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琵琶湖疏水を歩きました③ 第3トンネル西口・蹴上インクライン ~ 南禅寺水路閣2019-03-29



琵琶湖疏水を歩きました③ 第3トンネル西口・蹴上インクライン ~ 南禅寺水路閣

「第3トンネル東口」で疎水沿いを歩くウォーキングコースは、実質的に終わりです。
「蹴上インクライン」までは大きく迂回、三条通(府道143号線)沿いを歩くことになります。
ここでドロップアウト、府道143号の日ノ岡交差点から京都市営地下鉄(東西線)の「御陵駅(みささぎえき)」まで向かい、蹴上まで地下鉄利用をしました。

地下鉄東西線蹴上駅 1番出口 ・・インクライン方面。 2番出口 ・・蹴上浄水場方面 です。
出口を間違うと、蹴上の信号から浄水場入口の南の信号までの500m横断歩道がありません。

いったん南へ、東山ドライブウェイ、将軍塚分岐の信号あたりからスタートしました。


京都市蹴上浄水場のレンガ造の建物







三条通(府道143号線)沿いの、日向(ひむかい)大神宮の「一の鳥居」からのぼります。
(三条通沿いちょっと南より、斜めに上る坂があり、旧九条山浄水場を通ってインクラインへ向かうことができます。)

琵琶湖疎水に架かる大神宮橋 


第1疏水第3トンネル西口 
右手に 旧九条山浄水場のポンプ室が見えます。 びわ湖疏水船の上下船場になっています。
柵があるので近づくことはできません、疏水船の乗客のみ中に入れます。
御所水道ポンプ室の写真は柵と塀で囲まれてこれくらいしか見えません。

第1疏水第3トンネル西口

旧九条山浄水場ポンプ室(明治45年(1912)竣工) 、 西側の柵越しに撮影。
御所水道は大日山に設けた貯水池から京都御所まで、約4キロに専用鉄管を引いたもので、琵琶湖疏水のポンプ室から池に疏水の水をくみ上げて給水したそうです。
貯水池の満水時の水面と御所付近の標高差は約60メートルで、水圧により御所内の約70の消火栓から自動的に放水される仕組みだったそうです。


琵琶湖第2疏水合流点




蹴上インクライン

京都〜大津の舟の輸送を目的として作られた「インクライン」。台車と木造船。





「本願寺水道」は、東本願寺が火災になったときに、消火活動に使うための防火用水の水源として、蹴上からわざわざ引っ張られたものです。現在は老朽化していて、残念ながら水は止められているそうです。総延長で4.6㎞だそうです。









第2疏水の合流洗堰
冬季の第一疏水メンテナンス期間中、激しい水勢で流れ落ちる様子が見られるそうです。


蹴上発電所への放水のための導水管。




公園裏手の小道から、琵琶湖疏水の分流に沿って南禅寺水路閣に向かいます。


蹴上疏水公園 田辺朔郎博士の像
蹴上疏水公園には、疏水工事の総括責任者・田辺朔郎博士の像が立っています。




インクラインを往来した台車と三十石船



「まんぽ」とはトンネルのことらしいです。鉄道の下をくぐるトンネルを指すそうです。

強度を高めるために、レンガがらせん状に積まれ、ねじれている様子から「ねじりまんぽ」と呼ばれます。








南禅寺 山門

南禅寺 法堂




南禅寺水路閣    アーチ型の橋脚が特徴的な風格のある姿です。
明治21年に作られました。

第5トンネル~疏水分線へ



琵琶湖疏水記念館

ゴール!!南禅寺舟溜り


パンフレット 琵琶湖疏水 - 京都市上下水道局水道部疏水事務所発行のpdf
https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000108/108414/pamphletbiwakososui[1].pdf



