旧・高麗橋 - 長崎市西山ダム・ダム下流河川公園内 ― 2017-10-07
移築復元された旧・高麗橋
高麗橋 (こうらいばし) - 長崎市西山ダム・ダム下流河川公園内
承応元年(1652年)、長崎市の中心部にある中島川に明国人によって架けられ、慶応2年(1866年)池島正助により再架された石橋。昭和57年7月の長崎大水害の被害は免れたが、河川改修工事に伴い、平成5年に中島川から西山ダム下に移築復元された。
長崎市指定有形文化財。 長崎県都市計画課HPより
承応元年(1652年)、長崎市の中心部にある中島川に明国人によって架けられ、慶応2年(1866年)池島正助により再架された石橋。昭和57年7月の長崎大水害の被害は免れたが、河川改修工事に伴い、平成5年に中島川から西山ダム下に移築復元された。
長崎市指定有形文化財。 長崎県都市計画課HPより
茂みに隠れた、親柱。
高麗橋 -- 「この橋は、もと、中島川に架けられていた石造アーチ橋である。承応元年(1652)明国人によって創架されたと伝え、慶応2年(1866)に拡幅改架された。昭和57年7月の大水害後の河川改修のため、昭和60年に解体し、平成5年3月、現在地に移築復元した。移築にあたっては、アーチ石等の主要部は旧材を用いたが、川幅が広がったため端部には石材を補足し、また失われていた高欄も復旧した。」 (案内板より)
※ 以前訪れた、現在の高麗橋を訪れたときのblog です。 ↓
西山ダム
「寒漿濟我人」と記された石門
明治37年に完成した旧西山ダムの堤体の銘板に刻まれていたものを、モニュメントとしてここに復元したものだそうです。
この「西山ダム河川公園」はわかりにくいです。
ダム自体は道路から確認できたのですがその下にあるこの公園への行きかたがわからない。
周辺をうろうろ、ここら辺から行くのだろうと思い車を停めて歩いて散策、やっと辿り着きました。
公園には駐車場もあるのですが入り口に案内板や看板も無く、地元の散歩中の方に尋ねてやっとわかりました。橋の下の丸石はもともとこの川にあったものらしいです。桜の時期が綺麗と聞きましたので、来年ダムの散策をかねて再訪したいと思います。
周辺をうろうろ、ここら辺から行くのだろうと思い車を停めて歩いて散策、やっと辿り着きました。
公園には駐車場もあるのですが入り口に案内板や看板も無く、地元の散歩中の方に尋ねてやっとわかりました。橋の下の丸石はもともとこの川にあったものらしいです。桜の時期が綺麗と聞きましたので、来年ダムの散策をかねて再訪したいと思います。
県のHPで案内されているわりには、案内板もなく残念です。
参考の為、朱色の点線を行くとバイパスの下に出ます。
鎖がある方向が遊歩道方面。正面のトンネルをくぐると駐車場があります。
小さい赤丸が駐車場です。
明正井路第一拱石橋 - 大分県竹田市門田 ― 2017-09-06
6連アーチの石造水路橋「明正井路第一拱石橋」
明正井路第一拱石橋は大正8年に完成した、日本最大規模の水路用の石橋です。
橋の上は緒方川から引かれた水が流れており、
橋の上は緒方川から引かれた水が流れており、
高い石橋から175km先の緒方町の方へと水田用の水が流れ下っています。
大野川水系緒方川に架かる水路用石造アーチ橋
この明正井路は江戸末期に計画されたが、 結局できあがったのは大正8年でした。
この水路はトンネルと橋が多く難工事であったようです。
県道8号線(竹田五ヶ瀬線)をまたぐ
明正井路(めいせいいろ)は、大分県竹田市から豊後大野市までをかん水する用水路です。
明正井路は、緒方川及び、神原川並びに、1953年(昭和28年)に竣工した補水線(大野川)の3つの川から取水され、緒方町と清川村の2,323haの地域の約717haにわたる水田を灌漑する水路で、その総延長は175km(幹線48km、用水路127km)に及ぶ。起伏が激しいため、17基もの水路橋を有する大規模な灌漑施設である。wikipediaより
明正井路は、緒方川及び、神原川並びに、1953年(昭和28年)に竣工した補水線(大野川)の3つの川から取水され、緒方町と清川村の2,323haの地域の約717haにわたる水田を灌漑する水路で、その総延長は175km(幹線48km、用水路127km)に及ぶ。起伏が激しいため、17基もの水路橋を有する大規模な灌漑施設である。wikipediaより
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