長崎街道塩田宿 「塩田津の街並み」― 佐賀県嬉野市 ― ― 2025-06-05
小田宿(江北)を出ると、北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道と
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。
国土交通省 九州地方整備局 佐賀国道事務所 提供のMapです
「塩田津の街並み」の入り口です。
川港塩田津と長崎街道塩田宿が交わる、歴史と文化のかおる町。
平成17年に伝建地区に選定された塩田津は、川港と長崎街道の宿場町です。中央を通る長崎街道沿いには白壁やかや葺きの建物、土蔵がひしめき、高台には寺社がひかえます。塩田石工による川沿いの石垣や恵比寿像も点在し、重厚かつ良好な伝統的な町並みを形作っています。
平成17年に伝建地区に選定された塩田津は、川港と長崎街道の宿場町です。中央を通る長崎街道沿いには白壁やかや葺きの建物、土蔵がひしめき、高台には寺社がひかえます。塩田石工による川沿いの石垣や恵比寿像も点在し、重厚かつ良好な伝統的な町並みを形作っています。
円田家 土蔵
保存計画番号 伝統的建造物群保存地区現状変更許可証が
各家屋に表示されています。 街を保存する姿勢が見えてきます。
通りの入り口にあるお食事処「ひろせ屋」、
今日は、清掃作業車が沢山走っています。(汲み取りも!(笑))
③鬼崎家
「居蔵造り」の大型町家で、19世紀初期にまで遡るふるい町家。
趣のある軒下。大戸・くぐり戸もすてきです。
旧検量所
磁器の原料となる天草石の集荷施設として1949(昭和24)年に建てられた旧検量所です。船で運んできた陶石を積み替えた車ごと、重さが量れる計測器や走行クレーンの跡が残っています。
④旧下村家 裏から失礼いたします。
通り土間を裏から表へ抜けます。
塩田津の中で数少ない草葺民家で、1階は通り土間に沿って部屋が並び、
2階の船底天正は白漆喰仕上げとなっています。
④旧下村家
大戸屋・くぐり戸。 擦り上げ戸が見れます。
右に通路を入ると本應寺に向かいます。
本應寺
⑥江口家住宅
江口家は蓮池藩塩田御蔵の上納米を扱う商家で、
江口家は蓮池藩塩田御蔵の上納米を扱う商家で、
米屋の他に酒造や製陶業も営んでいたようです。
森家主屋と土蔵
長崎街道塩田宿 「塩田津の街並み」― 佐賀県嬉野市 ―
①西岡家、②杉光家、③鬼﨑家、④旧下村家、⑤御蔵、⑥江口家
⑦吉富家、⑧小柳・田崎家、⑨西家、⑩旧向井家、⑪旧警防団屯所
⑫本應寺、⑬生連寺、⑭常在寺、⑮立傳寺、⑯上福天神
⑦吉富家、⑧小柳・田崎家、⑨西家、⑩旧向井家、⑪旧警防団屯所
⑫本應寺、⑬生連寺、⑭常在寺、⑮立傳寺、⑯上福天神
塩田津まちなみてらす・御蔵馬場
⑤御蔵
江戸時代(1603~1867)、嬉野地域で収穫された米は、出荷前に倉庫(大蔵)に保管されていました。 1813年にこの地域に5つの米蔵が建てられました
江戸時代(1603~1867)、嬉野地域で収穫された米は、出荷前に倉庫(大蔵)に保管されていました。 1813年にこの地域に5つの米蔵が建てられました
御蔵馬場
手前、尾形家~ 奥、西岡家。
手前、松尾家。
橋村家 2階の漆喰に「旅館 梅屋」とあります
①西岡家住宅
西岡家は、江戸中期ごろから廻船業や陶器販売などで財を成し地域屈指の豪商となりました。主屋は3年の歳月をかけ江戸末期の1855年(安政2年)に完成したものです。
西岡家は、江戸中期ごろから廻船業や陶器販売などで財を成し地域屈指の豪商となりました。主屋は3年の歳月をかけ江戸末期の1855年(安政2年)に完成したものです。
②杉光家
大戸屋・くぐり戸。 擦り上げ戸。格子などが現役です。
⑯上福天神 参道入口の肥前鳥居
⑧小柳家・田崎家
大壁造り入母屋桟瓦ふき3階建てで塩田津最大級の居蔵造りである。
⑦吉富家
⑨西家
香月家
⑩旧向井家、 ⑪旧警防団屯所 ⑭常在寺
「川港塩田津」が想像できます。
『重要伝統的建造物群保存地区』の”すごさ、美しさ”
塩田津は、かつて有明海の大きな干満による塩田川の水運と長崎街道の陸路が交差して賑わった「川港塩田津」と「長崎街道塩田宿」の二つの側面を見ることができる歴史と文化の町です。