琵琶湖疏水を歩きました② 藤尾・第1トンネル西口~第3トンネル東口(日ノ岡)2019-03-29

      琵琶湖疏水を歩きました② 藤尾・第1トンネル西口~第3トンネル東口(日ノ岡)
琵琶湖の水を京都へ引くために明治時代に建設された「琵琶湖疏水」を散策です。
疏水沿いには、約2,000本の桜が植えられているので、桜並木を期待しましたがちょっと早かったようです。

コース唯一のコンビニ「ローソン藤尾小金塚店」から進みます。
道標がある分岐で横断歩道を渡り、コース唯一のコンビニ「ローソン藤尾小金塚店」を下ります。




第一疏水第1トンネル西口
「山縣有朋」筆の「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」という文字が刻まれています。
「廓其有容」は、「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」という意味だそうです。
(「京都市水道局の案内板」より)

東山自然緑地(山科疏水)
藤尾・四ノ宮から日ノ岡(JR御陵駅近く)にかけて約4kmにわたって疏水沿いに整備された遊歩道で、市民の憩いの場として親しまれています。


緊急遮断ゲート
大地震による堤防決壊時に水流を自動停止する緊急遮断ゲートが平成11(1999)年に設置されました。



緊急遮断ゲートから少し進んだ所にかかっている藤尾橋(1号橋) 明治20年落成
疏水工事で最初にできた橋。赤レンガと石造りの土台は当時のまま今も現役です。


測水橋   (明治末期建設)
測水橋は水量や水質を測定するための横断橋である。現在は建物も無人であり、わずかにコンクリート製蓋が残っているだけらしい。


洛東用水取水口

「一燈園」前にかかる柳山橋(第2号橋)    明治22年落成







四ノ宮舟溜り
白線引きされた四ノ宮舟溜、舟溜高低差を明確にし、安全走行ができるようにするものらしい。
諸羽トンネル東口    ちょうど、びわ湖疏水船がきました。
「諸羽トンネル」は、昭和45年(1970年)に完成した新しいトンネルです。長さ520m
国鉄東海道線の複々線化と湖西線の新設工事によって、疏水流路を変更して一部がトンネル化されました。このため、四ノ宮船溜まり下流から諸羽船溜まりの一部までの区間が埋め立てられ、旧水路は「東山自然緑地」の遊歩道として整備されました




四ノ宮船溜まり下流から諸羽船溜まりの一部までの区間が埋め立てられ、旧水路は「東山自然緑地」の遊歩道として整備されました



第2疏水トンネル試作物  

  
疏水公園 (旧水路を埋めて出来た「東山自然緑地」の遊歩道)

JR(琵琶湖線・湖西線)、京阪電車(京津線)山科駅方面が見下ろせます。

疏水に戻ってきました

諸羽トンネル西口
昭和45年(1970年)に完成した諸羽トンネルには、東口・西口ともに扁額は付けられていません。

山科の諸羽(もろは)トンネルを抜けて見えてきたのは安朱(あんしゅ)橋。(第4号橋 )


「安朱橋」の次にかかる5号橋    (安朱西橋)


洛東高校の入口にかかる洛東橋   

安祥寺川



安祥寺橋
安祥寺橋の先で水路が少し広くなっている所は、安祥寺船溜りの跡です。

妙応寺橋(7号橋)
猪が山から降りきてこの橋を渡るとのことで、橋には柵が取り付けてあります。

天智天皇陵への分岐
分岐から「天智天皇陵」の山科陵(やましなのみささぎ)までは、徒歩8分と表示されています。


天智天皇陵に沿って進み明治中期の建造とされる8号橋


あちこちに切り株があり気になりました。昨年の台風で倒木がひどかったようです。

「天智天皇陵への分岐」から少し進むと、朱塗りの「正嫡橋」が見えてきます。
疏水北にある本圀寺を結ぶ本圀寺正嫡橋(昭和58年建造)
加藤清正のゆかりの寺である 「本圀寺(ほんこくじ)」
加藤清正の菩提寺であり、境内には清正が寄進した勝運・開運にあやかれる「開運門(現在の門は2代目)」や、廟所の「清正宮」などがあります。



大正13年(1924)建造との三角橋である大岩橋(第9号橋)



カタカナの表札です。


山ノ上橋(第10号橋)、
明治22年(1899)9月建造のこの橋は、封山橋といわれていたそうです。また、地名から黒岩橋とも、その形から太鼓橋とも称されたそうですが、この橋は日本最初のアーチ型鉄筋コンクリート橋とのこと。(?)      第11号橋が日本最古のはずですが??

