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志賀島 散策 志賀海神社~金印公園~二見岩2019-11-13




志賀海神社


遥拝所



参道の中程にある上野市兵衛商店 ・・ 玄界灘の荒波で育った新鮮な干物「一塩魚」

有名な 中西食堂   お昼は、サザエ丼をいただきました。


志賀島渡船場



金印公園





蒙古塚(蒙古軍供養塔)





休暇村志賀島

下馬ヶ浜    奥は玄海島です
下馬ヶ浜から歩いていくと小高い丘が仲津宮、小さな島が、沖津島。 白い鳥居があります。



勝馬小学校から海に向かうと
表津宮(うわつぐう)跡地・中津宮・沖津宮があります。
表津宮が現在の志賀海神社となったようです。

中津宮(勝馬宮)


         中津宮社殿
        社殿・本殿の横、沖津宮の遥拝所でしょうか?

       沖津宮側からの登り口です



沖津宮が鎮座する沖津島
沖津宮から先が、舞能(まいわざ)ヶ浜・御手洗






潮見公園展望台




火焔塚(かえんづか)






二見岩

比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅-① 【比叡山坂本】2019-11-21

比叡山延暦寺の門前町として栄えた坂本

3月は、琵琶湖から南禅院まで琵琶湖疎水を歩きました。
今回は、比叡山坂本から比叡山延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅です。


里坊は、山上での修行を終えた老僧に与えられた坊舎で、いずれの里坊にも自然石を用いたり、借景などの趣向を凝らしたみごとな庭園があり、サツキ、紅葉、苔などが美しい色合いを見せています。

坂本は穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる城の石垣などを作った石工集団の出身地であり、里坊の石垣は自然石を巧みに積み上げた堅固(けんご)なもので、白壁の塀と調和してしっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせています。
比叡山坂本活性化事業実行委員会「比叡山坂本サンポ」HPより



JR比叡山坂本駅、唯一のコンビニ セブンでいろいろ仕入れて出発です!


井神通りの、日吉大社、一の鳥居
明治以降は日吉神社(ひえじんじゃ)、大戦後は日吉大社(ひよしたいしゃ)と称される。


大神門神社
日吉大社の門を守る神で、明治初期に大鳥井社を現在の大神門神社と改名。
「左 衣川 北国道」と刻まれています。 北国海道は西近江路と呼ばれ、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」で取り上げられています。




公人屋敷(旧岡本邸)
江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら妻帯(さいたい)と名字帯刀(みょうじたいとう)を認められた「公人(くにん)」が住んでいた住居のひとつです。



株式会社粟田建設   大津市坂本3丁目11-29
享保2年(1717年)に阿波屋喜兵衛として坂本で創業。江戸時代を通して粟田家は、比叡山・延暦寺や坂本の里坊周辺の石垣修復などに携わってきた技能集団、「穴太衆」。




京阪 坂本比叡山口駅
京阪電気鉄道石山坂本線の終着駅。

坂本名物「日吉そば」。天保時代の町図によれば、「表具屋喜右衛門(宿屋)」だった場所だそうです。



日吉大社 二の鳥居、 社号標「山王総本宮 日吉大社」

里坊のまちを歩くと、穴太衆積みの石垣が美しいまちの景観をつくりだしている

金蔵院(旧無動寺総里坊)







滋賀院門跡へ向う、穴太衆積みの石垣が美しい
比叡山延暦寺の本坊(総里坊)である、滋賀院 門跡( - もんぜき)




日吉馬場


三の鳥居


求法寺 走井堂



日吉三橋の大宮橋




日吉三橋の走井橋



走井祓殿社(はしりいはらえどのしゃ)




境内には紅葉が3,000本もあり、11月は紅葉の名所です。
有名な山王鳥居(合掌鳥居)、神仏習合の信仰を表す形になっているそうです。



春日岡(九座の霊石)

大威徳石   



日吉大社西本宮楼門


楼門の四隅の棟木に神猿の木像があります。(四方魔除けの猿、棟持ち猿)