2005(平成17)年「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された塩田津は、往時の町並みを保存すべく町並みの修理・修景が進み、江戸時代に確立された建築様式で 火災・風水害に強い白い漆喰に覆われた大型町家「居蔵家(いぐらや)」が建ち並ぶ重厚な町並みが特徴です。
by 佐賀県公式観光サイト あそぼーさが
駆け足で街並みを観て廻りました。
「重要伝統的建造物群保存地区」往時の町並みを保存すべく町並みの修理・修景が行われて守られているのが伝わります。
「重要伝統的建造物群保存地区」往時の町並みを保存すべく町並みの修理・修景が行われて守られているのが伝わります。
長崎街道 (佐賀)-- 小田宿(江北)から塩田道(焼米宿・鳴瀬宿・塩田宿) ― 2025-06-05
小田宿を出ると、北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道と
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。
小田宿(江北)から
JR江北駅 H22年までは、肥前山口駅でした。
(ちなみに、私の車のナビはまだ「肥前山口駅」と表示されます)
2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴って、肥前山口駅から江北駅(こうほくえき)へ。
肥前山口駅の駅名標2枚を地元の地区と神社に寄贈した。
樹脂製の一枚が町役場の玄関に展示している。のを聞いて覗きに行きました。
肥前山口駅の駅名標2枚を地元の地区と神社に寄贈した。
樹脂製の一枚が町役場の玄関に展示している。のを聞いて覗きに行きました。
カンカン石
【馬頭観音堂】
小田宿の中心部にある馬頭観音
小田宿の中心部にある馬頭観音は古くから知られていました。この馬頭観音像は奈良時代に小田を訪れた行基が大楠に彫ったという伝説が残っています。そばに観音堂も建てられ、文政9年(1826)にはシーボルトも立ち寄り、画家のフレネーフェに馬頭観音像の細密な写実画を描いてもらっています。残念ながら観音堂は嘉永4年(1851)に火災で焼失してしまいましたが、平成10年(1998)に地区の人たちの尽力で再建されています。なお大楠は街の天然記念物に指定されて、大事に守られています。
【関川家住宅】
白壁のコントラストが鮮やかです。
池園を楽しみにしてましたが、覗くとかなり荒れているみたいです
長崎街道 小田宿
国土交通省 九州地方整備局 佐賀国道事務所 提供のMapです
焼米宿・追分
【海童神社】
長崎街道にある焼米池の西側、国道34号線の焼米池から六角川へ流れ込む川に架かる焼米橋のすぐ横に参道入口があり、一の鳥居が建っています。
三の鳥居には「海童神社」扁額
唐破風付き妻入りの切妻造りの拝殿。
北方町の焼米池のほとりにある神社です。
【追分観音堂 志久庵室】
追分観音堂の十三仏 室町時代の永禄六地蔵塔
追分交差点を左折すると、長崎街道の塩田道
北方追分は長崎街道の塚崎道と、脇街道である塩田道の分岐点。
江戸時代初期の長崎街道は塩田道が本道でしたが、度々の塩田川の氾濫で、
北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道本道となったようです。
江戸時代初期の長崎街道は塩田道が本道でしたが、度々の塩田川の氾濫で、
北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道本道となったようです。
鳴瀬橋交差点
鳴瀬橋より塩田方面を望む
【鳴瀬宿】
六地蔵塔と阿弥陀堂
長崎街道鳴瀬宿跡
浄土真宗・金峰山・西岸寺
鳴瀬神社 一ノ鳥居 燈籠の上に狛犬がのってます
二ノ鳥居 肥前鳥居みたいです
鳴瀬宿の街道 塩田道
志田神社
塩田津へ向かいます。
佐賀市を散策!築地反射炉跡 -- 佐賀市長瀬町 ― 2018-10-02
築地反射炉跡 日本初の実用反射炉
