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長崎街道 立場茶屋銀杏屋・石坂の急坂 (北九州市八幡西区石坂)2018-11-12

長崎街道 立場茶屋銀杏屋・石坂の急坂

小嶺の一里塚跡 ~ 立場茶屋銀杏屋・石坂の急坂 ~ 茶屋の原の一里塚


小嶺の一里塚跡
国道200号線西鉄バスの小嶺バス停すぐ。黒崎側から右側。 よく探さないと見逃します。
ガードレールの設置にちょっと気遣いが欲しいです。








立場茶屋銀杏屋 (たてばぢゃやいちょうや)   
八幡西区石坂一丁目4-6
 
立場茶屋銀杏屋
銀杏屋は、江戸時代の長崎街道・黒崎宿と木屋瀬宿の間の休憩所で、諸大名も籠を降りたというほど、急な石坂を上った所に設けられました。一般旅人の休憩所ではなく、大名たちの「御小休所」でした。 宿泊はできませんでしたが、伊能忠敬らもここで昼食を取った記録が残されています。               左奥が、石坂の急坂です。



現在あるものは、文化2年(1805)に建築されたもので、一般の農家でありながら書院造にされた「上段の間」が母屋と一緒に一棟で建てられている極 めて珍しいものです。

                        「上段の間」
中央の枯れた幹は、天保7年(1836)の火災で生じたものです。火災後に辛うじて残った根株から芽がでて、現在の4幹立ちの大木に成長しています。  幹周り6.43m、樹高16.3m。
銀杏保存のため、平成10年度に幹の剪定や土壌改良などの樹木治療を行いました。



「上段の間」の天井裏は「土」で 塗り固められている。理由はよくわからないそうです。












石坂の急坂
八幡西区石坂二丁目5番
 江戸時代、この地は長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にある難所でした。下石坂への道は現在階段になっていますが、急坂が残っています。












茶屋の原の一里塚
小嶺と茶屋の原の間は距離が1里に満たず、 六合道と呼ばれていました。
これは、アケ坂、石坂などの険しい坂道があったことを配慮したものと思われます。








明稲荷大明神
真名子公民館の敷地中にあります。街道はゆるい下り坂を木屋瀬宿に向かいます。