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山都町 通潤橋の放水! ①2014-07-20

5月の連休以降お休みだった観光放水が始まりました。
7月19日(土)、早速行ってきました。

2ヶ月半ぶりの放水シーンです。















笹原川の堰から取水した水を、白糸台地と笹原地区に均等に分配するための施設、円形分水。
円形分水から6km下流の地点にある、通潤橋の橋面との標高差は7mもある水槽。
石管など、いろいろ勉強して来ました。
帰りには、のんびりと山都町から御船町までの石橋を楽しみました。
後ほどアップします。

山都町 通潤橋の放水!②2014-07-20

5月の連休以降お休みだった観光放水が始まりました。
7月19日(土)、早速行ってきました。

改めまして、通潤橋の概要です。
水路を作るために、この立派な石造りに感服します。
農民の信念と石工の意地で完成したのでしょう!



放水目当てでしょうか?観光バスも・・・・・  駐車場はいっぱいでした。


岩尾城跡からぐるっと一周し、撮影場所を探しました。


約6km離れた笹原川より引き込んだ水路。

係りの人が、放水準備にかかります。

係りの方の右に波立っているところに堰があり、水量が調節され手前の水槽に水が流れ込みます。



水槽の奥、通水管につながっています。





赤い帽子の係りの方が放水の栓を・・・   いよいよです。

放水開始の瞬間。

水槽と橋の7m落差と水量のせいか、かなりの勢いです。

放水スタートから20分経過、水の勢いもだいぶ落ちてきました。

石管の裏・表をしっかり見ると、それぞれの溝が繋がるように作られています。
それでも水漏れがひどく、ニカワかなにかで成功したと聞いたことがあります。

次は、円形分水に向かいます。

山都町 通潤橋~ 円形分水、笹原の石磧、聖橋2014-07-20

国道218号線を高千穂方面へ2kmほど行くと聖橋があります。
円形分水はこの橋を左折です。

聖橋は、矢部・清和地区では最古の眼鏡橋で、熊本と宮崎を結ぶ日向往還の橋として、天保3年(1832年)にできました。
橋が架けられたときは男成川目鑑橋(おとこなりかわめがねばし)とよばれていましたが、近くに男成橋が架けられた後に、間違わないように聖橋とよばれるようになりました。橋の長さは35m、幅5m、高さ12mの立派な橋です。
石工は、八代郡野津手永の石工、岩永三五郎


                           通潤橋より6km上流にある円形分水です。  
                           笹原川の堰から取水した水を、白糸台地と笹原地区に
                           均等に分配するための施設です(比率は白糸台地7:笹原地区3)。
                          ここから通潤橋に水が流れていきます。







                           円形分水のすぐ横にあります。
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 笹原集落の北側を流れる笹原川に、川原48メートル、流長20メートルの灌漑用石磧がある。これは1848年4月に完成したもので、矢部惣庄屋布田保之助が、小笹、野尻地区の灌漑用に造った石磧である。流れの水圧を少なくし磧の崩壊を防ぐために、創意工夫して築造されたもので、矢部に残っている、唯一の石磧で貴重なものである。磧の面積は960平方メートルで、裏面の石垣が亀の甲のような形に組まれているので、通称「カメ磧」ともいう。人夫1125人を使用している。                                                                         ( 土木遺産in九州HPより)
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御船町の石橋 -- 八勢橋2014-07-24

通潤橋に向かう途中、御船より国道445号線沿いにたくさんの石橋があります。
熊本県御船町、八勢川に架かる二つの橋を訪ねました。

肥後と日向をむすぶ日向往還。
軍見坂を越え不便で険しい八勢川に1855年(安政2年)、八勢眼鏡橋が架けられ石畳の道も出来ました。
1886年(明治19年)、人の往来や物資の輸送を良くする為、御船川に近い八勢川下流に 下鶴橋が完成。
時代の変転、交通量の激増と交通機関の激変により、石橋もついに役目を終え、隣接したコンクリの新橋にとって変わりました。ひっそりと勇姿を残しています。

八勢の眼鏡橋(やせのめがねばし)     --- 上益城郡御船町上野

長さ56m、幅4.35m、高さ10.3m
安政2年(1855年)3月に完成
八勢川は増水すると不便で危険であったため、安政2年(1855)、御船の材木商林田能寛が私財を投じて架設したそうです。一帯は公園として整備されていて時代を感じることができます。
西南戦争の際、敗走する薩摩軍もここを通ったとされてます。





八勢眼鏡橋を下流側から望む。 右側に下の写真の八勢小橋がつながっています。

八勢(やせ)小橋       架橋:安政初期(1855)ごろ 石工:甚平     径間:1.4
八勢水路橋に水を通すために作られた石橋で、八勢眼鏡橋とは大小2連の眼鏡橋

八勢水路(やせすいろ)橋    架橋:文化11年(1814)石工:不明  長:2.2 巾:2.5 径間:1.6
八勢水路橋からさらに40年も前に架設された石橋で、農耕用水を通す目的で作られた水路橋


                            奥が石畳の道です。

鎌倉・室町・江戸・明治、肥後と日向を往き還りした古道。日向往還。
立ち寄りたいところがたくさんあります。またゆっくり訪れたいところです。

御船町の石橋 -- 下鶴橋2014-07-24

通潤橋に向かう途中、御船より国道445号線沿いにたくさんの石橋があります。
熊本県御船町、八勢川に架かる二つの橋を訪ねました。

肥後と日向をむすぶ日向往還。
軍見坂を越え不便で険しい八勢川に1855年(安政2年)、八勢眼鏡橋が架けられ石畳の道も出来ました。
1886年(明治19年)、人の往来や物資の輸送を良くする為、御船川に近い八勢川下流に 下鶴橋が完成。
時代の変転、交通量の激増と交通機関の激変により、石橋もついに役目を終え、隣接したコンクリの新橋にとって変わりました。ひっそりと勇姿を残しています。

下鶴橋     -  上益城郡御船町滝尾
下鶴橋は長さ71m(本体部分24.9m)、幅5.3m、アーチ径間23.55mで霊台橋、通潤橋につぐ日本で3番目に大きい単連アーチ橋です。明治15年(1882年)、種山石工・弥熊を棟梁とし、その父橋本勘五郎の指導によって建設が進められました。

                           下流側より望む

                           親柱、擬宝珠柱とその飾り石をかねた押さえ石には、徳利。

                           こちらは、杯です。

                           上流に向かう小道から・・・・  みごとな石積みと欄干です。                           
                            擬宝珠柱と丸みを帯びた欄干は、見事な石造り



                           上流側より望む。