げていました。


この時期に凧揚げ大会があってるのを知りませんでした。
第8回らしいです。

天気がよければ、グッドロケーションなんですが、このありさまです。

親子でがんばってました。

目線でわかるよう、かなり高くまで揚ってましたよ。


フグの連凧。すごい数の連凧でした。

食事中ですかね?