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熊本地震のあと--熊本城2016-08-28


地震発生の2週間前、孫の一口城主の名前を確認に訪れていました。
桜のなか、雄姿を現していました。

今回、八代の同窓会の帰りに是非自分の目で見ようと訪れました。
雨が降り出したので、坪井川沿いだけ見て、市役所14階から撮影しました。


城内は立ち入り禁止ですが、係員の方が写真などをもって被害状況を説明してくれます。
係員の方が、「市役所の14階から見れますよ。」と教えてくれました。
日曜日ですが、被害申請などで受け付けがあっているそうです。

                           櫨方門よこの馬具櫓。   熊本城の石碑もずれています。

                           坪井川より見た、飯田丸五階櫓。

                           長塀

                           倒壊した東十八間櫓と北十八間櫓。 熊本大神宮も大破。

市役所14階展望フロアより撮影。
                                                      飯田丸五階櫓  補強用の鉄骨を配置する工事



櫨方門よこに、石垣が並べてあった。

坪井川南側のビルの一角。改修予定かな?

再建の為、石に番号がふってあります。



キロクマ!さんの”著作権フリー画像 / 平成28年 熊本地震”より






地震の2週間前、桜のなか、雄姿を現していました。 2016-4-2撮影。



当日訪れた、熊本の様子です。 ↓
                                            ↓
熊本地震のあと--唐人町・細工町界隈(明八橋・第一高校正門前の石橋)     2016-08-28
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2016/08/28/8166512

井樋橋( いびばし)が地震で無くなっていました。     2016-08-28    
    http://kaz1001.asablo.jp/blog/2016/08/28/8165784

熊本地震のあと--唐人町・細工町界隈(明八橋・第一高校正門前の石橋)2016-08-28


宇土方面から熊本へ向かう途中、富合町の井樋橋( いびばし)が崩壊したのを見ました。
熊本城を見て帰ろうと思ったのですが、明八橋は?って思い立ち寄りました。

明八橋は、欄干に被害が・・・   輪石などはしっかり残っています。石橋は健在です。









                                           西唐人町の様子






人家の細い路地をくぐり抜けたところにある「白梅天満宮」(白梅天神)
倒壊の恐れあり・・・ 立ち入り禁止です


風情があった細い入り口は再現不可ですよね。


                                                    第一高校正門前の石橋


                                                      欄干は被害がありましたが、石橋は健在です。


被災されたみなさまに謹んでお見舞い申し上げます。


以前の明八橋・第一高校正門前の石橋の様子
           ↓                     ↓
熊本市の石橋 -明八橋・明十橋・第一高校正門前の石橋     2014-10-29
      http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/29/7477288    

阿蘇神社 - 熊本県阿蘇市一の宮町宮地2015-09-15

                                                                                    ※写真は click! で拡大されます。
阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をまつる由緒ある神社、阿蘇神社を訪れました。全国的にも珍しい横参道がみられます。

一の神殿・二の神殿・三の神殿・楼門・神幸門・還御門の6棟は国の重要文化財に指定されています。また、楼門は日本三大楼門の一つに数えられています。
東向きにある楼門は高さが18メートルあり「日本三大楼門」に数えられ、神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層桜山門式。

横参道の北鳥居。 右中央が楼門。 奥の山が阿蘇中岳。(阿蘇山上神社があります)
    阿蘇山上神社は、元官幣大社阿蘇神社の奥宮であり、古来阿蘇神社(本宮)一の宮・二の宮   ・五の宮の三柱 の神が祀られています。神社は阿蘇山ロープウェー駅のすぐ北東に鎮座して     います。

楼門の右にある脇門、神幸門。

楼門の左にある脇門、還御門。
両脇門は、平常は閉じていますが、御田植祭のときのみ使用するそうです。

南門。
南門から見た、横参道。

神幸門の前にある、北門守社。

還御門の前にある、南門社。



楼門の扁額。奥が拝殿。
楼門、嘉永二年の竣工。





拝殿。 拝殿の奥に、三神殿があります。
拝殿は、昭和二十三年建。 三神殿は、天保十一年より十三年にかけて竣工されています。
拝殿の脇に阿吽の狛犬。


二の神殿。(総ケヤキ造、天保十二年建)
二の神殿。阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと) 、他 妃神四神を祭る。

一の神殿。(総ケヤキ造、天保十一年建)
一の神殿。健磐龍命(たけいわたつのみこと)  他 男神四神を祭る。


えんむすびの松 「高砂の松」

願かけ石

せのび石



社務所、子供の守り神「山王社」(おさんのんさん)。
社務所側から望む、楼門と拝殿。

「神の泉」 、楼門のまえにあります。


参道の北鳥居を抜けると、門前町商店街「仲町(なかまち)通り」が広がっています。
  「水基(みずき)」と呼ばれる湧水スポット。



インフォメーションセンターにあった、イラストです。

JR豊肥本線 宮地駅。 阿蘇神社は歩いて行けます。

熊本県宇城市三角町三角浦 -- 三角西港(世界遺産)2015-08-23





三角西港は、明治20年に築港されました。特筆すべきは、当時の最新の技術を用いて近代的な港湾都市を造ったという点です
756メートルにもおよぶ石積みの埠頭や水路、建造物などは築港後1世紀の歴史を持ちながら今なお厳然としてたたずまいを見せています。

