簡単アクセスカウンター
アクセスカウンター

Funny Nanayama ― 佐賀県唐津市七山滝川540−22023-05-16

うわさに聞いた七山のJazz喫茶Funny Nanayama やっと訪れることができました。


        入口左のウィンドウに
        COFFEE & JAZZ・ROCK FUNNY NANAYAMA
        下に、STAND BY MEの歌詞が・・・・・




昨年、三瀬から七山ルートをドライブ中、思いだして喫茶 Funny Nanayamaを訪れましたが営業の様子がなく里見庵でそばを食べて帰りました。
今日は久しぶりの三瀬ドライブ、里見庵で蕎麦でもと七山方面へ。ちょっと手前を左折してFunny Nanayamaの前まで行ってみました。するとお店の方が表にいらっしゃいました。「営業中ですか?」と尋ねると、「今開けたばかりです。」とのこと、ランチを頂きお話を伺いました。

マスターが20年1月の正月休みに急逝されたそうです。コロナもあり、約1年経ったころ営業を再開されたそうです。
長閑な山里で心地良い音楽が流れる COFFEE & JAZZ・ROCK FUNNY NANAYAMA
時々、無性に行きたくなるお店です
     営業時間 12:00~20:00 木曜日休み

天空の聖地 高野山へ ① 奥の院 - 格安フェリーの旅2023-05-26

5月の新聞広告に、「天空の聖地 高野山めぐりとめでたいでんしゃ」のツアーがあり、早速申し込みました。
ところが、希望した期日は催行なしに。 で、自分で計画して旅に出かけることにしました。

神戸航路  北九州(新門司)↔ 神戸(六甲アイランド)
神戸行きフェリー 門司港18:40発―07:10神戸着  なんと往復 9,900円。
いつもは、フェリー往復で丸一日の旅をするのですが、さすがに高野山は時間が足りず大阪で一泊することにしました。  ※珍しくフェリーが1時間ほど遅れて、行程がくるいました。
26日(金) : アイランド北口 ー 魚崎(8:14) - 高野山(10:42)を変更して、
26日(金) : アイランド北口 ー 魚崎(8:37) ー 新今宮 ー 極楽院 - 高野山(11:13)


奥の院参道→奥の院 (昼食) 大門→壇上伽藍→金剛峯寺→金剛三昧院→高野山駅



       新今宮駅で南海電鉄橋本行に乗り換え。

        橋本駅より南海高野線・極楽橋行





橋本駅から極楽橋駅までの19.8km、標高差443m間を運行。
極楽橋駅から高野山駅は、南海高野山ケーブルカーです。



九度山といえば、真田昌幸、真田信繁(幸村)、大助が関ヶ原の戦い後 徳川家康に蟄居を命じられ、最初は高野山で隠棲生活を送っていましたがその後九度山に下山し生活を送ってた地で真田ゆかりの地。 六文銭の旗がいっぱい!


高野下駅から極楽橋駅の区間は、50‰(パーミル)の急勾配とトンネル、半径R=100の急カーブが連続し、山岳鉄道らしさを実感できます。




       他の線に停車中の天空

極楽橋でゆっくり写真を撮ろうと思ったが、すぐケーブルカーの発車時間が・・・
極楽橋駅から高野山駅は、南海高野山ケーブルカーです。



高野山駅でもバスが待っています。バタバタと一日フリー乗車券 ¥840-を買って乗車!
        高野山駅から奥の院行き
          バスの中から、女人堂。
          高野山駅前 ― 女人堂 ― 千住院橋 ― 奥の院口 まで乗車。


南海りんかんバス奥の院前行バスに乗車し、「奥の院口」下車。

一の橋は、御殿川(おどのがわ)に架る橋で、ここからが霊域。

一の橋は通称で、正式名は大渡橋(おおばし)らしいです。



奥之院参道 散策のスタートです。
一の橋から御廟まで2kmの参道には、20万基を超える諸大名の墓石、祈念碑、慰霊碑が配され、樹齢1000年という杉並木が続いています。


        二十町石 
聖地高野山への表参道で道しるべとして建てられたのが町石で、高さ3mを超す五輪塔婆の形をしており、根本大塔を起点として慈尊院まで1町(約190m)毎に180基、弘法大師御廟まで36基建てられています。

