本妙寺 加藤清正銅像 - 熊本 ― 2014-10-29
日蓮宗六条門流肥後本妙寺(ほんみょうじ)
本妙寺は、熊本市西区の熊本城北西にあります。 日蓮宗の熱心な信者であり肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)があることで知らています。境内入口の巨大な仁王門は鉄筋コンクリート造で、1920年(大正9年)に建立され国の登録有形文化財です。
浄池廟の奥には長い石段があり、これを上ると清正の銅像があります。
本妙寺は、熊本市西区の熊本城北西にあります。 日蓮宗の熱心な信者であり肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正を祀る浄池廟(じょうちびょう)があることで知らています。境内入口の巨大な仁王門は鉄筋コンクリート造で、1920年(大正9年)に建立され国の登録有形文化財です。
浄池廟の奥には長い石段があり、これを上ると清正の銅像があります。
浄池廟 裏から本妙寺公園に向かいます。
300段の石段を登ります。
見えてきました。加藤清正公の姿が・・・だんだん大きく。
銅像が大きい。高さがかなりあります。
階段途中から見える清正公さんを見ると納得です。
階段途中から見える清正公さんを見ると納得です。
熊本市民の間では清正公(せいしょこ)さんと呼ばれ親しまれています。
公園の展望台より熊本市街を望む。
ふたたび、300段を下ります。
加藤清正をテーマに、本妙寺、川尻の御蔵前船着場跡、手渡し跡、富合町の井樋橋、
最後に馬場楠井出の鼻ぐりを見てきました。
井樋橋( いびばし) 熊本市富合町
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474959
川尻の御蔵前船着場跡、御船手渡し跡 - 熊本市南区
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474977
馬場楠井手の鼻ぐり - 菊陽町:馬場楠井出の鼻ぐり公園
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/28/7476166
最後に馬場楠井出の鼻ぐりを見てきました。
井樋橋( いびばし) 熊本市富合町
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474959
川尻の御蔵前船着場跡、御船手渡し跡 - 熊本市南区
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/27/7474977
馬場楠井手の鼻ぐり - 菊陽町:馬場楠井出の鼻ぐり公園
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/10/28/7476166
熊本市の石橋 -明八橋・明十橋・第一高校正門前の石橋 ― 2014-10-29
新町側から、親柱。
唐人町側から望む。
明八橋
石工:橋本勘五郎
橋長:21.4m 橋幅:7.2m 径間:17.0m 拱矢:3.3m 架橋:明治8年(1875)
明治8年に架橋したことからこの名前がついた。
唐人町と新町を結ぶ坪井川に架かる橋。歩行者専用となって保存されている。
石工:橋本勘五郎
橋長:21.4m 橋幅:7.2m 径間:17.0m 拱矢:3.3m 架橋:明治8年(1875)
明治8年に架橋したことからこの名前がついた。
唐人町と新町を結ぶ坪井川に架かる橋。歩行者専用となって保存されている。
明十橋
石工:橋本勘五郎 架設:明治10年(1877)
橋長:22.7m 橋幅:7.9m 径間:15.8m 拱矢:3.7m
明治10年に架橋された。明八橋の2年後、規模も同じくらいです。
鍛治屋町と新町を結ぶ坪井川に架かる橋。
改修されているが大型車も通る現役の石橋。
当時の塩屋町裏二番丁筋は、通称「明十通り 」と言われるようになった。
石工:橋本勘五郎 架設:明治10年(1877)
橋長:22.7m 橋幅:7.9m 径間:15.8m 拱矢:3.7m
明治10年に架橋された。明八橋の2年後、規模も同じくらいです。
鍛治屋町と新町を結ぶ坪井川に架かる橋。
改修されているが大型車も通る現役の石橋。
当時の塩屋町裏二番丁筋は、通称「明十通り 」と言われるようになった。
唐人町界隈にはレトロな町並みが・・・・
こちらの商店並びの裏、川沿いに撮影スポットがあります。
第一高校正門前の石橋
橋長:約9m 橋幅:約5m
橋長:約9m 橋幅:約5m
架橋年等不明だが、元々熊本城内、城門に続く橋で
あったのだろうことがわかる。
あったのだろうことがわかる。
熊本第一高校正門の前に架かっています。
現在は橋面は舗装され、石造めがね橋と気付く人も
少ないのでは。車も通る現役の石橋。
現在は橋面は舗装され、石造めがね橋と気付く人も
少ないのでは。車も通る現役の石橋。
最近のコメント