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美里町の石橋 - 霊台橋2016-10-01

霊台橋  - 熊本県下益城郡美里町豊富(船津)
日本一の石橋    国指定の重要文化財です。
緑川本流の最大の難所、船津峡に架けられた全長90mの巨大な石橋です。
単一アーチとしては日本最大級の規模を誇っています。












木鷺野(きさぎの)橋 -- 山都町の石橋2016-10-01

木鷺野(きさぎの)橋
上益城郡山都町(旧矢部町)城原

昨年、探しきれなくて断念。今回、美里の石橋を見た帰り再び探しに行きました。
緑地公園駐車場の奥に、「種山石工技術継承講座実習場」 があり、さらに奥を目指します。
左に階段がありますが右奥に進むと目指す 木鷺野(きさぎの)橋 があります。



この橋は、矢部町島木、木鷺野の県道沿いの小川に、天保13年(1842)3月完成して架かっていた小型の眼鏡橋です。
昭和63年(1988)5月3日の豪雨による災害復旧工事のため撤去されていたものをこの緑地公園に移築復元されたそうです。


2014年に訪れた、様子は ↓

山都町 通潤橋の近くで発見!!「種山石工技術継承講座実習場」
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/07/26/7398527

八勢橋(やせばし) - 御船町の石橋 - 熊本地震のあと -2016-10-01

八勢橋(やせばし)
上益城郡御船町上野、旧日向街道八勢渓谷の石橋です

山都町から熊本方面へ向かうと、七滝あたりから迂回の指示あり。
全面通行止め区間は御船町の滝尾−七滝間約7キロ。
地震で落石や路面の亀裂が相次いで生じたほか、下鶴橋付近の斜面が高さ約45メートル、幅約50メートルにわたって崩落。   との情報、心配です。

八勢橋の近くを通ったのでちょっと寄ってみました。
大丈夫だろうと思って見に行きましたが、悪い予想が当たっていました。


                            石畳の道方向から望む。上流側が崩壊。


                           下流側から望む、雄姿を保っています。

                           石畳の道


熊本地震での落石などにより、山都町と御船町を結ぶ国道445号の一部区間で全面通行止めが続いている。山都町から熊本市方面に至る主要道路だが、解除の見通しは立っていない。 県上益城地域振興局土木部によると、全面通行止め区間は御船町の滝尾−七滝間約7キロ。地震で落石や路面の亀裂が相次いで生じたほか、下鶴橋付近の斜面が高さ約45メートル、幅約50メートルにわたって崩落。岩交じりの土砂が道路をふさいでいる
(熊本日日新聞の情報より)



2014年に訪れた時の模様 ↓

御船町の石橋 -- 八勢橋 ―
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/07/24/7397200







門前川(もんぜんがわ)眼鏡橋 - 御船町の石橋2016-10-01

門前川(もんぜんがわ)眼鏡橋
上益城郡御船町木倉字西木倉 
架橋:文化5年(1808)
架橋当時は熊本から矢部を通り宮崎県日向に向かうための橋として重要な役割を果たしていたようです。





この石橋は、今も登下校の通学路となっており、地域の人々の生活の中で使われていましたが、現在は地震被害の為通行止めです。

                           橋の輪石の石組みを楔で止めるという手法が特徴。 



旧唐津銀行 - 佐賀県唐津市2016-10-11



















名称:旧唐津銀行
所在地:佐賀県唐津市本町1513-15
竣工:1912年(明治45年)
設計監修:辰野金吾(唐津市出身)
設計者:田中実(辰野金吾の愛弟子、清水組技師)
敷地面積:1,431.73㎡
延床面積:906.99㎡
階数・高さ:地上2階、塔屋、地下1階
建築構造:煉瓦造り
用途:2F:展示施設
    1F:多目的ホール、休憩スペース
    B1F:レストラン唐津迎賓館
営業時間:午前9時~午後6時
休館日:12月29日~12月31日
施設観覧料:無料
展示施設観覧料:常設展示:無料

明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店。
その誕生は、東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、唐津近代産業の牽引役であった藩校の同級生「大島小太郎」より依頼を受けたことから始まる。建築家として最盛期を迎えていた辰野は、永年の夢であった国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中であったため、唐津銀行の設計を愛弟子の「田中実」に委ねた。田中は、師匠の故郷であることに配慮し、建築全体のデザインには典型的な「辰野式」を採用するとともに、「建築家田中実」として赤レンガ調タイル等を用いた独自のデザインを取り入れた。まさに、辰野と田中の師弟愛から生まれた共作であった。

竣工当時、辰野金吾57歳、田中実27歳。
日本初の建築家として夢へ挑み続け、その生きざまを郷土へ遺すことを最愛の弟子に託した辰野。師匠の故郷を前に、崇高な使命感と強い意志で臨んだ田中。おのおのの情熱から、旧唐津銀行の美しい建築が生まれたのだ。先人たちの熱き精神と、人間物語を知らずして、もはや唐津は語れない。
(唐津市観光課 HP より)

銀行としての営業は平成9年まで続き、平成10年に唐津市に寄贈されています。