山都町の石橋 -- 夕尺橋、立野橋、滑川橋、山中橋 ― 2014-08-05
通潤橋に向かう途中、御船より国道445号線沿いにたくさんの石橋があります。
アップが遅くなりましたが、7月19日通潤橋の帰りに撮った石橋群を紹介します。
農道に架かった橋で、うっかり見落としそうです。
夕尺橋(ゆうじゃくばし) 山都町
所在地:上益城郡山都町金内
架橋:不明
石工:不明
長さ:4.3メートル、高さ:1.9メートル、幅:2.1メートル
江戸の末期、日向往還に架けられた橋。
金内橋 国道445号沿い。
国道445号が御船川を渡るすぐ上流に見える。金内菅原神社すぐそば。
国道445号が御船川を渡るすぐ上流に見える。金内菅原神社すぐそば。
嘉永3年(1850)3月に御船川に架橋された、全長31m、幅5.5m、高さ7.4mの目鑑橋。昭和8年7月の改修工事で欄干を含む上部と石垣の補強のためコンクリートで被われており、石橋と気付きにくいが、山都町唯一の大小二連の目鑑橋。大きさは通潤橋に次いで大きく、聖橋とほぼ同じ大きさ。大きなアーチは御船川の本流をまたぎ、小さなアーチは嘉永福良井手の取入れ口となって、すぐ下流にある水路橋の立野橋に繋がっている。この井手は総延長16.5kmにおよび島木一帯59haの水田を潤している。矢部惣庄屋 布田保之助が架けさせた石橋で石工棟梁は宇市と丈八。両名とも名工とうたわれたこの兄弟は、4年後に通潤橋を完成させる。明治10年の西南戦争の時には、薩摩軍・官軍ともにこの場所で休憩を取ったと云われている。50m程下流の中央には巨岩があり、目鑑橋が架かる以前の木橋の橋脚だったと思われる。また、周辺は水辺公園になっており、公園からの景色もまた美しい。山都町指定文化財。 (山都町観光協会HPより)
445号から下り、更に左手にあります。最初、通り過ぎてしまい、バックしてきて見つけました。
夏場は、草に覆われ橋の石積み部分は見れませんでした。
立野橋(たてのばし) 山都町/山都町指定文化財
所在地:上益城郡山都町金内
架橋:不明
石工:不明
長さ:30.3メートル、高さ:6メートル、幅:2.6メートル
500メートル上流にある大小二連の金内橋と同時期に造られたそうです。
橋の半分は道路、残り半分は段下がりで水道橋(福良井手)になっている。
通潤橋建造のための試作品という説もある。
※445号から左に下ると、木工所があります。木工所の前を更に左に下るとすぐです。
立野眼鏡橋、日向往還道標。
滑川橋(なめらかわばし) 山都町
県道として利用されたのち、国道の下に潜む形へと変化した。
幅員・拡張でコンクリート補強されているが、川面から眺める
アーチ部分に往時の姿をしのばせる。
現在も国道445号を支える大事な橋として活躍している。
■所在地:上益城郡山都町北中島
■架橋:大正5年(1916年)
■石工:不明
■長さ:7.3メートル、高さ:4.4メートル、幅:5メートル
445号より北へ2kmほど走ります。
公民館らしきところより左に200mの看板あり。100mほどで左折。
民家の並びを通りぬけると視界が広がり山中橋が見えます。
山中橋(やまなかばし) 山都町
山間の集落を流れる船川に架かる小さな橋。
所在地:上益城郡山都町北中島
架橋:嘉永3年(1850年)
石工:宇市
長さ:12メートル、高さ:6.1メートル、幅:2.25メートル
帰りに、山中大橋より望む。
次回訪問の時には、今回行けなかった 御船の門前川眼鏡橋、山都町の金内橋、木鷺野眼鏡橋はぜひ立ち寄りたいと思います。
柳川 - ひまわり園 2014.07.30 ― 2014-08-05
