北九州市若松 - 若戸大橋と若松南海岸(若松バンド)、大正ロマンな港町を散策。 ― 2015-03-15
※写真は click! で拡大されます。
若松駅より散策スタートです。
JR九州 筑豊本線(若松線)の起点駅です。
JR九州 筑豊本線(若松線)の起点駅です。
筑豊本線で活躍していたSL9600型19633号。
塗装が錆で浮いています。保存を要請したいですね。
塗装が錆で浮いています。保存を要請したいですね。
若松駅の改札口横に保存される、セム1型石炭車。
南物揚場から若戸大橋を望む。
釣りを楽しむ方々がたくさんでした。
若松南海岸(若松バンド)
バンド= bund とは、海岸通り,沿岸道路 だそうです。
門司港レトロみたいに観光地化されてなくて、歴史ある建造物が魅力ある街並みと共存しています。
若松南海岸(若松バンド)
バンド= bund とは、海岸通り,沿岸道路 だそうです。
門司港レトロみたいに観光地化されてなくて、歴史ある建造物が魅力ある街並みと共存しています。
弁財天上陸場
中央部分のスロープに運搬物を置き、両側の階段部から人が引っ張ることでより効率よく重量物を引き上げられるそうです。 両側に取り付けられた洋風の灯明も素敵です。
中央部分のスロープに運搬物を置き、両側の階段部から人が引っ張ることでより効率よく重量物を引き上げられるそうです。 両側に取り付けられた洋風の灯明も素敵です。
旧ごんぞう小屋
石炭荷役をする「ごんぞう」の詰め所を模して建てられたレトロ調の休憩所です。
石炭荷役をする「ごんぞう」の詰め所を模して建てられたレトロ調の休憩所です。
有料道路名:若戸大橋
我が国最初の長大吊橋として、昭和37年に開通
(旧日本道路公団が建設。一般有料道路)
・H2年に歩道を廃止し、4車線に拡幅
・H18年から北九州市道路公社が管理
・日平均交通量45,000台(H23)
2012年9月27日 - 開通50周年
我が国最初の長大吊橋として、昭和37年に開通
(旧日本道路公団が建設。一般有料道路)
・H2年に歩道を廃止し、4車線に拡幅
・H18年から北九州市道路公社が管理
・日平均交通量45,000台(H23)
2012年9月27日 - 開通50周年
石炭会館(若松石炭同業者組合事務所)
木造二階建ての建物で、明治38年に建設。
クロワッサンで有名な三日月屋さんのお客さんがいっぱいでした。
木造二階建ての建物で、明治38年に建設。
クロワッサンで有名な三日月屋さんのお客さんがいっぱいでした。
旧古河鉱業ビル(旧古河鉱業若松支店)
大正8年の建築で、鋭角の角地に建つ、煉瓦造2階建。
若松港のランドマークとして親しまれる、登録有形文化財(建造物)です。
大正8年の建築で、鋭角の角地に建つ、煉瓦造2階建。
若松港のランドマークとして親しまれる、登録有形文化財(建造物)です。
湾の対岸にある、日本水産。
ニッスイ戸畑ビル、1936年(昭和11年)に建造された建物です。
ニッスイ戸畑ビル、1936年(昭和11年)に建造された建物です。
上野ビル倉庫棟
煉瓦造二階建、切妻造瓦葺。両側の妻に三菱の社標が印象的です。
三菱合資若松支店として大正2年に建設されました。
煉瓦造二階建、切妻造瓦葺。両側の妻に三菱の社標が印象的です。
三菱合資若松支店として大正2年に建設されました。
上野海運ビル(旧三菱合資若松支店)
旧古河鉱業ビルとともに若松港に面して建つ、煉瓦造三階建、登録有形文化財(建造物)です。
正門の門柱も、煉瓦造です。
旧古河鉱業ビルとともに若松港に面して建つ、煉瓦造三階建、登録有形文化財(建造物)です。
正門の門柱も、煉瓦造です。
杤木ビル
若戸大橋のたもとに建つ最古級の鉄筋コンクリート造の建物。
大正9年に造船と船舶代理業を行う杤木商事の本社として建築されました。
若戸大橋のたもとに建つ最古級の鉄筋コンクリート造の建物。
大正9年に造船と船舶代理業を行う杤木商事の本社として建築されました。
出入船舶見張り所跡
わかちく史料館
若松港洞海湾を石炭積出港として開発してきた歴史を中心に北九州若松の変遷と、人々の暮らしとのかかわりをテーマにした史料館です。
明治23年北九州若松に生まれた若築建設(株)(旧若松築港会社)のビル3階にあり、歴史となりたちが紹介されています。
若松港洞海湾を石炭積出港として開発してきた歴史を中心に北九州若松の変遷と、人々の暮らしとのかかわりをテーマにした史料館です。
明治23年北九州若松に生まれた若築建設(株)(旧若松築港会社)のビル3階にあり、歴史となりたちが紹介されています。
史料館内は撮影禁止です。
わかちく史料館 玄関前に、
「これは明治時代に洞海湾開発の測量基準点として設けられたものです。」とあります。
「これは明治時代に洞海湾開発の測量基準点として設けられたものです。」とあります。
61本のワイヤーを束ねた主ケーブル(直径508mm)を固定する、橋台。高さ約35m。
橋台うらの壁面
若松区ゆかりの版画家、故・片山正信先生の木版画を原画とした作品で
数百枚の陶板タイルからなる壁画だそうです。
若松区ゆかりの版画家、故・片山正信先生の木版画を原画とした作品で
数百枚の陶板タイルからなる壁画だそうです。
橋の下をちょっと歩くと、若松恵比寿神社があります。
料亭金鍋本館
明治28年に創業した老舗の料亭で、国の有形文化財に登録された料亭金鍋です。
明治28年に創業した老舗の料亭で、国の有形文化財に登録された料亭金鍋です。
旧吉田伝七商店
2階部には欄干の意匠も残り、商店建築の雰囲気を遺しています。
2階部には欄干の意匠も残り、商店建築の雰囲気を遺しています。
河伯洞、火野葦平旧居
高塔山展望台
高塔山展望台より、洞海湾 若戸大橋を望む。
DATA
有料道路名:若戸大橋
道路名:一般国道199号
事業費:225億円(当初51億、拡幅174億)
延長:約2.1km
橋梁形式:吊橋(627m)、支間長(367m)
車線数:4車線
道路規格:4種1級
設計速度:50km/h
起点 福岡県北九州市戸畑区川代一丁目
終点 福岡県北九州市若松区本町三丁目
償還完了予定 2027年12月6日
主ケーブル
延長:700m 直径:508mm
パイラル(鋼撚り線)構造
アルミフィラー設置後、ラッピングワイヤー巻付
石炭の運搬は、遠賀川が使われていました。
なぜ芦屋じゃなくて若松なのか?との疑問がありました。
響灘の波が荒いことや、遠賀川は度々洪水を起こしていたため、初代福岡藩主黒田長政は、遠賀川の築堤とともに、堀川の開削を計画しました。
堀川の開通は、かなり後の1804年ですが長政の堀川開削案がなかったら若松の繁栄はなかったのでは・・・、などなど考えます。
古代、都から大宰府に下る際、陸路も使いましたが、洞海(くきのうみ)を渡り、江川を通って島門(しまど、現在の遠賀町島津)に上陸して大宰府を目指しました。という資料もあります。
次は、堀川の入口である 中間唐戸や、寿命唐戸を観に行きたいと思っています。
江川も散策してみたいです。
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