山崎橋(やまさきばし) 宇城市豊野町 ― 2016-10-01
尾北の眼鏡橋 - 上益城郡甲佐町東寒野尾北 ― 2016-10-01
美里町の石橋 - 二俣二橋・年祢橋・小筵橋 (熊本地震のあと) ― 2016-10-01
熊本県下益城郡美里町小筵
釈迦院川に3基(二俣渡・年祢橋・新年祢橋)、津留川に2基(二俣福良渡・新二俣橋)が架かって
江戸時代に架けられたものは、二俣橋・二俣福良渡で、川の合流点に直角に交わる全国でも珍しい兄弟橋である。
二俣渡は文政12(1829)年、二俣福良渡は文政13(1830)年に架橋された。
釈迦院川に3基(二俣渡・年祢橋・新年祢橋)、津留川に2基(二俣福良渡・新二俣橋)が架かって
江戸時代に架けられたものは、二俣橋・二俣福良渡で、川の合流点に直角に交わる全国でも珍しい兄弟橋である。
二俣渡は文政12(1829)年、二俣福良渡は文政13(1830)年に架橋された。
二俣福良渡 ・・・ 平成28年熊本地震の被害の為、当面の間、二俣福良渡は通行禁止です。
・形式:単一石造アーチ
・橋長:27m
・橋幅:2.5m
・橋高:8m
・完成:文政13(1830)年
二俣渡
・形式:単一石造アーチ
・橋長:28m
・橋幅:3.3m
・橋高:8m
・完成:文政12(1829)年
年祢橋
小筵橋
国道218より
美里町の石橋 - 小岩野橋・馬門橋・大窪橋・舞鹿野田橋(もうかんだはし) ― 2016-10-01
小岩野橋
熊本県下益城郡美里町岩野
小岩野川に架かる単一アーチの目鑑橋
熊本県下益城郡美里町岩野
小岩野川に架かる単一アーチの目鑑橋
馬門橋
熊本県下益城郡美里町今・佐俣
地震後は渡れません。
※平成28年熊本地震の被害の為、当面の間、通行禁止です
路盤が2段になっている
石柱には、「車一切通遍加良須(くるまいっさいとおるべからず)」と刻まれています。
大窪橋
大窪橋は津留川に架けられた単一石造アーチ石橋 ・・・ 熊本県下益城郡美里町大窪
美里町のHPに、”平成28年熊本地震による被害は、修復が完了しました。”とありました。
被害があったのですね。おつかれさまでした。
大窪橋
大窪橋は津留川に架けられた単一石造アーチ石橋 ・・・ 熊本県下益城郡美里町大窪
美里町のHPに、”平成28年熊本地震による被害は、修復が完了しました。”とありました。
被害があったのですね。おつかれさまでした。
奥の石柱には、「車一切通遍加良須(くるまいっさいとおるべからず)」と刻まれています。
廃棄物かと思ったら、「美里町石橋マップ、ご自由にお取りください」とありました。
一部頂きました。
舞鹿野田橋(もうかんだばし)
熊本県下益城郡美里町二和田字小夏にある小さな石橋
一部頂きました。
舞鹿野田橋(もうかんだばし)
熊本県下益城郡美里町二和田字小夏にある小さな石橋
アーチがきれいな半円でないのが不思議です。力学的に大丈夫なのか心配です。
・形式:石造1連アーチ
・橋長:6.7m
・橋幅:1.80m
・完成:不明(江戸末期頃)
国道沿いに案内板があります。ほかほか弁当の裏にバスが旋回するようなスペースがあります。
・橋長:6.7m
・橋幅:1.80m
・完成:不明(江戸末期頃)
国道沿いに案内板があります。ほかほか弁当の裏にバスが旋回するようなスペースがあります。
美里町の石橋 - 雄亀滝橋(おけだけばし) ― 2016-10-01
県内最古の現役用水橋 雄亀滝橋(おけだけばし)
国道218より4.5Kmほど奥まっていますが、必見です。
国道218より4.5Kmほど奥まっていますが、必見です。
県道153(清和砥用線)を4Km。分岐がありますが案内板があります。
途中、船津ダムが見えます。
この雄亀滝橋(おけだけばし)は文化14年(1817)に砥用の惣庄屋,三隅丈八が開田のため水路を造るには水路橋が必要だと思い、 石工,岩永三五郎に相談し作った水路橋です。
橋の中央に通した水路は石材を使用した石樋(いしひ)で塩を混ぜた漆喰で漏水を防いでいるのです。こ方法は有名な通潤橋(つうじゅんきょう)と同じですね。 通潤橋は嘉永7年(1854年)竣工ですから、この雄亀滝橋(おけだけばし)の方が37年も早くできており、通潤橋を造る時の技術的な手本になったそうだ。
後に石橋造りの名人と言われる岩永三五郎が最初に手掛けた石橋は、はっきりしないが、確実に三五郎が造ったと分かっている 最初の石橋は雄亀滝橋(おけだけばし)だそうだ。
ちなみに岩永三五郎は霊台橋や通潤橋を造った橋本勘五郎の叔父になる人です。橋本勘五郎も叔父である岩永三五郎から石橋架設の技術を伝授されたものと思われます。
・全長: 15.5m
・橋幅: 3.6m
・高さ: 7.4m
・径間: 11.8m
・完成:文化14年(1817)年 よかとこ by 九州 より
橋の中央に通した水路は石材を使用した石樋(いしひ)で塩を混ぜた漆喰で漏水を防いでいるのです。こ方法は有名な通潤橋(つうじゅんきょう)と同じですね。 通潤橋は嘉永7年(1854年)竣工ですから、この雄亀滝橋(おけだけばし)の方が37年も早くできており、通潤橋を造る時の技術的な手本になったそうだ。
後に石橋造りの名人と言われる岩永三五郎が最初に手掛けた石橋は、はっきりしないが、確実に三五郎が造ったと分かっている 最初の石橋は雄亀滝橋(おけだけばし)だそうだ。
ちなみに岩永三五郎は霊台橋や通潤橋を造った橋本勘五郎の叔父になる人です。橋本勘五郎も叔父である岩永三五郎から石橋架設の技術を伝授されたものと思われます。
・全長: 15.5m
・橋幅: 3.6m
・高さ: 7.4m
・径間: 11.8m
・完成:文化14年(1817)年 よかとこ by 九州 より
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