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玉名市 高瀬裏川、花しょうぶまつりと石橋 -- 高瀬目鏡橋・秋丸目鏡橋2014-06-01

玉名市 高瀬裏川 花菖蒲まつりに行ってきました。
2日前の情報で5分咲きでしたので、ころあいかなって思い伺いました。(2014.05.30)
目的は、7割が石橋で菖蒲が3割ってとこですかね。


上流側を望むと、裏川の架かる桁橋が一望できます。
下流側に、高瀬目鏡橋・秋丸目鏡橋が架かっています。

高瀬目鏡橋
                           高瀬目鏡橋。上流側より。

                           上流側から望む。水切り

                           高瀬目鏡橋。下流側より。
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高瀬目鏡橋
所在地:玉名市高瀬
玉名市永徳寺に所在する御蔵御茶屋と熊本城とを結ぶ要衝の地であった菊池川の支流裏川にかかる橋です。
全長15メートル、幅員4メートル、スパンドレルの径6.7メートルの規模をもつ凝灰岩の二重橋で、嘉永元年(1848)町奉行高瀬寿平によって架けられたものです。2つのアーチと、仲ふくらみ反りかえる路線の曲線的な美観と、学理に基づく石造技術は実に見事です。
(玉名市ホームページより)
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秋丸目鏡橋
上流側からみたアーチ。

下流側からみた、樋門。


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秋丸目鏡橋
所在地:玉名市高瀬
秋丸目鏡橋は天保3年(1832)高瀬大橋より700メートル上流、菊池川本流より分かれた運河、裏川に架設されています。阿蘇溶結凝灰岩でできていて、全長11.70メートル、幅員は樋門を含み6.45メートルあります。
水流量を調整する分流板を備え、樋門、敷石等の施設を付属させた石造橋で、技術的に優秀で、県内では大変珍しい橋です。

・天保三年築造という県下でも古い部類に属する眼鏡橋である。
・堅固な構造を利用し、樋門の支えとしている。これは裏川上流、水田280ヘクタールを菊池川洪水時の逆流による冠水から防止するためのものである。
・河床は、橋上流3メートルから下流10メートル(現在3メートル)までを石畳としている。

築造年代が輪石に刻まれて確実に判明し、しかも県下でも種山石工活動前の古い時期に属する石造橋である。またそれ以上に重要なのは、樋門を併設湛設し、水田300ヘクタールを洪水から防ぐ機能を有していることである。利水上の機能を有する石造橋は多いが、湛水防止の役割を併せ持つ石造橋は国内でも稀有のものである。                      (玉名市ホームページより)
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                           みごとに整備された水際の空間です。

                           上流の桁橋につづく・・・・

玉名市 高瀬裏川、花しょうぶまつりと石橋 -- 高瀬裏川の桁橋群2014-06-01


                      高瀬裏川の桁橋群。手前より 土戸橋、酢屋橋、小崎橋、上町橋。
























裏川より商店街に抜ける道。風情がありますね。

なつかしい「高瀬あめ」が並んでました。

奥の高瀬蔵にて物産展が開催されていました。

上町橋から登れます。






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天正16年(1588)加藤清正の肥後入国後、大河川の治水と渡し場、米の集散場設置のため河口を改修しました。菊池川、緑川、球磨川を選び、その河口の高瀨、八代、川尻の三河口をつくって、産業、経済、交通の中心をこれらの地に設定しました。
船着場周辺には菊地川流域の米の集積地として米蔵が設置され、城北産米の陸揚げと、積み出し船の発着場として整備が行われました。加藤氏の改易後、船着場は細川氏が受け継ぎ、堤防下の川岸に堅固な石畳と石垣を築き、間を切って米蔵へ通ずる石段と、米蔵より川へ通ずる石敷の坂道と川へ突出する石畳を設けました。上流の菊池、山鹿方面と玉名の一部から平田舟によって運ばれた米俵は上手の船着場より石段を登って蔵入され、蔵出し俵は「俵ごろばかし」と呼ばれる石敷の坂をころがして、停泊中の船へと積みこまれ大坂堂島の蔵屋敷へ納められた。流域からは年間25万俵が高瀬御蔵から積み出された米は「高瀬米」と呼ばれ大阪の米相場の基準となっていました。                              (玉名市ホームページより)
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昭和55年以前はドブ川化していたのを緑化モデル地区として整備され「高瀬裏川水際緑地」
が完成したそうです。歴史と景観の保護に感謝です。