倒木の写真でも疑問を感じました。
「倒木発生のため通行止め」の説明用の地図です。
左上に、「日本最古のコンクリート橋」とあります。最初は地図の間違いかと思いました。

「日本最初の鉄筋コンクリート橋(第11号橋)」は、当時の最新工法だった鉄筋コンクリートを試したもので、その経験をもとに本格的な鉄筋コンクリート橋である「黒岩橋」を建設したそうです。
いろいろ調べて納得がいきました。

第2トンネル東口
第2トンネルの長さは124mで、第1トンネル2,436m、諸羽トンネル540m、第3トンネル850mと比べると随分短いトンネルです。扁額には、内務大臣など明治政府の要職を歴任した「井上馨」筆の「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」という文字が刻まれています。「仁似山悦智為水歓歡」は、「仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする」という意味だそうです。(「京都市水道局の案内板」より)


トンネル右下のプレートです。






「第2トンネル東口」から「第2トンネル西口」へ向かうには、住宅街を抜けます。
細い路地を抜けると疏水に戻ります。


第2トンネル西口
レンガ造りの美しいデザインの「第2トンネル西口」洞門の扁額には、「西郷従道(さいごうじゅうどう)」筆の「隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる)」という文字が刻まれています。





対岸の施設は、京都市上下水道局の新山科浄水場日ノ岡取水池です。





第3トンネル東口        2042、2043、2044
「日本最初の鉄筋コンクリート橋」からは、「第3トンネル東口」が見えます。「第3トンネル東口」洞門の扁額には、内閣総理大臣を2度務めた「松方正義」筆の「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」という文字が刻まれています。「過雨看松色」は、「時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる」という意味だそうです。(京都市水道局ホームページより)




日本最初の鉄筋コンクリート橋
「第2トンネル西口」からすぐで「日本最初の鉄筋コンクリート橋(第11号橋)」です。
明治36年(1903年)に造られた橋長7.2m、幅員1.5mの小さな鉄筋コンクリート橋で、国の史跡に指定されています。橋のそばには「本邦最初鐵筋混凝土(コンクリート)橋」と刻まれた石碑が建っています。
鉄柵の中に橋が架かっています。 鉄柵が、近すぎ・大きすぎではないでしょうか??

100年以上前に作られたRC橋の路面。
この橋の鉄筋は専用の材料がなかったため、疏水工事で使ったトロッコのレールが代用されているそうです。

「第3トンネル東口」で疎水沿いを歩くウォーキングコースは終わりです。

府道143号の日ノ岡交差点から、京都市営地下鉄(東西線)の「御陵駅(みささぎえき)」へ
地下鉄で蹴上まで向かいました。






琵琶湖疏水を歩きました ① 琵琶湖(大津)~藤尾・第1トンネル西口2019-03-29

      琵琶湖疏水を歩きました ① 琵琶湖(大津)~藤尾・第1トンネル西口
琵琶湖の水を京都へ引くために明治時代に建設された「琵琶湖疏水」
かつては、物資を運ぶための船などで賑わい、京都の発展の礎を築いてきました。
時代の流れとともに明治26年(1951)に舟運は終了・・・ しかし、
なんと今年(2018年)の春から疏水を往来する船「琵琶湖疏水通船」が観光船として復活。

