福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地) ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社を訪れたあと、ふくろうの森(赤坂西緑地)へ。
丘陵地になっている この辺りは、高級住宅地で、今も緑地が多く残されています。
天満宮・菅原神社から、護国神社方面へ。
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社を訪れたあと、ふくろうの森(赤坂西緑地)へ。
丘陵地になっている この辺りは、高級住宅地で、今も緑地が多く残されています。
天満宮・菅原神社から、護国神社方面へ。
路地を入ると鬱蒼とした木々の茂みが!
ふくろうの森(赤坂西緑地)です。
住所は赤坂3丁目みたいですが、目の前の森は桜坂2丁目みたいです。
そしてその西側は、六本松3丁目です。護国神社の前にある京懐石「松幸」の裏というか!
こんな都会に、たくさんの緑が残されています。
そしてその西側は、六本松3丁目です。護国神社の前にある京懐石「松幸」の裏というか!
こんな都会に、たくさんの緑が残されています。

月形洗蔵居宅碑
月形洗蔵は、日本が開国するまでの混迷の時代に、薩長連合のきっかけをつくった福岡藩士です。幕末の筑前藩主黒田長溥が佐幕的立場から、勤王党に大弾圧を加え、乙丑の獄で月形洗蔵らを斬首刑に処してしまいました。
月形洗蔵は、日本が開国するまでの混迷の時代に、薩長連合のきっかけをつくった福岡藩士です。幕末の筑前藩主黒田長溥が佐幕的立場から、勤王党に大弾圧を加え、乙丑の獄で月形洗蔵らを斬首刑に処してしまいました。
野村望東尼誕生之地碑
野村望東は、文化3(1806)年9月6日、黒田藩士である浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城に程近い南谷の御厩後(おうまやのうしろ)に生まれた。本名は、「モト」。現在、彼女の生誕地には、石碑がたっている。
野村望東は、文化3(1806)年9月6日、黒田藩士である浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城に程近い南谷の御厩後(おうまやのうしろ)に生まれた。本名は、「モト」。現在、彼女の生誕地には、石碑がたっている。
丘陵地になっている この辺りは、福岡藩の武家屋敷跡で、今も緑地が多く残されています。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580099
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580123
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
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