奈良屋町・古門戸町界隈散策 -- 福岡市博多区 ― 2016-10-30
奈良屋町・古門戸町界隈散策
御供所町、聖福寺よこの、我が家の菩提寺「順心寺」に車を停めさせてもらい呉服町・蓮池界隈~奈良屋町・古門戸町~綱場町とゆっくり歩いて散策してきました。
豊国神社 奈良屋町
豊国神社とは、豊臣秀吉を御祭神として祀る神社であり、全国各地にある神社の総称。
博多の豪商神屋宗湛が建てた祠に由来する。
御供所町、聖福寺よこの、我が家の菩提寺「順心寺」に車を停めさせてもらい呉服町・蓮池界隈~奈良屋町・古門戸町~綱場町とゆっくり歩いて散策してきました。
豊国神社 奈良屋町
豊国神社とは、豊臣秀吉を御祭神として祀る神社であり、全国各地にある神社の総称。
博多の豪商神屋宗湛が建てた祠に由来する。
神屋宗湛屋敷跡 奈良屋町
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。
秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察、町割りに着手。その際当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。
秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察、町割りに着手。その際当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。
練酒の奈良屋九郎兵衛がいた。神屋宗湛の屋敷跡が現小学校。
沖濱稲荷(川上音二郎生誕碑) 古門戸町
川上音二郎生誕碑
「対馬小路」この町の海岸に対馬藩の屋敷があった
対馬藩が豊臣秀吉から拝領した対馬藩の蔵屋敷があったことから、このあたりが「対馬小路」という地名になった。
(ここは現在では古門戸町になっているが、かつてはここも対馬小路だった。)
対馬藩が豊臣秀吉から拝領した対馬藩の蔵屋敷があったことから、このあたりが「対馬小路」という地名になった。
(ここは現在では古門戸町になっているが、かつてはここも対馬小路だった。)
下川端・綱場町界隈散策 -- 福岡市博多区 ― 2016-10-30
御供所町、聖福寺よこの、我が家の菩提寺「順心寺」に車を停めさせてもらい呉服町・蓮池界隈~奈良屋町・古門戸町~綱場町とゆっくり歩いて散策してきました。最後に、リバレイン辺りから御供所に向けて歩きました。
昭和通りより天神地区を望む、
東中島橋-中洲中島町-西中島橋(桝形門-城下町・福岡へと通じる門)があり、
博多と福岡を結ぶ。
東中島橋-中洲中島町-西中島橋(桝形門-城下町・福岡へと通じる門)があり、
博多と福岡を結ぶ。
左が、リバレイン。右がホテルオークラ。
鏡天満宮 博多区下川端町
鏡天満宮 博多区下川端町
延喜元年(901年)菅原道真公が太宰府に左遷され、博多に到着した時に、休息をとり、鏡で疲れきった顔を映した場所と伝えられており、その時の鏡をご神体とすることから「鏡天満宮」という社名になったと伝えられる。
天満宮に必ずある牛と境内社
國廣稲荷神社
細い路地に張り付くように社殿があり、お稲荷さんが祀られています。
中洲の守り神であり商売繁昌の神様として中洲の人たちの信仰を集める神社「國廣稲荷神社」です。
中洲祭「國廣女みこし」の後だったので、
道具類がブルーシートで覆ってありました。
史跡 博多郵便取扱所址
道具類がブルーシートで覆ってありました。
史跡 博多郵便取扱所址
博多の郵便発祥の地 -- 博多座のうらです。
博多郵便取扱所は、明治5年9月、博多川の寿橋のたもと下川端側に設置されました。
と記されています。
博多郵便取扱所は、明治5年9月、博多川の寿橋のたもと下川端側に設置されました。
と記されています。
麹屋多くこの名が出た 古い商家町
綱敷天満宮 綱場町
綱敷天満宮 綱場町
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