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小石原焼 ヤママル窯の きのこカップ・かしわ皿2021-05-14

3月中旬、杷木の知り合いの寿司屋さんを訪れたとき、小石原を巡りました。
やままる窯元 梶原日出窯さんでお気に入りを見つけました。
が、1~2か月待ちとのことでした。

出来ましたよ。って連絡を受け、小石原を訪れました。



    行者杉から小石原焼伝統産業会館に向かうとすぐです。



        我が家で、さっそく記念撮影!








      



帰りに、竹地区棚田を見に行きました。






須賀神社(祇園社) 福岡県朝倉市甘木873−52021-05-19


         須賀神社(祇園社) 


                    須賀神社(祇園社)略記



                  「祇園社」扁額の鳥居と大樟



須賀神社について
須賀神社はもと「大雄山祇園禅寺」と称し、臨済宗東福寺派の承天寺(博多辻堂)の末派寺院であった。
本殿は三間社流破風造り、檜皮葺。文政3年(1820)3月5日に木屋入り、9月19日に棟上げ、10月15日に屋根上げの記録がある。          (須賀神社HPより)

          拝殿と本殿
          本殿 (後方より)



備蓄庫と仙厓和尚筆になる石碑 (県指定文化財)



          本殿 (公園通り側より)

       祗園社の神木として尊崇されている、祗園の大樟



美奈宜神社(荷原) 福岡県朝倉市荷原2417-12021-05-19

美奈宜神社(みなぎじんじゃ)(荷原) 朝倉市荷原2417-1
【ご祭神】
天照皇大神、住吉大明神、春日大明神、神功皇后、武内宿祢
【概要】
神功皇后の熊襲平定を創始の由来とする神社。
当時、熊襲がこの地を本拠としていましたが、神功皇后は栗尾山に陣を敷き、これを討ちます。
その後、三奈木川のほとり「池辺」にヒモロギを立て戦勝を奉告したといいます。
後に、仁徳天皇の勅願により「池辺」に創祀。天平勝宝3年(751)旧暦9月22日喰那尾山頂の陣跡へ遷座。
元弘3年(1333)大宮谷へ遷座し、天正2年(1574)11月領主秋月種実の頃、現地へ遷座しました。
 朝倉市HPより

         美奈宜神社正面の橋。佐田川に架かる寺内橋



        一の鳥居


御神木 大銀杏(大イチョウ)

福岡城主黒田長政の大家老の黒田一成が寛永16年(1639)社殿再興の記念として植樹。
樹齢約三五○年余を経ており、高さ約二六米余、周囲六米余で、樹勢旺盛 とあります。

ふるさと人物誌28 福岡藩筆頭家老 「三奈木 黒田 一成」(くろだ かずなり)- 朝倉市HP
https://www.city.asakura.lg.jp/www/contents/1297063319979/index.html


                  二の鳥居



         三の鳥居
        緑いっぱいの中に神門

                   神門の扁額



                      拝殿
         拝殿・本殿



          本殿




       手水舎 -- 上から時計回りに「吾唯足知」となり 禅の格言




宮地嶽神社
社殿向かって右手に鎮座。息長足比賣命(神功皇后)、勝村大神、勝頼大神を祀っています。






                      自然いっぱいの静かで素敵な神社です。



もう一つの、美奈宜神社  ↓   ↓

美奈宜神社(林田) ― 福岡県朝倉市林田 ―
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387491


            佐田川をちょっと歩くと寺内ダムが望めます。

隠家森 福岡県朝倉市山田字恵蘇宿2021-05-19

ネットで「隠家の森」を知りました。
いつも、堀川用水沿いを通ります。
その交差点にありました。





クスの巨木で、胸高周囲18m、樹齢は1,500年以上ともいわれている。『筑前国続風土記』に「此の恵蘇町の辺に隠家の森とてあり。是は此関にて名のらざりし者をば通さざりける故、此森に隠れゐるよしいひ伝えたり」とあり、朝倉の関所を通れぬ人が、夜になるのを隠れて待っていたとの伝説から、この名が付いたとされている。 朝倉市HPより








普門院(福岡県で一番古い鎌倉時代の仏寺建築物) 福岡県朝倉市杷木志波2021-05-19





九州豪雨での被害のため、本堂以外の敷地内はほぼ手つかず状態、被害のひどさがわかります。  山門にも軽トラックが停められています。
   






現在の普門院は鎌倉時代に再建されたもの。県内最古の木造建築物。




       災害時に落ちたのでしょうか? 扁額がおろされています。





普門院本堂の概要

【名称】      普門院本堂(ふもんいんほんどう)    
【種別】      有形文化財(建造物)
【時代】      鎌倉時代末期
【所在地】    朝倉市杷木志波
【文化財指定】 国指定重要文化財
【指定日】      大正2年4月14日
【概要】      普門院は、天平19年(747)聖武天皇の勅願をうけ、行基が筑後河畔に創建したものが、度重なる水害のために現在地に移築されたものと伝えられています。
 本堂は『筑前国続風土記』に「この寺の仏堂広からずと雖も、その営作の精巧なること国中第一なり」と記されており、桁行三間梁間三間の宝形造りで、総本瓦葺き、四周に緑をめぐらせています。昭和の解体修理で、もとは桁行五間梁間四間であったことがわかりました。
 建築様式はいわゆる和様ですが、天竺様式・唐様式もわずかながら混入しており、鎌倉時代末期の建造と考えられています。   (朝倉市HPより)


九州豪雨 福岡最古の仏堂「普門院本堂」被害   毎日新聞 2017/7/24
 九州北部豪雨で、鎌倉時代建造で福岡県内最古の仏堂建築物とされる「普門院本堂」=同県朝倉市杷木志波、国指定重要文化財=に被害が出た。本堂の一部が豪雨で流れ出た土砂や大きな石、流木に覆われ、その撤去に追われている。本堂以外の敷地内はほぼ手つかず状態で、復旧のめどは立っていない。



        地図にある杷木町一帯は、4年経った今もあちこちで工事中です。