長崎県佐世保市 - 御橋観音石橋 ― 2015-02-19
九十九島めぐりのあと、平戸に向かう途中石橋を求めて・・・・
大駐車場に車を停めて、案内板を目印に向かいます。
御橋観音公園よこの池です。春は桜がきれいなところみたいです。
御橋観音寺(おはしかんのんじ)
寺伝によれば、養老年間(8世紀初め)に当時この地を巡行していた行基によって開かれたとされる。
寺伝によれば、養老年間(8世紀初め)に当時この地を巡行していた行基によって開かれたとされる。
境内の奥に見えてきました。
御橋観音石橋です。
第三紀砂岩の浸食によってできた天然の石橋(長さ約27m、幅4m弱)が
二条並んでおり、平戸八景「石橋」として知られています。
御橋観音石橋です。
第三紀砂岩の浸食によってできた天然の石橋(長さ約27m、幅4m弱)が
二条並んでおり、平戸八景「石橋」として知られています。
境内には40種余りの暖地性の珍しいシダの群生が繁茂し、昭和26年国の天然記念物に指定されています。
長崎県佐世保市吉井町直谷94
御橋観音寺(おはしかんのんじ)
広島の帝釈峡にある雄橋を思い浮かべます。
天然記念物 雄橋 - 帝釈峡 は、↓
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/03/30/7262370
御橋観音寺(おはしかんのんじ)
広島の帝釈峡にある雄橋を思い浮かべます。
天然記念物 雄橋 - 帝釈峡 は、↓
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2014/03/30/7262370
福岡城跡(舞鶴公園)の梅、二の丸跡 ― 2015-02-24
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。 ― 2015-02-25
中央区の南端部に位置して、
南側は筑肥新道(旧国鉄筑肥線跡)が、南区の境界となっています。
坂の多い地形で、市中心部にも近く高級住宅街となっています。
また、多くの緑地が保存されています。
南側は筑肥新道(旧国鉄筑肥線跡)が、南区の境界となっています。
坂の多い地形で、市中心部にも近く高級住宅街となっています。
また、多くの緑地が保存されています。
西鉄平尾駅よりカメラ片手に歩きます。
駅の出口が、筑肥新道(旧国鉄筑肥線跡)です。
駅の出口が、筑肥新道(旧国鉄筑肥線跡)です。
途中、民家にきれいな梅を発見。おもわずシャッターを押しました。
平尾八幡宮へ向かう途中で見つけました。「新四国 第十一番霊場」とあります。
平尾八幡宮 正面鳥居。
手水舎と狛犬。
社殿正面。
本殿、渡殿、拝殿
平尾八幡宮
ご祭神 八幡大神(応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母神)、珠衣姫命(神武天皇の母神)
由緒によると、
当八幡宮の起源は社家の説では、始は旧平尾村の南へ五町(約五五〇m弱)ほど旧高宮村に寄った場所に創建されました。その古宮の地は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定・三韓遠征のため船で瀬戸内海を航行して九州に入られ那の大津に上陸して小憩された地と伝えられています。又天正の九州遠征の折、豊臣秀吉公も仲哀天皇と神功皇后の吉例にならいこの道を通られたと伝えられています。その場所にいつの時代からか里人が社祠を建て崇め祭るようになりました。
と、あります。
ご祭神 八幡大神(応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母神)、珠衣姫命(神武天皇の母神)
由緒によると、
当八幡宮の起源は社家の説では、始は旧平尾村の南へ五町(約五五〇m弱)ほど旧高宮村に寄った場所に創建されました。その古宮の地は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定・三韓遠征のため船で瀬戸内海を航行して九州に入られ那の大津に上陸して小憩された地と伝えられています。又天正の九州遠征の折、豊臣秀吉公も仲哀天皇と神功皇后の吉例にならいこの道を通られたと伝えられています。その場所にいつの時代からか里人が社祠を建て崇め祭るようになりました。
と、あります。
平尾天満宮
ご祭神 菅原道真公
由緒によると、
天満天神又の名を容見天神との言い伝えがある御社です。鎌倉時代には、住吉宮、櫛田宮、筥崎宮と共に、肩を並べる程の古い天満宮でした。
と、あります。
ご祭神 菅原道真公
由緒によると、
天満天神又の名を容見天神との言い伝えがある御社です。鎌倉時代には、住吉宮、櫛田宮、筥崎宮と共に、肩を並べる程の古い天満宮でした。
と、あります。
山之神社
セ・トレボンの方に下って、平尾山荘通りへ向かいます。
野村 望東尼の平尾山荘公園です。
山荘の敷地は平尾山荘公園として整備されています。
密会場所として提供していた山荘
野村 望東尼(のむら もとに、ぼうとうに)像
幕末の女流歌人で勤王家でもあります。
幕末の女流歌人で勤王家でもあります。
公園には、たくさんの梅の木が・・・・・
火曜日で、お休みでした。
福岡市文化交流公園 松風園
公園面積2,405m2の中に、昭和初期頃建設された「松風庵」を中心に、桂離宮の中立の待合、四ツ腰掛け(卍字亭)の写しである四阿(あずまや)、新たに増築された和室等があります。また、庭園も、野点広場や露地等趣きのある施設となっております。 (松風園HPより)
かつて福岡を代表する百貨店として人気を博した「福岡玉屋」の
創業者・田中丸善八翁の邸宅「松風荘」の跡地を整備し、平成19年に「松風園」として開園。
田中丸家が愛用した茶室「松風庵」は、当時のままの状態で保存されています。
(よかなびweb より)
公園面積2,405m2の中に、昭和初期頃建設された「松風庵」を中心に、桂離宮の中立の待合、四ツ腰掛け(卍字亭)の写しである四阿(あずまや)、新たに増築された和室等があります。また、庭園も、野点広場や露地等趣きのある施設となっております。 (松風園HPより)
かつて福岡を代表する百貨店として人気を博した「福岡玉屋」の
創業者・田中丸善八翁の邸宅「松風荘」の跡地を整備し、平成19年に「松風園」として開園。
田中丸家が愛用した茶室「松風庵」は、当時のままの状態で保存されています。
(よかなびweb より)
浄水通りの交差点にあります。浄水緑地。
木々が茂る坂道を上ると公園になっています。
左に下ると、動物園入り口です。
右に下ると双葉の横、カトリック浄水通教会です。
丘陵地になっている この辺りは、高級住宅地で、今も緑地が多く残されています。
引き続き、桜坂 古小烏あたりから護国神社方面へ散策したいと思います。
