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琵琶湖疏水を歩きました ① 琵琶湖(大津)~藤尾・第1トンネル西口2019-03-29

      琵琶湖疏水を歩きました ① 琵琶湖(大津)~藤尾・第1トンネル西口
琵琶湖の水を京都へ引くために明治時代に建設された「琵琶湖疏水」
かつては、物資を運ぶための船などで賑わい、京都の発展の礎を築いてきました。
時代の流れとともに明治26年(1951)に舟運は終了・・・ しかし、
なんと今年(2018年)の春から疏水を往来する船「琵琶湖疏水通船」が観光船として復活。

しかし、チケットが取れません。で、疏水沿いを歩くことにしました。
疏水沿いには、約2,000本の桜が植えられているので、桜並木を期待しましたがちょっと早かったようです。


京阪電車 三井寺駅(石山坂本線) 到着が am9:09。
いよいよ、琵琶湖疏水散策です。



国道161号の新三保ケ崎橋から琵琶湖側を望む。第1疏水取水口
突き出た水上の建物は、国土交通省が設置している三保ヶ崎水位観測所(量水計)です。



揚水機場(琵琶湖側)新三保ヶ崎橋から
揚水機場(疏水側)大津絵橋から
大津絵橋から東側へ向かうと入口に、「琵琶湖第一疏水揚水機場」のプレートがあります
琵琶湖の水位が低下した際、ポンプを稼働させて疏水の流量を確保するためのものだそうです。




琵琶湖第一疏水揚水機場の前に、琵琶湖第2疏水取水口があります。

第2疏水は飲料水や水力発電を目的として造られました。第2疏水の取水口のある敷地には立ち入りができないため、国道161号(尾花川橋)から眺めるだけ
        琵琶湖第2疏水取水口の扁額   萬物資始(ばんぶつとりてはじむ)



三井寺へ向かう 一直線の琵琶湖疏水をフェンス沿いに歩きます。



旧北国街道に架かる北国橋の東側に、大津閘門前乗下船場があります。
乗船予約がないと入れません。

大津閘門 ・・・ 上流側、北国橋の上から望む。 右の柵を備えた水門は制水門らしい。
大津閘門 ・・・ 下流側 鹿関橋(かせきばし)より

「第1トンネル東口」までは「大津運河」と呼ばれ、コースは約600m
石造りの立派な「鹿関橋(かせきばし)」より

第1疏水第1トンネル東口
第一トンネルは全長約2.4キロメートル。琵琶湖疏水のトンネルの中でも1番長い距離です
「琵琶湖疏水第一トンネル」東口洞門の入り口には、初代内閣総理大臣・伊藤博文による「氣象萬千(きしょうばんせん)」の文字が刻まれています。
千変万化する氣象と風景の変化はすばらしいという意味だそうです。(「京都市水道局の案内板」より)


ここから疏水は、長等山をトンネルで抜けます。




三井寺南別所


1200年の歴史を持つ「長等神社(ながらじんじゃ)」、後の山が長等山と言いこの神社は長等神社です。



石造小関越道標

道標 「右小関越 三条五城いまくま 京道」 に従って右折。






小関峠のピーク付近に、「地蔵堂」があります。





小関越え分岐、左の細い道を下ります。
「地蔵堂」からすぐの所に分岐があります。琵琶湖疏水の案内板が設置されています。



琵琶湖疏水第一竪坑が見えてきました
琵琶湖疏水第一竪坑の案内板。
第1竪坑の深さは45m、地上部の直径は5.5m




「第1竪坑」から坂道を下っていくと、「普門寺」の横に出ます。

国道161号・西大津バイパスをくぐり抜けて、大津市藤尾奥町の住宅街を抜けていきます。


「寂光寺」の旧本堂には、藤尾磨崖仏(大津市指定文化財)があります。

道標がある分岐で横断歩道を渡り、コース唯一のコンビニ「ローソン藤尾小金塚店」を下ります。


第一疏水第1トンネル西口
「山縣有朋」筆の「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」という文字が刻まれています。
「廓其有容」は、「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」という意味だそうです。
(「京都市水道局の案内板」より)


パンフレット 琵琶湖疏水 - 京都市上下水道局水道部疏水事務所のpdf

朝倉の揚水車群「三連水車」、堀川用水 -- 福岡県朝倉市2018-06-19

朝倉の揚水車群「三連水車」、堀川用水

6月16日、三連水車が明日から稼動ということで、動いてない水車を撮りに行きました。
菱野の「三連水車」・三島の「二連水車」・久重の「二連水車」
日本最古の実働する水車として全国的にも有名です。
地元の職人によって水車は5年ごとに作り替えられ、その技術を継承されています。

朝倉の揚水車群は、例年6月17日から10月中旬まで水稲作付期間、稼働する様子を見ることができます。


菱野の「三連水車」

三島の「二連水車」

久重の「二連水車」


羽根板と柄杓に新しい竹栓を打ち込んで水車に固定されています。



                  菱野の「三連水車」

                  三島の「二連水車」

                  久重の「二連水車」







 朝倉の揚水車群は、6月17日に水神社で「山田堰通水式」が行われ、稼働を開始します。
神事が行われ、水神社境内地下にある水門が開門し、15分ほどかけて約2km離れた水車群が動き出します。


切貫水門 - 筑後川から堀川用水への取水口(新しくなった管理塔の下)