設計はオランダ人工師ムルドル、施工は小山(こやま)秀(ひで)率いる天草の石工集団であると言われている。
当時は石積みによる築港が多かったが、全長約756メートルの埠頭は他港と比べても圧巻である。
また、埠頭、排水路、側溝は、対岸の飛岳や、天草などから切り出した石を使っており、三角町史によれば延べ13万人の石工が従事したと記されている。














ちなみに現在の国道57号線の道路幅員は築港当時のままであり、その先見性に驚かされる。




756メートルにもおよぶ石積みの埠頭や水路は圧巻です。第2駐車場あたりから左右を望む。


「静穏な」はずの港の潮流が思いのほか早く、船がうまく着岸できないこと
入航、出航にあたり、三角港、口之津港と2回も税関で検査を受ける手間
鉄道建設が険しい岸壁に阻まれ、網田駅から八代海側に敷設を余儀なくされたため、現在の三角東港が終点の駅となった。 
そのことが功を奏し、石積み埠頭を始め、当時の施設がほぼ原形のままで残されることとなる.。





2015-3月に訪れました大牟田 ↓
大牟田市の近代遺産 - 宮浦石炭記念公園・三池炭鉱宮原坑     2015-03-31
     http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/03/31/7601059



2014-10月に訪れた荒尾 ↓
熊本県荒尾市 万田坑 散策。 (JR Walk 荒尾) 2014-10-04    
     http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/07/7452296

八代市鏡町 -- 大鞘樋門群(おざやひもんぐん) (県指定)2015-08-23

大鞘樋門群(おざやひもんぐん) (県指定)
所在地・・・八代市鏡町両出・同千丁町古閑出


               「大鞘名所発祥之地」の顕彰碑

江中樋4枚戸(現3枚戸)    西側から望む
                                   東側から望む


                      二番樋3枚戸                    西側から望む
                                                           東側から望む


                                     殻樋5枚戸 -- 修復中でした
大鞘樋門
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/list/list_view.phtml?catid=150602&arid=11587
八代市HP  掲載課:観光振興課( 0965-33-4115 )
で、写真が見れます。

現地案内板

大鞘樋門群(おざやひもんぐん) (県指定)
所在地・・・八代市鏡町両出・同千丁町古閑出
大鞘樋門群は、鏡町両出の字大鞘に所在し、千丁町を境に流れる大鞘川に接しています。
 鏡町は元禄年間から数多くの新地干拓によって、その面積を増やし発展してきた地区であり、当樋門群は四百町新地開における北西部に造られました。
当初は五つの樋門で構成されましたが、このうち二つは新橋架け替えと、埋没により、現在は「殻樋」「二番樋」「江中樋」と呼ばれる三つの樋門が残ります。
 大鞘樋門の名称は、樋門の周りを囲む鞘石(石垣)が非常に堅固だったことから名付けられたと伝えられており、その周辺もまた大鞘と呼ばれるようになりました。
 文政2年(1819)9月24日に四百町新地の潮留めは完成しました。
 耕地337町9反が新たに上納地に加えられました。
 このとき築造された樋門が大鞘樋門と呼ばれ、これまでの「御国流」よりもすこぶる堅牢で鞘石垣に巨石を使い、備前流といわれる樋門の革新的技法を取り入れています。
 水門は五ヶ所で、北から殻樋5枚戸、二番樋3枚戸、江中樋4枚戸(現3枚戸)、新殻樋7枚戸(昭和42年3月新橋に架け替えました)、三番樋3枚戸(埋没)です。
現存する殻樋は備前流と呼ばれている築造技法であり、二番樋、江中樋は合法と呼ばれる構築法になっています。
 備前流は、備前(現在の岡山県)の石工高野貞七の設計により、これまでより堅固に作られ、一部に巨石を使い、工事の監督であった広松輔周が無理に巨石を使わせたので、「広松のもがい井樋」ともいわれています。
 引き続いて文政4年(1821)に七百町新地が干拓されましたが、この後の樋門はすべて備前流、合法により築造されています。
 七百町新地干拓の折、ここの樋門堤防に長い小屋を作り、天草からの出稼ぎ労働者を収容しました。
 誰が言うとなく、「名所名所と大鞘が名所、大鞘名所にゃ水がない」という唄がうたわれ出し、新地干拓の潟担い労働唄として郷土民謡大鞘名所の発祥地となりました。
 昭和46年には、「大鞘名所発祥之地」の顕彰碑が、旧鏡町と旧千丁町の合同でこの樋門横に建立されています。             (八代市 文化振興課)




2014年に訪れた  郡築三番町樋門  はこちら ↓  
     http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/08/25/7421368

熊本県玉名市横島町 - 旧玉名干拓施設、潮受堤防と末広開(旧)樋門群 ↓
      http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/04/01/7602005