古代ハイキング第2弾 安徳大塚古墳・見返り燈籠 ― 2024-11-23
2024/11/17 商工会青年部主催の古代ハイキングに参加しました。
現人神社-安徳台遺跡-裂田の溝-裂田神社を散策しました。
史料を整理していると、興味をそそるところが見つかり再訪です。
現人神社-安徳台遺跡-裂田の溝-裂田神社を散策しました。
史料を整理していると、興味をそそるところが見つかり再訪です。
かわせみ公園に車を停めてスタートです。
安徳大塚古墳 福岡県那珂川市大字安徳140-13 に向かいます。
正面の大塚公園の看板から、折り返し、坂を登ります。
以前、車で周囲を回ってみましたが、案内板がないのでこの登り口がわかりませんでした。
安徳大塚古墳は古墳時代前期に造られた前方後円墳で、一部盗掘にあっているものの古墳の形はきれいに残っており、真上から見ると柄鏡(えかがみ)のような形をしています。古墳の全長は64mあり、墳丘(ふんきゅう)の前後に造られた濠(ほり)を含めると81mになり、出土遺物から考えると4世紀後半の古墳ではないかと考えられています。 那珂川市HPより
那珂川市教育委員会発行 国史跡安徳大塚古墳 より、スキャンしました。
安徳のエノキ
安徳南公園前信号の近くです。
安徳のエノキ 那珂川市下梶原 (県指定天然記念物 エノキ)
安徳のエノキは下梶原にあり、糸島方面から大宰府に至る古道「さいふみち」の近くに位置しています。エノキは「一里塚」として植えられることがありこのエノキも道しるべの役割を果たしていたと考えられます。
木の根元には高さ1.6mの「猿田彦命」の石碑があり、それを抱きかかえるようにして立つ姿が、樹齢の古さを物語っています。 那珂川市HPより
安徳のエノキは下梶原にあり、糸島方面から大宰府に至る古道「さいふみち」の近くに位置しています。エノキは「一里塚」として植えられることがありこのエノキも道しるべの役割を果たしていたと考えられます。
木の根元には高さ1.6mの「猿田彦命」の石碑があり、それを抱きかかえるようにして立つ姿が、樹齢の古さを物語っています。 那珂川市HPより
真教寺
那珂川市に今も残る古道「さいふまいりの道」
唐津・糸島方面の遠路からの「さいふまいり」の参拝者には、糸島から那珂川へ、そして梶原峠を越える道筋は、太宰府への最短経路として選ばれていたそうです。
唐津・糸島方面の遠路からの「さいふまいり」の参拝者には、糸島から那珂川へ、そして梶原峠を越える道筋は、太宰府への最短経路として選ばれていたそうです。
小笠木峠-西畑-別所-山田-安徳-上・下梶原-梶原峠-そして太宰府まで
下梶原の燈とぼし(見返り燈籠)
県道601号の東側を平行に走る道路の交差点から新幹線高架方面へ。
最初のカーブ地点から峠道へと入っていきます。
足元を山水が流れる沢みたいな道をを登っていきます
この道で合っているのか不安になりながらさらに進む。
九州新幹線の高架真下近くまで行くと、自然石を積み上げて作った燈籠が見えてきました。
粗く整形しただけの石を積み上げた上に、整形された火袋と笠石を載せただけの簡易な構造
新幹線の高架下を通り抜けると梶原峠、月の浦方面へ向かうみたいです。
下ってみて見つけた、「見返り燈籠」の標識
下図のように見えるはずが、蔦に覆われて見逃してました。
下図のように見えるはずが、蔦に覆われて見逃してました。

那珂川南中の東側にある平蔵池の傍らに、梶原景時記念碑。
上梶原の古墓(板墓)
板碑の左右に石を立て、天井に平石を架けた高さ1mほどの古墓。
安徳南小のグランドに、平蔵遺跡群の案内板が・・・
大塚台へ向かう県道575を横断し、安徳台、かわせみ公園へ。
帰りに、ミリカローデン那珂川の松口月城記念館に立ち寄って、お勉強!
那珂川黎明 2024「蒙古襲来と那珂川市〜少弐景資活躍の裏側〜」
蒙古襲来と少弐景資の所領といわれる那珂川市の当時の様子を知ることが出来る遺物を展示します。 開催期間:令和6年10月2日(水)から令和6年12月15日(日)まで
〒811-1253 福岡県那珂川市仲2丁目5−1 ミリカローデン那珂川
蒙古襲来と少弐景資の所領といわれる那珂川市の当時の様子を知ることが出来る遺物を展示します。 開催期間:令和6年10月2日(水)から令和6年12月15日(日)まで
〒811-1253 福岡県那珂川市仲2丁目5−1 ミリカローデン那珂川
那珂川市の歴史をたどる一日でした。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。