幕末期、最先端の科学技術を誇っていた佐賀藩は、10代藩主鍋島直正の命により、日本で最初の洋式反射炉を築地に作り、初めて鋼鉄製の大砲の鋳造に成功しました。 跡地となる日新小学校の中には、反射炉の模型が建てられています。
佐賀市長瀬町9-15(日新小学校校庭内) 佐賀市観光協会HPより
幕末期、最先端の科学技術を誇っていた佐賀藩は、10代藩主鍋島直正の命により、日本で最初の洋式反射炉を築地に作り、初めて鋼鉄製の大砲の鋳造に成功しました。 跡地となる日新小学校の中には、反射炉の模型が建てられています。
佐賀市長瀬町9-15(日新小学校校庭内) 佐賀市観光協会HPより
旧城下町の道標
佐賀市長瀬町
佐賀市長瀬町
この道標は、長崎街道に設けられた道標の一つで、佐賀城下の長瀬町から長崎街道をそれて、南の諌早渡海場へ通ずるその分岐点に建てられていた。
安山岩製の方柱の上端は、しのぎがあって山形に削られていて、地表からの現高は約122センチメートル、幅は21センチメートルで、方柱の二面に方向が刻まれている。
方柱の上端に一指をのばした手を刻んで方向を表示し、その下に行先の地名が刻まれている。手はまわりを彫りくぼめて浮彫りにし、文字は平仮名を用いて陰刻している。
一面には、「ながさき道、こくらみち」と、2行に、他の1面には、「いさはやとかいばへ」と1行に刻まれている。
この道標が設けられた年次は明らかでないが、その様式からみて江戸時代の中期以降にくだるものであろうと推定される。
(佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳HPより)
安山岩製の方柱の上端は、しのぎがあって山形に削られていて、地表からの現高は約122センチメートル、幅は21センチメートルで、方柱の二面に方向が刻まれている。
方柱の上端に一指をのばした手を刻んで方向を表示し、その下に行先の地名が刻まれている。手はまわりを彫りくぼめて浮彫りにし、文字は平仮名を用いて陰刻している。
一面には、「ながさき道、こくらみち」と、2行に、他の1面には、「いさはやとかいばへ」と1行に刻まれている。
この道標が設けられた年次は明らかでないが、その様式からみて江戸時代の中期以降にくだるものであろうと推定される。
(佐賀市地域文化財データベースサイト さがの歴史・文化お宝帳HPより)
「のこぎり型家並み」を探しましたが、ここかな?って所は感じましたが確信がありませんでした。
で、道標を偶然見つけました。
佐賀市を散策!長崎街道・柳町 - 佐賀市柳町 ― 2018-10-02
佐賀市を散策!長崎街道・柳町
佐賀市柳町の長崎街道沿い
「佐賀市歴史民俗館」として明治や大正期の旧家や銀行の建造物が立ち並ぶ、趣のある通りです。
「佐賀市歴史民俗館」として明治や大正期の旧家や銀行の建造物が立ち並ぶ、趣のある通りです。
呉服元町交差点より、西側を望む
呉服元町交差点より、東側(柳町方面)を望む
旧古賀銀行・佐賀市歴史民俗館
旧古賀銀行は、柳町の古賀善兵衛さんが設立した銀行で、明治になって西洋建築が取り入れられた初期の貴重な建築物です。
旧古賀銀行は、柳町の古賀善兵衛さんが設立した銀行で、明治になって西洋建築が取り入れられた初期の貴重な建築物です。
現在は佐賀市歴史民俗館が歴史資料館として管理・活用している他、「浪漫座 カフェ・レストラン」、「コンサート活用」として、毎週のように様々なジャンルのコンサートが開かれています。
当日もサウンドチェック中で、オーディオマニアに有名なジェニファー・ウォーンズのハンターが流れていました。
当日もサウンドチェック中で、オーディオマニアに有名なジェニファー・ウォーンズのハンターが流れていました。
旧古賀家
肥前さが幕末博覧会の会場(リアル弘道館)として公開されています。
肥前さが幕末博覧会の会場(リアル弘道館)として公開されています。
旧三省銀行
肥前さが幕末博覧会の会場(葉隠みらい館)として公開されています。
肥前さが幕末博覧会の会場(葉隠みらい館)として公開されています。
馬場家住宅
旧森永家
江戸期、初代森永十助が煙草製造販売を営み、その後明治40年には呉服店へと転身しました。明治前期の貴重な町屋建築です。
鍋島緞通の「織ものがたり」、佐賀の伝統工芸品を扱う「さがしもの」、和紅茶専門店「紅葉」が営業しています。
江戸期、初代森永十助が煙草製造販売を営み、その後明治40年には呉服店へと転身しました。明治前期の貴重な町屋建築です。
鍋島緞通の「織ものがたり」、佐賀の伝統工芸品を扱う「さがしもの」、和紅茶専門店「紅葉」が営業しています。
北蔵 【和紅茶専門店 紅葉】
左が北蔵、右が居宅、奥が南蔵
居宅 【織ものがたり(鍋島緞通手織工房)】 「鍋島緞通」の製作実演が見れます。
南蔵 【さがしもの(手仕事の工芸品店)】
北蔵 【和紅茶専門店 紅葉】 正面より
森永呉服の看板の中央に、薩摩の家紋・丸に十字が・・・
旧牛島家
江戸中期の町屋様式の建築物旧牛島家
佐賀市の特産品、城下町佐賀に息衝く伝統工芸品や有明海・佐賀平野に育まれた美味しいものなど佐賀のお土産がいっぱい
江戸中期の町屋様式の建築物旧牛島家
佐賀市の特産品、城下町佐賀に息衝く伝統工芸品や有明海・佐賀平野に育まれた美味しいものなど佐賀のお土産がいっぱい
旧久富家
元は履物問屋「履物問屋久富商店」、佐賀県遺産に登録されています。
趣のある外観や内観を残しつつ改装された二階建ての建物、カフェやフォトスタジオなどがあります。
元は履物問屋「履物問屋久富商店」、佐賀県遺産に登録されています。
趣のある外観や内観を残しつつ改装された二階建ての建物、カフェやフォトスタジオなどがあります。
「のんびりぶらり柳町」という素敵な案内パンフを頂きました。
リノベーションを通して、味のある町がわくわくさせます。
次は、ひな祭りの時にでも訪れたいです。
佐賀 神埼宿場 ― 2014-01-16
佐賀城から久留米城に向う途中、神埼宿の案内板を発見。ちょっと立ち寄ることにしました。
佐賀県内には、長崎街道の宿場が13もあるそうです。筑前原田(はるだ)宿から嬉野宿までの13宿が佐賀路です。
国道34号、神埼橋付近に宿場の案内があります。 西の木戸口跡・神埼宿場茶屋
現在の街並
櫛田宮の手前の旧古賀銀行神埼支店 (佐賀県遺産)
櫛田宮が鎮座しています。櫛田宮は博多の櫛田神社の本家とされているそうです。
櫛田宮の入口には石を組み立てた独特の形をした肥前鳥居があります。(佐賀県指定重要文化財)
神埼は神埼素麺が有名ですが、江戸時代の初期に一人の僧がそうめんの製法を伝えたといわれています。
今回巡り合いませんでしたが、神埼宿(神埼町)の手前には「ひのはしら一里塚」が残っているそうです。神埼宿の一里塚は長崎街道の一里塚の中でたった一カ所現存している貴重なものらしいです。
佐賀城下にも、昔の街道の面影がたくさん残っているみたいです。次回ゆっくり散策したいと思います。
佐賀県内には、長崎街道の宿場が13もあるそうです。筑前原田(はるだ)宿から嬉野宿までの13宿が佐賀路です。
国道34号、神埼橋付近に宿場の案内があります。 西の木戸口跡・神埼宿場茶屋
現在の街並
櫛田宮の手前の旧古賀銀行神埼支店 (佐賀県遺産)
櫛田宮が鎮座しています。櫛田宮は博多の櫛田神社の本家とされているそうです。
櫛田宮の入口には石を組み立てた独特の形をした肥前鳥居があります。(佐賀県指定重要文化財)
神埼は神埼素麺が有名ですが、江戸時代の初期に一人の僧がそうめんの製法を伝えたといわれています。
今回巡り合いませんでしたが、神埼宿(神埼町)の手前には「ひのはしら一里塚」が残っているそうです。神埼宿の一里塚は長崎街道の一里塚の中でたった一カ所現存している貴重なものらしいです。
佐賀城下にも、昔の街道の面影がたくさん残っているみたいです。次回ゆっくり散策したいと思います。





















































































































































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