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福岡市西区今津 - 今津地区元寇防塁 と 蒙古塚2015-03-07

                                                                                   ※写真は click! で拡大されます。

元寇防塁(今津地区)


この松原のなかにある玄武岩が防塁跡、砂に埋没した遺跡を掘り出し復元されています。

現在松原の中に約200mが復元整備され見学ができます。
今日は、たまたまJRウォーキングのおかげで柵の中から撮ることが出来ました。
右の土の部分が、昔は砂浜で、高さ2.5~ 3mほどあったらしいです。
先の方で、石垣が少ないところがあります。
地元の人が持ち帰って使っていたとの話もあります。
ひょっとしたら、福岡城に使われていたかも???


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 文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼ぶ。
 今津地区の元寇防塁は、西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に、約3kmにわたって続く。大正2年にこのうちの2ヶ所が、昭和43年に本格的な発掘調査が行われた。
 防塁は、砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に石を積み、内部の隙間には砂を入れた構造であった。構築に際して粘土は一切使用されていない。防塁の石材は西側が柑子岳に産する花崗岩、東側が毘沙門山に産する玄武岩が多く、中央部は玄武岩と花崗岩が交互に連続して続いている。今津地区の防塁築造を担当した日向国、大隅国の違い、またふたつの国内での担当者の所領(領地の広さ)に応じて築いた工事区間の長さを反映しているものであろう。
 また今津には千人塚、万人塚と呼ばれる二つの蒙古塚もあるが、大正時代に行われた発掘調査の結果では、元寇に関係した遺跡であることを示す資料は得られなかった。  
                                                                         (福岡市経済観光文化局HPより)
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                                         長浜海岸の多目的広場より、毘沙門山を望む。

長浜海岸の多目的広場より、標高254mの柑子岳を望む。





蒙古塚





ちょっと長くなりますが
司馬遼太郎さんの「街道をゆく 11」で、須田画伯と、編集部Hさんとの旅の途中、
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機上で地図を見ているうちに、博多湾を抱いている寸足らずの半島(糸島半島)に「蒙古塚」という小さな活字が入っているのを知った。
「とりあえず、ここへ行きましょう」
<中略>
江戸期には、福岡から唐津までの国道202号線を「唐津街道」とよんでいた。われわれはこの旅の第一日をその街道を経て唐津までゆくことですごすつもりでいるが、地図によれば「蒙古塚」というのは街道沿いの今宿から右へ入って10キロも行けば所在するらしく、大した寄り道にならない。
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               で、司馬さん一行は、今宿で右折し、北に向かい国道202号線と離れ、
               今津あたりでゴム長をはいた自転車を押す池先生と遭遇する。

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「ちょっとおうかがいしますが」 この辺に蒙古塚というのがありますか、と聞くと、
池先生は当惑したような表情を作って、即答されなかった。やがて
「あるにはありますが」
と、語尾を濁された。あとでわかったことだが、池先生自身、それが元軍の死者の塚であるかどうか、うたがわしいと思っておられるために、ついこの表情になったらしい。
「土地では灰掻山とよんでいます」 訪ねる人もないという。
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野の花学園の中に塚があるとの記述もありました。
地元のことでもあり、印象に残った一節でした。やっと自分の足で確かめることが出来ました。


元寇殲滅之處
野の花学園の東200mほどのところ(登志神社の裏手)に丘があり、その頂上に「元寇殲滅之處」と大書した石塔が建っている。大正4年の建立。