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浜野浦の棚田、大浦の棚田2020-05-29

久々のロングドライブです。東松浦半島をぐるっと一周しました。
玄海町の浜野浦の棚田、肥前町 大浦の棚田の田植えが終わった? 様子を見に出かけました。
棚田の写真には午後の陽が良いかなと、その前に名護屋城・陣跡を見て廻りました。

名護屋城跡のある唐津市鎮西町から外津橋を渡ると、東松浦郡玄海町です。

玄海エネルギーパーク 


5分もかからず、浜野浦の棚田展望台Pです。










海と棚田の景観と恋人の聖地

やっぱり夕陽がいいですね! いつが見頃か?ネットで調べました。

浜野浦の棚田景観スケジュール
日にち               内容        日没
4月上旬頃~        田おこし     18:45前後
4月中旬頃~        水張り        18:50前後
4月20日前後        代かき        18:55前後
4月下旬~末        田植え        19:00前後
5月1~8日頃     夕日が中央に沈む19:06前後
5月3~5日頃     景観見頃
5月末              稲伸びはじめ    19:25前後




仮屋湾を望む



行程図には書きませんでしたが、案内に「道の駅 鷹ら島」6.0kmとあったので
鷹島肥前大橋を渡って、松浦市鷹島までちょっと寄り道しました。(橋を渡ると長崎県です)
イカの一夜漬け、イリコ、ミリン漬けをお土産に・・・


いろは島展望台 】 唐津市肥前町満越537−2

                     展望台から、いろは島の島々と国民宿舎が望めます。
         展望台の写真は、デイケアのご老人がたくさんだったのでご遠慮しました。





いろは島展望台から満越の街へ下る途中、大浦の棚田の絶景ポイントがあります。
車を路肩に停めて撮影しました。見逃さないように!




肥前町 大浦の棚田



道の駅 桃山天下市で観光マップを頂きました。
唐津上場(うわば)観光マップ  ・・・ 唐津上場?初めて聞きました。
呼子・鎮西・玄海・肥前エリアは、上場(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、海岸は出入りに富み、その地理的特徴から東松浦半島周辺は古くから中国や朝鮮半島方面の海上交通の要衝として栄え、玄海国定公園に指定された地域です。
この上場台地を結ぶ4つの大橋「しあわせの橋」鷹島肥前大橋、外津大橋、名護屋大橋、呼子大橋をめぐり、海と棚田の景観と恋人の聖地を訪ね、戦国歴史を感じながら、様々な「食」と自然に充ち溢れた上場台地の「自然テーマパーク」で心を癒す旅を満喫ください。 (パンフより)

東松浦半島(ひがしまつうらはんとう)は、九州の北部に突き出た半島で、佐賀県の北西部に位置している。
東松浦半島の大部分を占める台地は、上場台地(うわばだいち)と呼ばれる火山性土壌でやせた質の土地である。地形が半島なので雨はすぐ海へ流れてしまうため大きな川もなく、海からの強い風もあって農業にはあまり向かない土地だったが、国と県による「上場土地改良事業」により、土地改良やダム建設などが行われ、佐賀県でも有数の農業地域になっている。また、玄界灘の強風を利用して、海岸では風力発電が盛んに行われるようになった。 そうです。

名護屋城 再訪 - 戦国武将の陣跡 佐賀県唐津市鎮西町2020-05-28

4月7日の緊急事態宣言以降、不要不急の外出を控え、「三つの密」のある場所への外出を避けることを守って家でじっと過ごしてきました。大好きな音楽ライブも、居酒屋でのちょい飲みにも3月1日以降どこにも行かず、職場との直行直帰を行ってまいりました。

3月9日の軍艦島から、久々のロングドライブです。東松浦半島をぐるっと一周しました。
玄海町の浜野浦の棚田、肥前町 大浦の棚田の田植えが終わったころの様子を見に出かけました。
棚田の写真には午後の陽が良いかなと、その前に名護屋城・陣跡を見て廻りました。

道の駅 桃山天下市で、「名護屋城跡 陣跡位置図」をゲット!

                               (ネットから拝借しました)
戦国武将の陣跡
豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し築かせ、当時の大坂城に次ぐ規模を誇り、全国から160もの戦国武将が集結した「天下人」の城。
名護屋城の周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集まり、繁栄したといわれています。
名護屋城跡と23カ所の陣屋跡が 特別史跡 「名護屋城跡並びに陣跡」 に指定されています。


前田利家の陣跡 ・・・ 道の駅 桃山天下市の駐車場


名護屋大橋を渡り、伊達政宗の陣跡へ。 名護屋大橋より呼子大橋を望む。




伊達政宗の陣跡  ・・・ 呼子方面との交差点が「伊達政宗陣跡」


黒田長政の陣跡


小西行長の陣跡






徳川家康の本陣跡



道の駅 桃山天下市の先を右折して、名護屋城の北側を進みます。



山里口



上山里丸 ・・・ 秀吉の居館があったところです。






広沢禅寺 - 上山里丸
名護屋に赴いた秀吉は、当時松浦一の美女と評判のあった名護屋越前守経述の妹・広子を側室に迎え、山里丸と呼ばれる名護屋城の一角に住まわせた。

加藤清正が戦地から持ち帰って献じた大ソテツ(国の天然記念物)




