太宰府の隠れた伝説と伝承を尋ねて - 歩かんね太宰府!でまち歩き-②2014-05-29

太宰府の隠れた伝説と伝承を尋ねて ②
文化ふれあい館から、関屋方面へ戻る。関屋橋を渡って西鉄の線路沿いを歩く。

東蓮寺、大行事塔。
安政7年建立、牛馬の安全、五穀豊穣、村の守り神として信仰されていたそうです。陶山姓のお墓がめだちました。

東蓮寺 本堂。

東蓮寺 薬師堂。
東蓮寺 十三仏堂。

踏み切りを渡り、西鉄の横切る陸橋下を歩く。通古賀の交差点を通過し、鷺田川に掛かる田中橋を渡ったら仏壇屋さんの手前を右に入ったら 「田中の森」です。森とは・・・創造とまったく違うところです。
昔はこんもりした大樹があったそうですが枯れたそうです。神武天皇の時代にいたとされる田中長者(田中熊別)の墓と伝えられています。先ほどの東蓮寺が東の陵。田中の森は、西陵とも言われていたそうです。

「田中の森」 由来記

鷺田川に掛かる橋も、田中です。
西鉄の横切る陸橋下まで戻り、陸橋をくぐり南へ向かいます。旧日田街道です。
さすが街道沿いの家は奥行きの広い大きな家が並んでいます。
200mほどで看板あり。

玉城(おおぎ)神社。
神武天皇東征の折、四王寺山上に城を構え大野県主田中熊別を軍司として警護させたとあります。天皇の城があるため時の人は王城山(大城山)といったそうです。王城山の御神であるので、王城大明神として崇めた。とあります。

玉城(おおぎ)神社、扁額。

玉城(おおぎ)神社、由緒。


社殿の左に、恵比寿の石像があります。


「飛梅」原木の由来がありました。
住宅街の中の一角です。


三条公お手植えの松。と、いわれが書かれた石碑。
幕末に三条実美公が宝満山から持ち帰られ、当家の陶山一貫さんに歌を添えて贈られた、とあります。個人のお家の中なので中まで入れません。

榎社門前の踏み切りの傍らにある、鶴の墓をみて太宰府政庁にむかいます。


ゴールは、都府楼跡右脇にある故冨永朝堂氏のアトリエ、「吐月叢(とげつそう)」です。
ふだんは公開されていないアトリエですが、このコースのゴールのため見せていただけました。

故冨永朝堂氏の息子さんにお話を伺うことが出来ました。
朝堂氏の言葉、「天井板をつらぬいて、天然の素中にかえっていくのか」の説明をいただきました。
「今日は、触れて感じてください。」と、女神像を触わらせていただきました。

福岡市美術館に収蔵されている有名な「谷風(こくふう)」の原型だそうです。

入門時の作品だそうです。




最後は、太宰府政庁跡を散歩しながら帰路に着きました。
4時間ほどの歩こう会でしたが、とても有意義な会でした。ボランティアの方々にお礼申し上げます。今回は太宰府の西側でしたので、秋には東側を予定してますとのことでした。是非参加したいと、楽しみにしています。



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