日吉大社西本宮拝殿

日吉大社西本宮本殿





摂社宇佐宮
摂社宇佐宮拝殿
摂社宇佐宮本殿



摂社白山宮
摂社白山姫神社拝殿
摂社白山姫神社本殿







重要文化財 山王御輿七基  神輿収蔵庫






日吉大社東本宮楼門


日吉大社摂社樹下神社本殿 

日吉大社摂社樹下神社拝殿 


日吉大社東本宮拝殿 


日吉大社東本宮本殿
東本宮、西本宮、宇佐宮の3社が日吉造となっています。


大物忌神社



猿の霊石 


日吉三橋の二宮橋









早尾神社




早尾地蔵尊(六角地蔵堂)
本尊は、伝教大師最澄上人自作の石地蔵尊と伝えられている




比叡山 参道




日吉東照宮    参道
日吉東照宮   





ケーブル坂本駅  



ケーブル延暦寺駅へ 向かいます


比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅-② 比叡山延暦寺【 東塔 】2019-11-21

比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅-② 
 比叡山延暦寺  【 東塔

ケーブル延暦寺駅

延暦寺駅より琵琶湖を望む

無動寺 参道入口の鳥居




険しい斜面から琵琶湖を眺めながら、なだらかなのぼり道が500mほど続きます。


ケーブル駅より歩いて約7・8分、突き当りを右が東塔。

東塔 】 (とうどう)



延暦寺専用の消防車。






万拝堂



大黒堂


文殊楼から延暦寺会館を望む

文殊楼(もんじゅろう)   比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門です。
延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになります。

御堂の中は急な階段ですが二階へ登れます。 上がりきった所に菩薩さんが祀られてます。



根本中堂から文殊楼への階段



伝教大師童形像




根本中堂(こんぽんちゅうどう)
東塔の根本中堂はその最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂となります。本尊は薬師如来です。

国宝の根本中堂は2016年より10年間かけての大改修中です。作業用足場が組まれています。
本堂内は撮影禁止。
本尊薬師如来像の前には、1200年以上消えることなく「不滅の法灯」が灯り続けています。
ご本尊の薬師如来像が、本堂の奥深い位置に安置され参加者の目の高さと同じになるように設定されています。

足場が組まれた修学ステージより、葺き替え中の屋根を間近に見ることができます。
回廊の屋根は、「とち葺き」といわれ、 2.4cmの木の板を何層にも重ねてある。
屋根の構造など普段見られないところが見ることができます。
ステージの上だけ撮影OKでした。


鉄骨の裏、本堂の屋根「屋根瓦棒銅板葺」も、葺き替えられます。



大講堂・鐘楼へ向かいます。


鐘楼
「開運の鐘」。鐘をついて煩悩を打ち払えば運が開かれると云われています。
1回50円でどなたでも鐘を突くことが出来ます。

大講堂
昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。




大講堂うらの、左側が瑞雲院。  右側が前唐院




戒壇院






阿弥陀堂・法華総持院東塔

阿弥陀堂
昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖回向の道場です。
本尊は丈六の阿弥陀如来です。










法華総持院東塔   昭和55年に阿弥陀堂の横に再興されました。




バスセンターへ向かいます。 次は、西塔です。



                                  
                                                                                  比叡山HPより

比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ -③ 比叡山延暦寺【西塔】【横川】2019-11-21


比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ -③
比叡山延暦寺【西塔】







常行堂・法華堂(にない堂)

常行堂
左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂、右が普賢菩薩を本尊とする法華堂
弁慶が渡り廊下をてんびん棒にして、このお堂を担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれるそうです。

                                                     法華堂

にない堂の渡り廊下の下を抜けて、釈迦堂(転法輪堂)へ。


階段の途中、右側に、西塔政所

階段の途中、右側に、恵亮堂



釈迦堂(転法輪堂)