水手口の案内図




加藤清正陣跡




津軽為信・片桐且元・木村重孝の陣跡の説明板




堀秀治の陣跡





波多親 松浦鎮信の陣跡




鍋島直茂 豊臣秀保の陣跡


以前訪問した名護屋城址のブログは、 ↓ ↓
肥前名護屋城 -- 佐賀県唐津市鎮西町名護屋     2016-10-11
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2016/10/11/8232480

昼食をとって、玄海町の浜野浦の棚田、肥前町 大浦の棚田へ向かいました。

軍艦島(端島) クルーズ 上陸再開!!2020-03-09

”2019年9月23日より台風17号による損壊の為、供用停止となっておりました端島見学施設ですが、長崎市による復旧工事の完了検査が終了したため、2月21日より供用再開となりました。”  
2020年2月21日より、上陸再開!!の記事を見て早速訪れました。
昨年来た台風17号は、酷くて色んな場所を壊しました。半年間上陸できないのは流石にビックリです。
天気予報では、「晴れのちくもり 夕方雨」の予報。
なんとか行けるだろうと、3月9日予約を入れました。

午前便で、10:10集合、10:30出航~13:00頃まで・・
常盤2号桟橋から出発です。
軍艦島到着までは、客席よりガラス越しの撮影になります。



三菱重工長崎造船所
    造船の街、長崎の象徴「ジャイアント・カンチレバークレーン」



三菱長崎造船所 第三船渠     No.3 DOCK
   4年に亘り崖を削り、海を埋め立て、1905年に完成させた東洋最大のドックです。
   100年以上を経た今も現役ドックで、底や壁面の石垣も当時のものらしいです。






女神大橋  「斜張橋」(しゃちょうきょう)別名「ヴィーナスウィング」。




高鉾島  異国からの貿易船は、この島を長崎港に入る際の目印としていたそうです。



神の島教会と岬のマリア像
   船からではないと見れない景色です。

ここから、船はスピードアップ!
伊王島を結ぶ、伊王島大橋を通過。


長崎港から南西へ、およそ14.5㎞の沖合に浮かぶ高島。
   高島炭坑(北渓井坑跡)が世界遺産に登録された。



軍艦島のお隣の島「中ノ島」
   ここから、軍艦島周遊クルージング。 デッキからの撮影ができます。
いよいよ軍艦島周遊クルージング
   東側のドルフィン桟橋方面より、反時計回りに西側へと周遊します。









東側は、高波を防ぐ防波堤が・・、社宅も防波堤の役割をしたそうです。


軍艦「土佐」に似た軍艦島、北西より望む。



西南より望む。

いよいよドルフィン桟橋より上陸です。
見学通路のトンネルを抜け、見学広場に向かいます。




第2見学広場から
総合事務所・・・鉱山の中枢であったレンガ造りの建物。
この島の司令塔的存在で軍事機密があり、子供達は入れなかったそうです。

第二竪坑坑口桟橋跡
主力坑であった第二竪坑。鉱山施設は現在ほとんど崩壊していますが、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。写真左の穴は、風呂があったそうです。


 岸壁はコンクリートの補強で覆われているため、岸壁の表面のコンクリートが崩落した部分からのみ、世界遺産である石組を見ることができます。


第3見学広場
30号棟・31号棟アパート
30号棟アパートは1916(大正5)年に建設され、当時の日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートで、グラバーハウスと呼ばれているそうで、建築学会上大変貴重な建物です。が、保存対象ではなく倒壊の危険があるそうで、傾斜を検知するGPSが上の四隅に設置されているそうです。



プールの跡。



岸壁・・明治時代に建造された、「天川工法」と呼ばれる伝統的な石組で組まれた護岸。
     コンクリート補強されているのがわかる。


貯炭ベルトコンベアー
四角い枠がドミノのように立ち並んでいますが、この上にベルトコンベアーが乗っていました。




11:25頃上陸~12:05頃 ドルフィン桟橋出航。 40分ほどの上陸でした。


三菱重工香焼工場(こうやぎこうじょう)、通称100万トンドック

船の修理工場「小菅修船所」
日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグが小菅修船場です。
船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台(船架、現存しない)がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。


      「迎賓館」を港側より望む。


松が枝ターミナルにはクルーズ船がよく停泊しています。

駐車場は、森の駐車場(南)
昼間(午前8時から午後6時まで)  30分につき 2時間まで  50円  2時間越   150円
650円でした。

オランダ坂を散策して帰りました。

南禅寺 ~ 霊鑑寺(れいかんじ)秋の特別公開2019-11-22


紅葉真っ只中、観光客いっぱいの南禅寺です。
南禅寺は京都五山の上に列せられ、日本の禅寺の中でもっとも格式高い寺古刹である。
臨済宗南禅寺派の大本山。南禅寺の名は永観堂の正式名称「禅林寺」の南に位置することから由来するそうです。


