古処山に登りました。秋月街道・八丁峠 2014-09-15 ― 2014-09-18
2月は雪の古処山でしたので、爽やかな秋にリベンジです!
秋月街道 八丁越コースから登りました。
前回は、本覚寺さきの駐車場に車を置きましたが、今回はお蕎麦屋さん手前の空き地に・・・
秋月街道 旧八丁道からスタートです。
秋月街道 八丁越コースから登りました。
前回は、本覚寺さきの駐車場に車を置きましたが、今回はお蕎麦屋さん手前の空き地に・・・
秋月街道 旧八丁道からスタートです。
国道R322出合
だんごあんから国道。またすぐ前の秋月街道・八丁道へ。
昔ながらの石畳が残った峠道
爽やかな風を感じて、ゆっくり・・・・・
今回の目的は、秋月街道・八丁峠であります。
秋月街道(あきづきかいどう)は、豊前国小倉藩と筑後国久留米藩を結んでいた街道で
宿場は、徳力-呼野-採銅所-香春-猪膝-大隈-千手-秋月-野町-松崎。
現在の国道322号にほぼ一致します。また、長崎街道のバイパスでもあったそうです。
古くは7世紀に大宰府と豊後国を結ぶ街道として整備され、その後も筑後と豊後を結ぶ要路として繁栄したそうです。
江戸時代初期に秋月藩主黒田長興の意向で八丁峠越えのルートが秋月城下を通らないように変更され(城下の様子が他国者に詳しく知られるのはまずいという理由)、新ルートが不便だったため長崎街道への交通の移転が進んだといわれています。
今回の目的は、秋月街道・八丁峠であります。
秋月街道(あきづきかいどう)は、豊前国小倉藩と筑後国久留米藩を結んでいた街道で
宿場は、徳力-呼野-採銅所-香春-猪膝-大隈-千手-秋月-野町-松崎。
現在の国道322号にほぼ一致します。また、長崎街道のバイパスでもあったそうです。
古くは7世紀に大宰府と豊後国を結ぶ街道として整備され、その後も筑後と豊後を結ぶ要路として繁栄したそうです。
江戸時代初期に秋月藩主黒田長興の意向で八丁峠越えのルートが秋月城下を通らないように変更され(城下の様子が他国者に詳しく知られるのはまずいという理由)、新ルートが不便だったため長崎街道への交通の移転が進んだといわれています。
再び国道出会。 案内の看板があります。
チョッとだけ国道を歩きます。
いよいよ古処山へ。
緩やかな上りで、道幅も広いです。
お城に向かう道だったのでしょうか??
お城に向かう道だったのでしょうか??
石仏群をみながら
非難小屋があります。ここが馬攻めの広場でしょうか?
馬攻めの広場?
石仏群のなかにありました。
宮地嶽大明神
古処山の頂上
前回は、屏山まで行きましたが、
奥の院・大将隠しにむかいました。
奥の院・大将隠しにむかいました。
大将隠し。
鎖をつたって降りるようになっていました。
軟弱ものはスルーしました。
軟弱ものはスルーしました。
ツゲの林を進みます。
分岐。水舟のほうへ降ります。
水舟。
この1週間は雨が無かったような記憶ですが、沢の水量はすごかった。
沢沿いの石畳の道も水が流れていました。
沢沿いの石畳の道も水が流れていました。
古処山の下りは、石が多く疲れます。
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