        二十ニ町石、 武田信玄・勝頼墓地

        紀州徳川家七代宗将墓所

        伊達政宗墓所

        薩摩島津家墓所

        石田三成墓所

        明智光秀墓所


        中の橋
一の橋と御廟橋の中間点にあることから中の橋と呼ばれています。正式名称は「手水橋」といい、平安時代にはこの川で身を清めていたそうです。


       汗かき地蔵 、 姿見の井戸



       崇源院(徳川秀忠夫人)墓所
       浅井長政とお市の方の末娘で、秀吉の側室淀君の妹に当たる江姫の供養塔


       天樹院千姫供養塔

       芭蕉句碑

       結城秀康(松平秀康、家康次男)及び同母霊屋





       豊臣家墓所


       織田信長墓所




       御廟の橋
       橋板が37枚あり、金剛界曼茶羅の37尊に因んだもので、
       これより先が聖域と崇められる。 これより先は、撮影禁止。
奥之院の御廟橋の正面突き当たりにあるのが、高野山奥之院御廟 。
3間4面構造・檜皮葺・宝形造の御廟です。


       水向地蔵 みずむけじぞう


       護摩堂
       柱には「厄除大師」と記された木札が掛けてあります。


       護摩堂と御供所の間にあるのが、嘗試地蔵(あじみ地蔵)
          空海に届ける食事の味見を行う嘗試地蔵

「大黒天」の扁額が掲げられた建物があります。これが「御供所」です。弘法大師に供える食事を日々作るところがここなのでしょう。南側には、「御供所」の木札が架けられた立派な門があります。


       宝来(ほうらい) ・・ しめ縄の代わりに飾る


頌徳殿」と称される建物があります。現在は茶所・休憩所として利用されています。


       浅野内匠頭墓所


       英霊殿



         こんなお墓も・・・・



        奥の院前へ向かいます
        一の橋から奥の院を参拝し、帰りはここからバスに乗ります。




        高野山の真ん中、千手院橋の信号。ここでバスを乗り換えます。

天空の聖地 高野山へ ② 大門・壇上伽藍 - 格安フェリーの旅 ―2023-05-26



約2時間の奥の院散策、一の橋から弘法大師空海が眠る御廟までの約2kmほど参道の両側には何百年もの時を経た老杉がそびえ立ち、20万基を超える墓碑や供養塔、慰霊碑が並び、幻想的かつ神秘的な荘厳さを体感しました。

奥の院前 13:25 ― 千手院橋(東) 乗換 千手院橋(西) ―大門 13:40

  大門 ― 壇上伽藍 ― 金剛峰寺 を巡ります。




        大門
高野山の総門で、高さ25.8メートル5間重層の大楼門。大門の両脚に構える高さ4.8mの力強い金剛力士像は、阿形像を仏師康意が、吽形像を法橋運長が造ったとされている。



大門バス停前の釜めし屋さん、バスの時間を調べて、急いで昼食です。

壇上伽藍


        中門(ちゅうもん)
金堂の正面手前の一段低いところに建つのが、五間二階の楼門・中門です。
天保14年(1843年)に大火で焼失、平成26年(2014年)に再建されました。
類焼を免れた持国天像と多聞天像が再び安置され、そのタイミングで増長天(ぞうちょうてん)像と広目天(こうもくてん)像が新造されました。現在は四天王像が伽藍全域を守護しています。

持国天像:1819年
                        多聞天像:1819年
広目天(こうもくてん)像:2015年
                        増長天(ぞうちょうてん)像:2015年



        金堂
高野山全体の総本堂である「金堂」。高野山開創当初に弘法大師・空海が建設したお堂で、古くは講堂と呼ばれていました。総本堂として重要な役割を果たすようになったのは平安時代半ばから。現在の建物は、7度の再建を経て昭和7年(1932年)に完成したものです。



        金堂と根本大塔


        大塔の鐘・高野四郎
焼失して三度ほど改鋳された。現在は1547年の鋳造で直径7尺、重量1600貫(約6トン)。

        根本大塔(こんぽんだいとう)
下が平面方形、上が平面円形、16間四面、高さ約50mからなる2層の多宝塔様式が特徴です。
大師と真然の二代で887年頃完成。落雷で何編も焼けて、1156年平清盛が再建。
現在の建物は1937年再建。
        出口から覗いた、立体曼荼羅


        三鈷の松(さんこのまつ)
三鈷の松の葉を持っていると幸せが訪れる、金運に恵まれると言われています。
松の木の下に落ちている3本の葉を探している人がいらっしゃいます。



