簡単アクセスカウンター
アクセスカウンター

八代神社(妙見宮)、久々のお参り - 熊本県八代市妙見町2023-10-15

古希の同窓会で久しぶりに八代へ。
伯父のお見舞い前に、妙見さんへお参りしてきました。

八代神社(妙見宮)
 北極星と北斗七星を神格化した妙見信仰発祥の地とされ、地元では一般に「妙見さん」とよばれ親しまれています。平安時代から江戸末期まで八代・芦北・下益城三郡の一の宮で、広く信仰を集めました。
 5月31日夜からの氷室祭(ひむろさい)、九州三大祭といわれる11月23日の妙見祭神幸行列お上りは大勢の人出で賑わいます。



御神木(大楠)樹齢600年だそうです。





妙見由来、 亀蛇碑の由来と、妙見宮の六地蔵幢。

妙見由来
妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。

妙見神の来朝
 天武天皇、白鳳九年(680)、妙見神は神変をもって、目深・手長・足早の三神に変じ、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に来朝せり。
妙見宮(上宮)の創建
 桓武天皇、延暦十四年(795)、乙亥、国司桧前(ひのくま)中納言政丸、三室山横嶽に
 これを創建す。
妙見中宮寺の創建
 二条天皇、永暦元年(1160)、庚辰三月十八日、従五位肥後守平貞能、横嶽の麓に建立す。
妙見宮(下宮)の創建
 後鳥羽天皇、文治二年(1186)、丙午十一月十八日、検校散位大江髙房、妙見上宮を
 太田郷宮地の地に遷座せしめる。



          神門



現在の社殿は、元禄12年(1699年)と寛延2年(1749年)に改築されたものです。本殿は、平成27年(2015年)に約260年ぶりの大規模な修復が行われました。  (市HPより)





         大宮社






八代の繁栄を伝える妙見祭
 江戸時代はじめ、八代城は現在の位置に移され、城の周辺に形成された城下町には近隣の物資が集まり、長崎や上方への積出港として賑わいました。
 町人文化が花開いた元禄の頃(17世紀終わり)には笠鉾(かさぼこ)など趣向を凝らし、贅を尽くした出し物が奉納されるようになりました。
 熊本藩主細川氏や家老で八代城主の松井氏は、地域の結束を高めるため、祭礼を盛り立てることに心を配りました。
 19世紀はじめに、松井家のお抱え絵師によって描かれた祭礼絵巻を見ると、さまざまな階層の人々が一体となって参加する当時の盛大な祭りの様子を知ることができます。
 妙見祭は、その後、何世代にもわたり八代の大切な文化として受け継がれ、現在でも往時と変わらない豪華な行列を見ることができます。


砥崎河原(とさきのかわら)
(とさきのかわら)には演舞場が設けられます。川の両岸が観覧席となり毎年大勢の観客が詰めかけます。
 笠鉾の勢揃い、獅子や亀蛇の勇壮な演舞、川の中を水しぶきを上げながら駆け抜ける馬追いなど妙見祭最大の見せ場となります。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック