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福岡市南区老司 - 老松神社・老司地禄天神社・老司堰2015-03-26

福岡市南区の南西部に位置する、、国道385号線と県道49号線が老司四つ角で交わる交通の要所でもあります。
老司には福岡市でも自慢できる国指定史跡「老司古墳」と「老司瓦窯跡」があります。

老松神社
福岡市南区老司4-6-1


御祭神   (祭神案内板)
配祀 父 菅原是善公
主神 菅原道真公
配祀 母 吉祥院様

拝殿

拝殿の扁額

拝殿内

由緒

本殿へ向かう階段

本殿

本殿の扁額と彫刻

末社 日吉神社住吉神社。(本殿の右)


稲荷神社 京都伏見稲荷。(本殿の左)



治水記念碑(老松神社境内)
1912年(大正元年)、老司大池と笹池が枯渇し灌漑用水が供給できないという事態に、
隣接する岩戸村片縄区に訴え余剰水を分けて頂くよう懇願し、大正3年3月に竣工。
その時の治水記念碑です。

境内。





老司地禄天神社












老司の堰


石井樋





老司堰の100mくらい下流に架かる、警弥郷橋。
 警弥郷橋
 那珂川に架けられた最初の橋は、黒田のご城下と日本一の商都博多を繋ぐ中島橋と言われています。
江戸時代に作られた筑前国図には那珂川にはこの橋のほかに警固橋(老司-上警固間:現警弥郷橋)と橋本橋(別所-山田間)が有ったと記されています。明治34年大日本帝国陸軍測量地図によるとその後春吉、住吉、簑島、塩原、井尻橋が架かりました。
「警弥郷」・・・上警固、弥永、東郷の三町名の一字をとって大字名となりました。
  【老司公民館HP-老司を知ろう(14)より】  

昔の警固橋(老司-上警固間:現警弥郷橋)



老司には福岡市でも自慢できる国指定史跡「老司古墳」と「老司瓦窯跡」があります。

老司の地名の由来
<粮司>・・・6世紀の初め、大和朝廷の成立とともに太宰府の前身である「筑紫の宮家」が設定された頃、粮米を司った役人がいた所であろうという言い伝えがある。    
<老子>・・・南北朝期から室町期に見える村名。筑前国那珂郡廊子村とも書く。太宰府天満宮安楽寺領(荘園)。
          【老司公民館HP-老司を知ろう(1)より】                    ※(粮=糧、兵粮=兵糧)

少年院正門近くに案内板があります。


少年院敷地北西に案内板があります。

老司公民館まえに設置された、老司瓦のモニュメント。