郡築三番町樋門 - 熊本県八代市 ― 2014-08-25
同窓会で毎年八代に行きます。
昨年も総会翌日は雨でしたので、今回は当日行ってきました。
この郡築三番町樋門は、国や県でなくて郡が建築主体として実施しましたので「郡築」であり、三番町に築かれたので、この名前が付いています。
現在は、鉄板で仕切られた水路。
アーチ部分には赤レンガを使用。きれいな切石です。
佐敷城 - 薩摩街道佐敷宿 ― 2014-08-25
二見地区の石橋を観て廻ろうと八代を出ましたが、曇り空。
30分もしないうちにドシャブリの雨。そのまま芦北・佐敷に向かいました。
友人のお蕎麦屋さんに寄ろうかなって・・・
なんとか雨もおさまり、佐敷宿を散策。佐敷城に行ってきました。
国史跡 佐敷城
平成20年3月 佐敷城跡として国史跡に指定されたようです。
本丸西門跡
本丸より、二の丸、三の丸を望む。
天守台より不知火海を望む。
天守台より人吉方面を望む。
本丸東門跡
二の丸東門跡
追手門跡
天下泰平銘鬼瓦発見の説明板
薩摩街道佐敷宿
芦北町の交流館「桝屋」
佐敷城のパンフや薩摩街道のパンフなどが置いて
あります。
町並みも景観重視で趣があります。
お城の下にある、「武徳殿」剣道・柔道を行う武道場だった。
1階窓を大きく開くなど武道場らしい工夫がみられる特徴ある建物
佐敷城跡から出土した「天下泰平國土安穏」鬼瓦(熊本県指定重要文化財)
400倍の巨大モニュメントです。
佐敷城代加藤重次の縁者の墓石(芦北町指定文化財)
八代市二見の石橋 - 薩摩街道に架かる石橋群 ― 2014-08-25
肥後と薩摩を結ぶ薩摩街道は、八代市日奈久を過ぎると不知火海の海岸を南下します。そして、すぐ二見川を溯(さかのぼ)るように山間部に道は延び、川沿いに幅2mほどで続く街道は自然に逆らわず、地形に合わせて身をくねらせながら赤松太郎峠に向かって続いています。
新免眼鏡橋(しんめんめがねばし)
3号線から見えます。
中央が盛り上がった太鼓橋となっています。側面には丁寧な石積みが見られます。
嘉永6年(1853年)頃
赤松第一号眼鏡橋 、嘉永5年(1852)頃
赤松バス停から西へ旧道を入ると案内板があります。
橋の両側の欄干には扇面やひょうたん等の色々な彫刻が施されています。
親柱、押さえ石、ちょっと丸みをおびた欄干、御船町の下鶴眼鏡橋を思い出します。
50mくらい上の、旧国道から望む。
こんな看板を発見! 四隅には黄色い三角コーンが・・・・・
地元の方々の意識で守られているのがわかります。
大平眼鏡橋(古橋)は、残念ながら行けませんでした。
場所的には、赤松第一号眼鏡橋からさらに西の方角に入ったところみたいです。
大平眼鏡橋(新橋)
明治38年(1905)5月大牟田の実業家、円佛七蔵氏に
よって築造されたと石碑に刻んであります。
国道3号側から撮影。二見の石橋群の中で、最も新しく
最も大きいです。
小籔眼鏡橋のすぐ上に発見!
「御籠据所跡」(おかごすえどころあと)と書いてあります。
参勤交代の際に、各坂や峠の頂上には籠をとめ、
行列を休ませるための場所が設けられたそうです。
小籔眼鏡橋 嘉永5年(1852)頃
コンクリートで補強されているみたいで、壁石のほとんどが見えなくなっています。
須田眼鏡橋
上小藪バス停から右手に降りて、民家を2軒ほど通って田んぼに出ると見えます。
二見川に架かる石橋の中では最も上流にある橋です。
架橋の年代は、嘉永2年(1849)頃です。
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