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580099
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580123
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580178
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社 ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社を探していると、案内板があり、見つけました。
正面の鳥居。
倒壊したのでしょうか、石灯籠の石塊が放置されています。
注連縄柱
手水舎
狛犬
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
境内神社、天満宮 (菅原道真)
境内神社、稲荷神社(倉稲魂神)
小烏神社(こがらすじんじゃ)
御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
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御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
当社のご祭神、建角身神(八咫烏)は『古事記』『日本書紀』によると神産霊神(神産巣日神)のお孫神で神徳高く、国土開拓のために産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には先導を務めた。皇軍が熊野山中で荒ぶる神々に苦戦を強いられると、建角身神は八咫烏(やたがらす)に化身し、賊軍の説得に努め、土着の神々を服属させると、ついには皇軍を大和国へと導き、大和平定に多大な功績をたてられた。
また『山城国風土記逸文』によると、加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、山城国の加茂に移り、古代京都を拓かれるとともに、丹波国の伊可古夜姫を娶り玉依姫をもうけられた。そもそも建角身神の『建』とは、「荒々しい、勇猛な」神であることを意味している。古代から京都の地の守護神として、永く今日まで下加茂神社の西殿に祀られている。(これら加茂建角身神は小烏神社のご祭神とご同神である。)
『小烏大明神』『小烏神社』そして地元「古小烏」の地名に見られる「烏」の名称は、建角身神の化身・八咫烏(やたがらす)に由来すると考えられる。
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
小烏神社 由緒より抜粋
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神社の社紋には八咫烏がデザインされているらしい。
小烏神社(こがらすじんじゃ)
御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
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御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
当社のご祭神、建角身神(八咫烏)は『古事記』『日本書紀』によると神産霊神(神産巣日神)のお孫神で神徳高く、国土開拓のために産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には先導を務めた。皇軍が熊野山中で荒ぶる神々に苦戦を強いられると、建角身神は八咫烏(やたがらす)に化身し、賊軍の説得に努め、土着の神々を服属させると、ついには皇軍を大和国へと導き、大和平定に多大な功績をたてられた。
また『山城国風土記逸文』によると、加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、山城国の加茂に移り、古代京都を拓かれるとともに、丹波国の伊可古夜姫を娶り玉依姫をもうけられた。そもそも建角身神の『建』とは、「荒々しい、勇猛な」神であることを意味している。古代から京都の地の守護神として、永く今日まで下加茂神社の西殿に祀られている。(これら加茂建角身神は小烏神社のご祭神とご同神である。)
『小烏大明神』『小烏神社』そして地元「古小烏」の地名に見られる「烏」の名称は、建角身神の化身・八咫烏(やたがらす)に由来すると考えられる。
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
小烏神社 由緒より抜粋
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神社の社紋には八咫烏がデザインされているらしい。
参拝後、境内を抜けて「味噌喰地蔵尊」を探しに向かいました。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580123
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580178
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊 ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社の境内を抜け、筑紫女学園の通り(警固本通り)に出ようと迷っていると、
ご近所の方がお掃除をされていました。
丘陵のトップあたりの三叉路に、赤い鳥居が・・・・
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社の境内を抜け、筑紫女学園の通り(警固本通り)に出ようと迷っていると、
ご近所の方がお掃除をされていました。
丘陵のトップあたりの三叉路に、赤い鳥居が・・・・
味噌喰地蔵尊
享保の大飢饉の犠牲者を慰霊する目的で建立されたものです。
享保の大飢饉の犠牲者を慰霊する目的で建立されたものです。
警固本通りに向かって、くねくね道を下ります。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580099
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580178















































































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