釋迦牟尼佛と鐘楼




西塔バス停  シャトルバスで横川へ。











比叡山延暦寺【横川】



竜ヶ池



横川中堂
石垣の上に建っている舞台造りの大きな「横川中堂」











四季講堂(元三大師堂)
元三大師堂はおみくじ発祥の地となります。








箸塚辨財天 

比叡山行院・天台宗修行道場

元三大師御廟





横川バス停・駐車場付近は、紅葉が見事です。

ドライブウェイ沿いの紅葉。









横川パス停より、シャトルバスで比叡山頂へ。


          シャトルバス車内より




叡山ロープウェイのりば




ケーブル八瀬駅

八瀬もみじの小径
ケーブル八瀬駅横に広がる新緑や紅葉が美しい散策道。






超人気の瑠璃光院、この待合所と瑠璃光院前の待合所で行列でした。

高野川
八瀬流域では八瀬川とも呼ばれています。紅葉の名所で見事なコントラストを描きます。

叡山電車で出町柳、京阪線で四条へ向かいます。
ホテルは、四条河原町で非常に便利な処です。

比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅-④ 大原三千院2019-11-22

比叡山坂本から延暦寺、大原三千院へ、紅葉見物の旅-④ 
大原三千院

四条河原町から京都バス大原行き(17系統)に乗って約50分、終点の大原駅に到着。
ここから歩いて約10分です。




途中には京都名物のしば漬け屋さんや自然豊かな景色がつづきます。



         参道入口。  右に、 「三千院門跡(もんぜき)」
                  左に、「後鳥羽天皇 順徳天皇 御陵参道」 の碑

         桜の馬場
御殿門

正式名称     三千院
通称名称     魚山三千院門跡
住所・所在地     京都市左京区大原来迎院町540

三千院の由来
三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まる。   
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となった。
明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになる。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる。
三千院HPより



客殿
受け付けを済まし、靴を脱いでビニール袋に入れて手で持ち、案内の順路に沿って拝観します。



客殿より望む聚碧園







宸殿より望む有清園

宸殿と有清園


大和座りの両脇侍の阿弥陀三尊像(国宝)が安置されている、往生極楽院。
立札に「お堂に入ってお参りください。」とありましたのでお堂の中へ。
想像よりも大きい三尊像をじっくり拝観する。
特別解説・・ 話し好きの僧侶さんの解説が聞けます。
観音、勢至両菩薩像の倭坐(やまとすわり)の説明。懐中電灯を持ち出し、天井を照らし出してくれ、舟底天井と言って船の底のようにな形になっていて、そこに菩薩がたくさん描かれています。復元したものが展示室にあるので、帰りにご覧ください。と教えて頂いた。


往生極楽院と呼ばれる本堂、往生極楽院阿弥陀堂

往生極楽院の裏手に弁財天池 ・ 細波の滝




わらべ地蔵さま


可愛いお地蔵さん  癒されます




琵琶を奏でる弁財天さま、金色不動堂へ向かう山道の途中です。




金色不動堂  
金色不動明王像 御開扉
お不動様の手につながっている五色の「善の綱」を手にはさんで合掌します。





観音堂


杉の木立ちに囲まれる往生極楽院


朱雀門



最後に位置する円融蔵

        客殿の白壁







三千院参道入口左に、「後鳥羽天皇 順徳天皇 御陵参道」の碑がありました。
三千院を出て、津川にかかる橋を渡り、右手に宮内庁の看板を発見。

宮内庁の看板
後鳥羽天皇 / 順徳天皇 大原陵 拝所

承久3年(1221年)、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は隠岐国へ、順徳上皇は佐渡国へ流されます。
長年都への帰還を願っていた後鳥羽上皇でしたが願いはかなわず、延応元年(1239年)、隠岐国で崩御。遺骨は分骨されて都に戻ります。仁治2年(1241年)、尊快法親王(後鳥羽天皇皇子)は後鳥羽上皇の離宮・水無瀬宮の廃材を用いて大原法華堂を建立。父後鳥羽法皇の遺骨を安置しました。




あまざけを頂きました。

大原らしい田園風景


                                    三千院HPより