        御影堂(みえどう)
弘法大師御影像を安置していて、高野山の中でも重要な聖域とされる。近年では旧暦3月21日に行われる「旧正御影供」の前夜にのみ、外陣への一般参拝が許されている。


        准胝堂(じゅんていどう)
973年以前の創建。現在の堂は1883年(明治16)の再建。


        孔雀堂(くじゃくどう)
1200年延杲大僧正が干天に雨を祈って成就し、後鳥羽上皇の賞賜として建立。
現在の堂は1984年の再建。


        西塔(さいとう)
根本大塔と二基一対で密教世界を躯体的に表現している。本尊には金剛界大日如来、周囲には胎蔵界四仏を安置。現在の塔は天保5(1834)年に再建された擬宝珠高欄付多宝塔。


        山王院(さんのういん)
御社(みやしろ)の拝殿で、1171年の創建。現在の堂は1845年の再建である。


        御社(みやしろ)
一宮には丹生明神、二宮に高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られている。現在の社殿は文禄3(1594)年に再建され、重要文化財に指定されている。


        六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
経蔵の基壇のあたりに把手がついていて、回すことができるようになっています。
一回りすれば一切経を一通り読んだときと同じ徳をえることができるといわれています。
1159年創建。現在の蔵は1934年再建。

         根本大塔前より蛇腹路方面を望む

       不動堂(ふどうどう)
1198年創建。一心院谷から移築されたもの。現在の堂は14世紀初頭の再建。1908年移築。
お堂の四隅の形がすべて違うのは、四人の工匠が随意に造ったからという説もある。
国宝(昭和27年3月29日指定)

       愛染堂(あいぜんどう)
このお堂も何度か罹災し、現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建されたものです。

       大会堂(だいえどう)
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂


       三味堂(さんまいどう)
済高(さいこう)座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、もともと総持院(そうじいん)境内に存在していました。現在の建物は文化13年(1816年)の再建です。


        東塔(とうとう)
大治2(1127)年に白河院の発願によって建立されたが、天保14(1843)年に焼失。長らく再建されることはなかったが、昭和59(1984)年、140年ぶりに再建された。

       蛇腹路
伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道を「蛇腹路」と呼びます。
高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、この小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました。


蛇腹路を進むと伽藍の入り口、その先は金剛峰寺です。

天空の聖地 高野山へ ③ 金剛峰寺 - 格安フェリーの旅 ―2023-05-26

約2時間の奥の院、大門・壇上伽藍を散策、いよいよ高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」です。
       正門(せいもん)
文久2年(1862年)再建とされますが、延宝8年(1680年)に落慶した「青巌寺上門」の可能性も挙げられています。



       主殿
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の上に、桶が置かれています。これを天水桶といいます。
普段から雨水を溜めておき、火災のときに、桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たしました。
       
       大玄関と小玄関(おおげんかん)(しょうげんかん)
大玄関は、正門と同じく天皇・皇族や高野山重職だけが出入りされました。
小玄関は、高野山では上綱(じょうこう)職の方々がもっぱら使用されます。



     撮影禁止なので、パンフをスキャンしました。



        枯山水小庭

       蟠龍庭(ばんりゅうてい)




       別館の売店近くに案内が・・・ 
       茶の間に「断崖図」 、土室(囲炉裏の間)に「瀧図」 が観れます。




高野山金剛峯寺襖絵:茶の間 千住博 障屏画 「断崖図」






高野山金剛峯寺襖絵:囲炉裏の間 千住博 障屏画 「瀧図」  





台所(だいどころ)



       二石釜 
一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜が三基並んでいます。
三つで一度に二石(約2,000人分)のご飯を炊いたものです。真上には行灯が釣られ、正面には台所の神様である三宝荒神をおまつりしています。



       ネズミ落とし
当時の食物保管庫で、棚の上部に和紙を垂らしてネズミ等の侵入を防ぎます。






         下門





千手院橋(西)バス停より、高野山駅へ向かいます。


斑鳩の里 法隆寺へ - 格安フェリーの旅 2日目 -2023-05-27

旅の二日目は、斑鳩の里法隆寺と奈良へ。

通天閣を拝んで、JR新今宮駅へ向かいました。
JR新今宮駅―JR法隆寺駅

法隆寺着。バスの時間を見ると、あと35分!
徒歩で20分くらいらしい。    ぼちぼち歩いて法隆寺まで向かいました。

法隆寺が開かれたのは607年(女性天皇・推古天皇の時代)、推古天皇を補佐した聖徳太子(厩戸皇子)によって創建されました。670年にすべて焼失してしまいます。
7世紀後半~8世紀初頭に再建、その後さまざまな修繕が行われ今に至ります。
1993年、歴史的価値が認められ世界遺産に登録されました。