堀川用水




菱野の「三連水車」--取水口から流れ込んだ水で水車が力強く回っています。






三島の「二連水車」






久重の「二連水車」



昨年7月の九州北部豪雨で甚大な被害を受けましたが、水車が勢いよくまわります。

朝倉の揚水車群は、例年6月17日から10月中旬まで水稲作付期間、稼働する様子を見ることができます。
平成2年には「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。



耳納連山に雲がかかっています。







ふるさと人物誌3  堀川の恩人 「古賀 百工」(こが ひゃっこう) - 朝倉市HP



筑後川 山田堰 -- 福岡県朝倉市山田161(水神社)2018-06-16

筑後川 山田堰


三連水車が明日から稼動ということで、動いてない稼動前の水車を撮りに行きました。
で、筑後川 山田堰をじっくり観てきました。




まずは、筑後川の概要から  (水土里ネット山田堰 より)
                                   
・流路延長                                               
143km(九州最大の河川)                                                       
・ 日本三大暴れ川の一つ                                       
坂東太郎・・・利根川324㎞                   
筑紫次郎・・・筑後川143㎞                                   
吉野三郎・・・吉野川194㎞                                                       
筑後川は熊本・大分・福岡・佐賀の四県にまたがる九州第一の河川で、東の板東太郎(利根川)、四国の四国三郎(吉野川)と並び、西の筑紫次郎の愛称で親しまれています。
筑後川は古くから、かんがい、舟運、発電などにより地域経済に寄与してきましたが、豪雨に見舞われると川はその様相を一変して暴れ狂い数々の災害をもたらしてきました。                                                                                       
・ 水源地                                               
熊本県阿蘇郡南小国町阿蘇山外輪山、瀬の本高原に源を発する。   
           
                          長者原ビジターセンター駐車場うらの「筑後川源流碑」

・ 筑後川の名称                                           
筑後川は時代によっては、千歳川・一夜川・筑間川(筑前の国と筑後の国の中間を流れていたことの由来)と呼ばれていましたが、1636年江戸幕府のとき筑後川に統一されました。                                                   
   
・筑後川四大井堰                                           
山田堰(1663年)有明海河口から約56km                           
袋野堰(1673年・1954年夜明けダムにより水没)                       
大石堰(1664年)                                           
恵利堰(床島堰)(1712年)       





筑後川 山田堰

































江戸の知恵 福岡・山田堰

山田堰は大小の石を水流に対して斜めに敷き詰めることで、筑後川の勢いを抑えつつ用水路に水を導く。日本で唯一の構造です。
1790年に完成、その後何度も補強工事が行われたが、全体の形や石はほぼ当時のままといわれています。
この山田堰の工法はペシャワール会によってアフガニスタン復興支援の灌漑用水モデルとして活用されています。
世界に誇る日本の技術は江戸時代からあったのです。

水土里ネット山田堰
http://yamadazeki.net/template_a-18-26







加藤清正公の治水も有名です。(天正17(1589)年には干拓に着手)
国内統治の要として白川の下井手堰、馬場楠井手、渡鹿堰(とろくぜき)をはじめ、菊池川の石塘による付け替え、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遙拝堰の四大河川の治水とかんがいを整備するとともに、有明海、不知火海の新地干拓を進めました。

馬場楠井手の鼻ぐり - 菊陽町:馬場楠井出の鼻ぐり公園     2014-10-28
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/28/7476166       
川尻の御蔵前船着場跡、御船手渡し跡 - 熊本市南区     2014-10-27
      http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474977       
熊本県玉名市横島町 - 旧玉名干拓施設、潮受堤防と末広開(旧)樋門群     2015-04-01
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/04/01/7602005
熊本県玉名市 - 高瀬船着場跡・俵ころがし - 菊池川の清正刎・石塘     2015-04-01
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/04/01/7601937


福岡県筑紫郡那珂川町山田 - 裂田の溝(さくたのうなで)- 古代の人口水路     2015-01-27
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/01/27/7556362


朝倉の三連水車は、次回。稼動した水車の画が撮れてから報告します。

姫井橋(ひめいばし)-- 熊本県菊池市旭志2018-04-15


姫井橋(ひめいばし)は菊池市旭志弁利(姫井地区)の県道329号にある
古いコンクリート製のアーチ橋です。

「わが国初のRC下路アーチ(メラン式)、本形式の橋梁としては国内で唯一大正期に完成」という事で、「平成18年度 土木学会選奨土木遺産」に 選定され、平成22年に国の登録有形文化財に登録されました。




架橋当時、馬車が渡ることができる橋が初めてできた、ということで「馬橋」の愛称で親しまれています。山から切り出された材木を長い状態のまま運搬することができるように、川に対して斜めに架けられています。


世界遺産 国宝姫路城! - いろいろな角度から2017-11-07

いろいろな角度から撮られる姫路城! お好みのスポットは!

姫路駅より望む。

イーグレひめじ屋上より

イーグレひめじ屋上より 全景

三の丸より

松越の姫路城
(菊花展開催のテントがあり、かなり近くからしか撮れませんでした)

入城口付近より     
左より、 乾小天守、西小天守、大天守、折廻(おれまわり)渡櫓・ちの櫓(隅櫓)

三国堀越に見る姫路城
三国堀越に見る姫路城

いの門付近より

備前丸からの大天守
備前丸からの大天守

入城口付近より

景福寺公園より望む

男山配水池公園より望む
三つの小天守がきれいに見れます。
男山配水池公園より望む