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天空の聖地 高野山へ ② 大門・壇上伽藍 - 格安フェリーの旅 ―2023-05-26



約2時間の奥の院散策、一の橋から弘法大師空海が眠る御廟までの約2kmほど参道の両側には何百年もの時を経た老杉がそびえ立ち、20万基を超える墓碑や供養塔、慰霊碑が並び、幻想的かつ神秘的な荘厳さを体感しました。

奥の院前 13:25 ― 千手院橋(東) 乗換 千手院橋(西) ―大門 13:40

  大門 ― 壇上伽藍 ― 金剛峰寺 を巡ります。




        大門
高野山の総門で、高さ25.8メートル5間重層の大楼門。大門の両脚に構える高さ4.8mの力強い金剛力士像は、阿形像を仏師康意が、吽形像を法橋運長が造ったとされている。



大門バス停前の釜めし屋さん、バスの時間を調べて、急いで昼食です。

壇上伽藍


        中門(ちゅうもん)
金堂の正面手前の一段低いところに建つのが、五間二階の楼門・中門です。
天保14年(1843年)に大火で焼失、平成26年(2014年)に再建されました。
類焼を免れた持国天像と多聞天像が再び安置され、そのタイミングで増長天(ぞうちょうてん)像と広目天(こうもくてん)像が新造されました。現在は四天王像が伽藍全域を守護しています。

持国天像:1819年
                        多聞天像:1819年
広目天(こうもくてん)像:2015年
                        増長天(ぞうちょうてん)像:2015年



        金堂
高野山全体の総本堂である「金堂」。高野山開創当初に弘法大師・空海が建設したお堂で、古くは講堂と呼ばれていました。総本堂として重要な役割を果たすようになったのは平安時代半ばから。現在の建物は、7度の再建を経て昭和7年(1932年)に完成したものです。



        金堂と根本大塔


        大塔の鐘・高野四郎
焼失して三度ほど改鋳された。現在は1547年の鋳造で直径7尺、重量1600貫(約6トン)。

        根本大塔(こんぽんだいとう)
下が平面方形、上が平面円形、16間四面、高さ約50mからなる2層の多宝塔様式が特徴です。
大師と真然の二代で887年頃完成。落雷で何編も焼けて、1156年平清盛が再建。
現在の建物は1937年再建。
        出口から覗いた、立体曼荼羅


        三鈷の松(さんこのまつ)
三鈷の松の葉を持っていると幸せが訪れる、金運に恵まれると言われています。
松の木の下に落ちている3本の葉を探している人がいらっしゃいます。



        御影堂(みえどう)
弘法大師御影像を安置していて、高野山の中でも重要な聖域とされる。近年では旧暦3月21日に行われる「旧正御影供」の前夜にのみ、外陣への一般参拝が許されている。


        准胝堂(じゅんていどう)
973年以前の創建。現在の堂は1883年(明治16)の再建。


        孔雀堂(くじゃくどう)
1200年延杲大僧正が干天に雨を祈って成就し、後鳥羽上皇の賞賜として建立。
現在の堂は1984年の再建。


        西塔(さいとう)
根本大塔と二基一対で密教世界を躯体的に表現している。本尊には金剛界大日如来、周囲には胎蔵界四仏を安置。現在の塔は天保5(1834)年に再建された擬宝珠高欄付多宝塔。


        山王院(さんのういん)
御社(みやしろ)の拝殿で、1171年の創建。現在の堂は1845年の再建である。


        御社(みやしろ)
一宮には丹生明神、二宮に高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られている。現在の社殿は文禄3(1594)年に再建され、重要文化財に指定されている。


        六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
経蔵の基壇のあたりに把手がついていて、回すことができるようになっています。
一回りすれば一切経を一通り読んだときと同じ徳をえることができるといわれています。
1159年創建。現在の蔵は1934年再建。

         根本大塔前より蛇腹路方面を望む

       不動堂(ふどうどう)
1198年創建。一心院谷から移築されたもの。現在の堂は14世紀初頭の再建。1908年移築。
お堂の四隅の形がすべて違うのは、四人の工匠が随意に造ったからという説もある。
国宝(昭和27年3月29日指定)

       愛染堂(あいぜんどう)
このお堂も何度か罹災し、現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建されたものです。

       大会堂(だいえどう)
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂


       三味堂(さんまいどう)
済高(さいこう)座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、もともと総持院(そうじいん)境内に存在していました。現在の建物は文化13年(1816年)の再建です。


        東塔(とうとう)
大治2(1127)年に白河院の発願によって建立されたが、天保14(1843)年に焼失。長らく再建されることはなかったが、昭和59(1984)年、140年ぶりに再建された。

       蛇腹路
伽藍入り口から東塔東側付近までのびる小道を「蛇腹路」と呼びます。
高野山はお大師さまが「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、この小道が龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになりました。


蛇腹路を進むと伽藍の入り口、その先は金剛峰寺です。

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