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旧唐津銀行 - 佐賀県唐津市2016-10-11



















名称:旧唐津銀行
所在地:佐賀県唐津市本町1513-15
竣工:1912年(明治45年)
設計監修:辰野金吾(唐津市出身)
設計者:田中実(辰野金吾の愛弟子、清水組技師)
敷地面積:1,431.73㎡
延床面積:906.99㎡
階数・高さ:地上2階、塔屋、地下1階
建築構造:煉瓦造り
用途:2F:展示施設
    1F:多目的ホール、休憩スペース
    B1F:レストラン唐津迎賓館
営業時間:午前9時~午後6時
休館日:12月29日~12月31日
施設観覧料:無料
展示施設観覧料:常設展示:無料

明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店。
その誕生は、東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、唐津近代産業の牽引役であった藩校の同級生「大島小太郎」より依頼を受けたことから始まる。建築家として最盛期を迎えていた辰野は、永年の夢であった国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中であったため、唐津銀行の設計を愛弟子の「田中実」に委ねた。田中は、師匠の故郷であることに配慮し、建築全体のデザインには典型的な「辰野式」を採用するとともに、「建築家田中実」として赤レンガ調タイル等を用いた独自のデザインを取り入れた。まさに、辰野と田中の師弟愛から生まれた共作であった。

竣工当時、辰野金吾57歳、田中実27歳。
日本初の建築家として夢へ挑み続け、その生きざまを郷土へ遺すことを最愛の弟子に託した辰野。師匠の故郷を前に、崇高な使命感と強い意志で臨んだ田中。おのおのの情熱から、旧唐津銀行の美しい建築が生まれたのだ。先人たちの熱き精神と、人間物語を知らずして、もはや唐津は語れない。
(唐津市観光課 HP より)

銀行としての営業は平成9年まで続き、平成10年に唐津市に寄贈されています。


肥前名護屋城 -- 佐賀県唐津市鎮西町名護屋2016-10-11



名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城です。
1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。
城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。
周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。
築城は1591(天正19)年に始まり、諸大名による割普請(わりぶしん)によってわずか数ヶ月で完成したといわれています。
江戸時代の初期に破却(はきゃく)されたと考えられ、石垣が広範囲にわたって崩されています。
名護屋城博物館HPより


大手口



左の櫓台

                                                       右の櫓台

登城坂


                                                      東出丸の櫓台

                           東出丸から三ノ丸へ











本丸・本丸御殿跡


本丸御殿跡

青木月斗句碑




                           遊撃丸   天守台より望む

                           二ノ丸   天守台より望む





















                           三ノ丸から、二ノ丸へ向かう馬場




                           名護屋城博物館