勅使門
南禅寺三門
南禅寺の三門、仁和寺の仁王門、知恩院の三門を合わせて京都三大門といわれる。




三門 拝観
秋の紅葉の季節の南禅寺三門は南側の拝観受付横の階段から三門の楼上へ昇り、北側の階段から降りる一方通行。


南禅寺三門 西側の南禅寺塔頭 天授庵 -- 枯山水庭園が見えます。



南禅寺三門 北側 法堂を望む


南禅寺三門 南側 勅使門、市街を望む

石川五右衛門が三門から「絶景かな、絶景かな」云う有名なセリフ、ここですかね。




南禅寺 法堂


南禅寺 水路閣




南禅寺の最奥にひっそりとたたずむ歴史ある塔頭 最勝院
南禅寺 北門



大盛況の永観堂でした。ここは出口ですが、入口の方は立ち止まることもできませんでした。



ここから左が、哲学の道です。





代々皇女が入寺されたことから「谷の御所」と呼ばれた尼門跡寺院   「谷の御所」の紅葉
前回、洛東を訪れたときも門が閉まっていました。今回は特別公開にきれいに合いました。
霊鑑寺 秋の特別公開
通常は非公開の尼門跡寺院の霊鑑寺で、紅葉の見頃にあわせて特別拝観が行われます。歴代の皇女が入寺したことから「谷の御所」と称され、尼宮たちの雅な暮らしを偲ばせる御所人形など貴重な寺宝が残るほか、後西天皇の院御所の御殿を移築した書院には、狩野派の作と伝わる「四季花鳥図」などの華麗な障壁画があります。江戸幕府11代将軍、徳川家斉が寄進したとされる本堂には、如意輪観音像が安置されています。山裾に広がる回遊式庭園には、樹齢350年を超えるタカオカエデなどが植栽され、色鮮やかな美しい紅葉を観賞できます。(じゃらんnet)

臨済宗南禅寺派の門跡尼寺


回遊式庭園

後西天皇の院御所の御殿を移築した書院


樹齢350年を超えるタカオカエデ


頂いたパンフをスキャンしました。

金地院 南禅寺塔頭2019-11-22

金地院縁起 (金地院パンフより)
金地院は応永年間(1400年頃)に南禅寺68世住持大業徳基禅師によって京都北山の鷹ヶ峯創建されたのが始まりとされ、慶長10年(1605年)には現在の地に移り、その年南禅寺住持となった以心(金地院)崇伝は、徳川家康の信任を得、金地院を南禅寺塔頭として復興再建した。寛永3年(1626年)には大規模な再建工事に着手、小堀遠州らの協力を得て方丈、東照宮を始め枯山水庭園を整備、寛永7年(1630年)頃完成した。寛永10年(1633年)65歳で遷化、遺骨は開山堂に眠っている。


東西線蹴上駅で降りて、金地院へ向かいます。

東照宮の楼門 ・ ・ 外の道路側から見た門でこちらから入山は出来ません。

金地院 大門。入口をくくると金地院全景の案内図があります。




明智門    立派な唐破風の門。

弁天池
東照宮の楼門からの、東照宮への参道

御透門。 この門が東照宮の中門では?
東照宮拝殿

東照宮拝殿、内部
天井には狩野探幽の筆による『鳴龍』

         奥が本殿
東照宮は全国各地にありますが、家康の遺言によって建てられたのは
久能山、日光、そして金地院の3カ所だけ。
東照宮から、以心崇伝の廟所 開山堂へ向かいます。
葵の紋、猿の瓦が見れます。




開山堂。中興以心崇伝の廟所。

開山堂内。正面に後水尾天皇の勅額、左右に十六羅漢像が安置され、奥中央に崇伝像が祀られています。




方丈前に広がる枯山水庭園「鶴亀の庭」


国の特別名勝に指定されている蓬莱式枯山水庭園『鶴亀の庭』。小堀遠州作庭。
向かって左に亀石、右に鶴石が配置され、中央には大きな遥拝石が置かれています。

               方丈より、「鶴亀の庭」を望む



開山堂の石橋へ続く大曲りの飛び石は、正方形に切られた石が一個おきに角度を変えて据えられていい模様となっています。以前は、ここの飛び石、石橋から方丈への拝観ルートになっていたようです。


"崇伝は徳川家康の信任を受けて政治外交の顧問として活躍し、寛永四年(1626)に当寺
の大改築に着手して現在の寺観を整えた。崇伝はまた僧録司となって宗教界全体の取締りに当たり、以後幕末まで当寺は僧録司の地位にあった。"とあります。
徳川家康の東照宮、伏見城の遺構とされる方丈、それに金地院崇伝の開山堂、歴史好きにはたまりません。


南禅寺参道側の門