しかし、チケットが取れません。で、疏水沿いを歩くことにしました。
疏水沿いには、約2,000本の桜が植えられているので、桜並木を期待しましたがちょっと早かったようです。


京阪電車 三井寺駅(石山坂本線) 到着が am9:09。
いよいよ、琵琶湖疏水散策です。



国道161号の新三保ケ崎橋から琵琶湖側を望む。第1疏水取水口
突き出た水上の建物は、国土交通省が設置している三保ヶ崎水位観測所(量水計)です。



揚水機場(琵琶湖側)新三保ヶ崎橋から
揚水機場(疏水側)大津絵橋から
大津絵橋から東側へ向かうと入口に、「琵琶湖第一疏水揚水機場」のプレートがあります
琵琶湖の水位が低下した際、ポンプを稼働させて疏水の流量を確保するためのものだそうです。




琵琶湖第一疏水揚水機場の前に、琵琶湖第2疏水取水口があります。

第2疏水は飲料水や水力発電を目的として造られました。第2疏水の取水口のある敷地には立ち入りができないため、国道161号(尾花川橋)から眺めるだけ
        琵琶湖第2疏水取水口の扁額   萬物資始(ばんぶつとりてはじむ)



三井寺へ向かう 一直線の琵琶湖疏水をフェンス沿いに歩きます。



旧北国街道に架かる北国橋の東側に、大津閘門前乗下船場があります。
乗船予約がないと入れません。

大津閘門 ・・・ 上流側、北国橋の上から望む。 右の柵を備えた水門は制水門らしい。
大津閘門 ・・・ 下流側 鹿関橋(かせきばし)より

「第1トンネル東口」までは「大津運河」と呼ばれ、コースは約600m
石造りの立派な「鹿関橋(かせきばし)」より

第1疏水第1トンネル東口
第一トンネルは全長約2.4キロメートル。琵琶湖疏水のトンネルの中でも1番長い距離です
「琵琶湖疏水第一トンネル」東口洞門の入り口には、初代内閣総理大臣・伊藤博文による「氣象萬千(きしょうばんせん)」の文字が刻まれています。
千変万化する氣象と風景の変化はすばらしいという意味だそうです。(「京都市水道局の案内板」より)


ここから疏水は、長等山をトンネルで抜けます。




三井寺南別所


1200年の歴史を持つ「長等神社(ながらじんじゃ)」、後の山が長等山と言いこの神社は長等神社です。



石造小関越道標

道標 「右小関越 三条五城いまくま 京道」 に従って右折。






小関峠のピーク付近に、「地蔵堂」があります。





小関越え分岐、左の細い道を下ります。
「地蔵堂」からすぐの所に分岐があります。琵琶湖疏水の案内板が設置されています。



琵琶湖疏水第一竪坑が見えてきました
琵琶湖疏水第一竪坑の案内板。
第1竪坑の深さは45m、地上部の直径は5.5m




「第1竪坑」から坂道を下っていくと、「普門寺」の横に出ます。

国道161号・西大津バイパスをくぐり抜けて、大津市藤尾奥町の住宅街を抜けていきます。


「寂光寺」の旧本堂には、藤尾磨崖仏(大津市指定文化財)があります。

道標がある分岐で横断歩道を渡り、コース唯一のコンビニ「ローソン藤尾小金塚店」を下ります。


第一疏水第1トンネル西口
「山縣有朋」筆の「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」という文字が刻まれています。
「廓其有容」は、「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」という意味だそうです。
(「京都市水道局の案内板」より)


パンフレット 琵琶湖疏水 - 京都市上下水道局水道部疏水事務所のpdf

筑後川 山田堰 -- 福岡県朝倉市山田161(水神社)2018-06-16

筑後川 山田堰


三連水車が明日から稼動ということで、動いてない稼動前の水車を撮りに行きました。
で、筑後川 山田堰をじっくり観てきました。




まずは、筑後川の概要から  (水土里ネット山田堰 より)
                                   
・流路延長                                               
143km(九州最大の河川)                                                       
・ 日本三大暴れ川の一つ                                       
坂東太郎・・・利根川324㎞                   
筑紫次郎・・・筑後川143㎞                                   
吉野三郎・・・吉野川194㎞                                                       
筑後川は熊本・大分・福岡・佐賀の四県にまたがる九州第一の河川で、東の板東太郎(利根川)、四国の四国三郎(吉野川)と並び、西の筑紫次郎の愛称で親しまれています。
筑後川は古くから、かんがい、舟運、発電などにより地域経済に寄与してきましたが、豪雨に見舞われると川はその様相を一変して暴れ狂い数々の災害をもたらしてきました。                                                                                       
・ 水源地                                               
熊本県阿蘇郡南小国町阿蘇山外輪山、瀬の本高原に源を発する。   
           
                          長者原ビジターセンター駐車場うらの「筑後川源流碑」

・ 筑後川の名称                                           
筑後川は時代によっては、千歳川・一夜川・筑間川(筑前の国と筑後の国の中間を流れていたことの由来)と呼ばれていましたが、1636年江戸幕府のとき筑後川に統一されました。                                                   
   
・筑後川四大井堰                                           
山田堰(1663年)有明海河口から約56km                           
袋野堰(1673年・1954年夜明けダムにより水没)                       
大石堰(1664年)                                           
恵利堰(床島堰)(1712年)       





筑後川 山田堰

































江戸の知恵 福岡・山田堰

山田堰は大小の石を水流に対して斜めに敷き詰めることで、筑後川の勢いを抑えつつ用水路に水を導く。日本で唯一の構造です。
1790年に完成、その後何度も補強工事が行われたが、全体の形や石はほぼ当時のままといわれています。
この山田堰の工法はペシャワール会によってアフガニスタン復興支援の灌漑用水モデルとして活用されています。
世界に誇る日本の技術は江戸時代からあったのです。

水土里ネット山田堰
http://yamadazeki.net/template_a-18-26







加藤清正公の治水も有名です。(天正17(1589)年には干拓に着手)
国内統治の要として白川の下井手堰、馬場楠井手、渡鹿堰(とろくぜき)をはじめ、菊池川の石塘による付け替え、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遙拝堰の四大河川の治水とかんがいを整備するとともに、有明海、不知火海の新地干拓を進めました。

馬場楠井手の鼻ぐり - 菊陽町:馬場楠井出の鼻ぐり公園     2014-10-28
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/28/7476166       
川尻の御蔵前船着場跡、御船手渡し跡 - 熊本市南区     2014-10-27
      http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474977       
熊本県玉名市横島町 - 旧玉名干拓施設、潮受堤防と末広開(旧)樋門群     2015-04-01
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/04/01/7602005
熊本県玉名市 - 高瀬船着場跡・俵ころがし - 菊池川の清正刎・石塘     2015-04-01
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/04/01/7601937


福岡県筑紫郡那珂川町山田 - 裂田の溝(さくたのうなで)- 古代の人口水路     2015-01-27
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/01/27/7556362


朝倉の三連水車は、次回。稼動した水車の画が撮れてから報告します。

姫井橋(ひめいばし)-- 熊本県菊池市旭志2018-04-15


姫井橋(ひめいばし)は菊池市旭志弁利(姫井地区)の県道329号にある
古いコンクリート製のアーチ橋です。

「わが国初のRC下路アーチ(メラン式)、本形式の橋梁としては国内で唯一大正期に完成」という事で、「平成18年度 土木学会選奨土木遺産」に 選定され、平成22年に国の登録有形文化財に登録されました。




架橋当時、馬車が渡ることができる橋が初めてできた、ということで「馬橋」の愛称で親しまれています。山から切り出された材木を長い状態のまま運搬することができるように、川に対して斜めに架けられています。