       南大門
法隆寺の玄関にあたる総門です。三間一戸の八脚門(やつあしもん)で現法隆寺建立時には中門前の石段上に立っていたが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。




        中門
南大門をくぐって正面に見えてくるのが中門(ちゅうもん)です。この門の先に、法隆寺の中核である西院伽藍が広がっています。軒が深く覆いかぶさり、正面が四間二戸と入口が二つある形が特徴です。
               世界最古の木造建築「中門」を、伽藍の内側から見ました。
        見どころはエンタシスの柱! 柱の真ん中やや下の方が一番太い形状の柱です。


        五重塔
法隆寺の五重塔は高さ32.5m、現存する日本最古の塔であると同時に金堂と共に世界最古の木造建築物です。 法隆寺の五重塔の相輪には、変わった部分があります。それは相輪に鎌がかけられていることです。


        金堂
世界最古の木造建築、金堂(こんどう)です。飛鳥様式、最古の建物です。
卍崩しの高欄など、飛鳥時代の様式をよく反映しています。一見2階建てのようですが、2層目は外観だけで部屋はありません。四隅の柱に据えつけられた昇り龍と下り龍が見事です。




        桂昌院燈籠
法隆寺境内の中央、最も目立つ場所に桂昌院燈籠といわれる大きな銅製の燈籠が建っている。
元禄7年(1694年)、法隆寺が大修理に際し、五代将軍綱吉の生母桂昌院から金400両、燈籠代として金50両、その他米200俵、水引などの寄進を受けつくられたのがこの桂昌院燈籠。
徳川家の三つ葉葵の紋章と桂昌院の養女先であった本庄家の九ツ目結紋の二つの紋章がついている。

いちばん左に、元禄七年甲戌十一月嘉辰 母儀桂昌院本庄氏 とある。


        大講堂
西院伽藍の奥へ進むと、法要を営んだり、仏道を学ぶために使われた大講堂が見えてきます。平安中期に落雷のため焼け落ちたものの、正暦元年(990)に再建されました。
       国宝の薬師三尊像
薬師三尊像中心の薬師如来座像は2.5mもの高さがあり、金堂の薬師如来よりもふっくらと丸みを帯びているのが特徴です。両隣には日光菩薩・月光菩薩とよばれる脇侍が控えています。
       お堂の外から中をチラリ!




        回廊
西院伽藍を囲む回廊、単廊式で、中門から奥の大講堂へとつながっています。
注目すべきは円柱です。よく見ると、柱の中央が膨らんでいるのがわかります。

       金堂と五重塔


        聖霊院
聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。

        東室・妻室
西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。
この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。この建物の東側には、同じく僧房である小子房の妻室があります。



       東大門へ向かい、東院伽藍へ。
        東大門
西院の東大門をくぐると、広い参道の正面に東院伽藍が現われます
       東院伽藍(とういんがらん)
739年に聖徳太子の斑鳩宮の故地の荒廃を嘆いた僧行信が、太子の威徳を偲んで上宮王院を創立したもので、平安時代に法隆寺の管理下に入り、東院と呼ばれるようになった。

       東院四脚門
東院の西面に開かれた切妻造、本瓦葺の四脚門です。
(1185-1274)の建造で、東院西面の景観を形成し、少し離れて西から見れば、屋根越しに青銅製の宝形をのせた東院のシンボル・夢殿を望むことができます。


        夢殿(国宝)
東院伽藍は聖徳太子の居住地であった斑鳩宮跡につくられたもので、夢殿は聖徳太子の供養のために建てられました。 日本最古の八角形の円堂です。



        絵殿・舎利殿
この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。また、西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。


        東院鐘楼  中宮寺と刻まれた梵鐘が吊される鐘楼
この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされています。




法隆寺の西院伽藍、東院伽藍の散策が終わり、法隆寺駅までの道のりを訪ねると、やっぱり歩きしかないみたいデス。バスは1時間に1本くらいしかありません。
バス通りに出て駅に向かおうと信号待ちしていたら、西から97番の春日大社行きのバスが見えました。慌てて近くのバス停(中宮寺前)へ。間に合いました! 各停なので少し時間がかかりますが薬師寺まで乗ります。