荒尾市宮崎兄弟資料館と荒尾二造跡地、散策。(JR Walk 荒尾) 2014-10-04 ― 2014-10-05
JRウォークで、「万田坑と孫文ゆかりの地を訪ねて」とあったので炭鉱跡の写真でも撮ろうと出かけました。荒尾二造・万田坑のことを調べていくと、意外なことが多く気が重たくなりました。
JR荒尾駅からスタートです。
宮崎兄弟の生家
荒尾市宮崎兄弟資料館
滔天と孫文の筆談風景が再現されていました。
ここから、自転車専用道路。 二造専用鉄道跡を進みます。
田んぼを抜けると、県道沿いに広めの側道が続きます。
町の方に尋ねると、昔は市電が走ってたと聞きました。
調べると・・・・
二造専用鉄道 1942年~1945年
荒尾市電 1949年~1964年
現在は、荒尾市サイクリングロード
調べると・・・・
二造専用鉄道 1942年~1945年
荒尾市電 1949年~1964年
現在は、荒尾市サイクリングロード
市電が走っていたことにもビックリですが、日本軍の造兵廠があったのにもビックリです。
荒尾で火薬の生産
この地区は、荒尾二造と呼ばれているらしく、正式には「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」といいます。
「荒尾二造」(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)は1939(昭和14年)に旧荒尾町、有明村、八幡村の100万坪の敷地に建設されました。
石炭から抽出される石炭酸を原料として黄色火薬を生産する陸軍直営の火薬製造工場がありました。
この地区は、荒尾二造と呼ばれているらしく、正式には「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」といいます。
「荒尾二造」(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)は1939(昭和14年)に旧荒尾町、有明村、八幡村の100万坪の敷地に建設されました。
石炭から抽出される石炭酸を原料として黄色火薬を生産する陸軍直営の火薬製造工場がありました。
荒尾二造変電所跡
Trans former substationの横に連合軍の接収番号「284」の数字が・・・。
終戦と共に工場施設は連合軍に接収され、周辺施設も民間に
払い下げられたそうです。
終戦と共に工場施設は連合軍に接収され、周辺施設も民間に
払い下げられたそうです。
公園の場所には工場があって、向こうの専用鉄道で
武器・火薬が運ばれていたのでしょう。
廃液が三池港まで流れて汚染していたとも聞きました。
このあと、運動公園、三井グリーンランドのゴルフ場を抜け、万田炭鉱館・万田坑へ向かいました。
武器・火薬が運ばれていたのでしょう。
廃液が三池港まで流れて汚染していたとも聞きました。
このあと、運動公園、三井グリーンランドのゴルフ場を抜け、万田炭鉱館・万田坑へ向かいました。
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