雨の京都・祇園界隈を散策 八坂神社・知恩院 - 格安フェリーの旅 ―2023-11-10

いつも使う、- 格安フェリーの旅 ―で、近江八幡、安土城を訪ねる計画をしてフェリーを申し込みました。 ところが、11月10日 行動する日のみが雨、天気予報を何度も確認したが、9時より16時は雨マーク!

で、予定変更して 雨の京都 白川、祇園界隈を散策にしました。

八坂神社
「祇園さん」と親しまれる、全国八坂神社の総本社
八坂神社が「祇園さん」と呼ばれるのは、神仏習合時代の旧名「祇園社(ぎおんしゃ)」「祇園感神院(ぎおんかんしんいん)」の名残り。明治元(1868)年、神仏分離政策により、現在の「八坂神社」に改称されました。

四条通りの東端、花街側に位置する朱塗りの「西楼門
「西楼門」は現存する境内最古の建造物で、応仁の乱(1467年~)で消失後、約30年後に再建されたものという歴史があります。
西楼門の大きさは桁行(幅)が7.9メートルで高さが9.1メートル

西楼門。その両脇には、寺院の表門で見かける仁王像ではなく、随身(ずいしん・平安時代の貴族の護衛役)の木像2体が置かれています。





手水舎        

        
         太田社 重要文化財



西楼門をくぐって直ぐに鎮座する狛犬・獅子像
獅子像の台座には、水しぶきを上げ躍動する崇高な青龍の姿が描かれています。


         北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)









        八坂神社石鳥居(重要文化財)
本殿の正面入口の鳥居。正保3年(1646年)に建立、寛文2年(1662年)の地震で倒壊、寛文 6年(1666年)に補修再建されたもの

        八坂神社南楼門 ・・・本殿の正面に向かった南門が八坂神社の正門です。
        
舞殿(ぶでん) 国の重要文化財
八坂神社舞殿は入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。八坂神社舞殿は一直線に並ぶ本殿・南楼門と同じ高さで、三位一体(さんみいったい)を表しているとも言われています。

本殿は2020年、国宝に指定されました。八坂神社独自の稀少な建築様式と注目されています。
本殿と拝殿(礼堂)が大屋根ひとつで覆われ、1つの建物として建築される様式は平安時代に成立。南北朝時代には現在の本殿とほぼ同じ構造だったそうです。



日吉社 重要文化財 八坂神社の鬼門に鎮座されているのが日吉社です。
八坂神社の境内末社の日吉社(ひよししゃ)には大山咋神(おおやまくいのかみ)と大物主神(おおものぬしのかみ)が祀られています。


        本殿の北側の参道

東北門より円山公園へ







       円山公園から知恩院の南門を抜けて、知恩院 三門へ向かいます。


浄土宗の総本山で知られる「知恩院(ちおんいん)」。国宝の三門・御影堂に加え、数多くの重要文化財が存在しています。

知恩院 三門(国宝)
高さ24m・横幅50m・屋根瓦約7万枚と、日本最大級の規模を誇る木造門。1621年、徳川2代将軍秀忠公の命で建立されました。






御影堂(国宝)
浄土宗の開祖「法然上人」の御影(みえい)を祀ることから、「御影堂(みえいどう)」と呼ばれています。
御影堂は、1639年に徳川家光によって再建され、間口45m・奥行き35m・幅3mの外縁をめぐらした巨大な伽藍となっています。





大鐘楼へ向かいます。


大鐘楼 (重要文化財)
鐘楼は延宝6年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたものです。
釣鐘は高さ3.3メートル、直径2.8メートル、重さ約70トン。寛永13年(1636)、知恩院第32世雄誉霊巌上人の鋳造です。知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られています。



          御影堂







        なだらかな「女坂」です。参拝者のほとんどがこの坂を帰り道として利用します。




        東大路通へ向かう知恩院道 

        再び、白川筋へ向かいます。

雨の京都・白川、祇園界隈を散策 - 格安フェリーの旅 ―
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2023/11/10/9633366

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