おおやまざき散策!① -- サントリー山崎蒸留所 離宮八幡宮-- ― 2025-05-23
昨年は、琵琶湖を望む
安土城 散策! (格安フェリーの旅)
近江八幡 散策! (格安フェリーの旅)
彦根 散策!(格安フェリーの旅)-- 清凉寺 龍潭寺 佐和山城跡 ―
彦根 散策!(格安フェリーの旅)-- 彦根城 夢京橋キャッスルロード に訪れました。
今年は、京都沿革の歴史重要地点 山崎合戦と淀川三川合流部を散策に出掛けました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
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今年は、京都沿革の歴史重要地点 山崎合戦と淀川三川合流部を散策に出掛けました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
おおやまざき散策!(格安フェリーの旅)-- 天王山ハイキング・山崎合戦 --①
JR山崎駅 → サントリー山崎蒸留所 → 離宮八幡宮 → 歴史資料館 → 登山口
→ 宝積寺(ほうしゃくじ) → 三川合流展望台 → 旗立松展望台 → 十七烈士の墓 → 酒解神社(さかとけ) → 天王山山頂 山崎城跡 → アサヒグループ大山崎山荘美術館
JR山崎駅 → 阪急大山崎 → 阪急西山天王山
→ 山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園) → 明智光秀本陣跡(境野1号墳)
→ 久貝(バス) 長岡京淀線90系統(バス) → 京阪淀駅 → 石清水八幡宮
JR山崎駅 → サントリー山崎蒸留所 → 離宮八幡宮 → 歴史資料館 → 登山口
→ 宝積寺(ほうしゃくじ) → 三川合流展望台 → 旗立松展望台 → 十七烈士の墓 → 酒解神社(さかとけ) → 天王山山頂 山崎城跡 → アサヒグループ大山崎山荘美術館
JR山崎駅 → 阪急大山崎 → 阪急西山天王山
→ 山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園) → 明智光秀本陣跡(境野1号墳)
→ 久貝(バス) 長岡京淀線90系統(バス) → 京阪淀駅 → 石清水八幡宮
JR山崎駅。 (JR住吉→JR高槻→JR山崎)
デイリーヤマザキ方面へ向かいサントリー蒸留所を目指します
駅から細い道を抜けると、関大明神があり 大阪府島本町の標識が・・・
先ほどの標識を西から観ると、京都府大山崎町の標識・・・ 県境です。
西国街道の西を望むと、サントリー蒸留所が見えます。
杜の入り口
通路を進むと、ウイスキー館
離宮八幡宮 惣門
鳥居・中門
拝殿・本殿
離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)由緒
平安時代末頃より燈明用の荏胡麻油の生産が始まり鎌倉時代には油の製造販売を山崎の油商人が独占していました
離宮八幡宮 東門
大山崎町歴史資料館
天王山登山口への近道です
JRの踏切を渡ると、天王山登山口です
つぎは、天王山登山口から 天王山ハイキング 天王山山頂 山崎城跡を目指します
おおやまざき散策!② -- 天王山ハイキング・アサヒ大山崎山荘美術館 -- ― 2025-05-23
おおやまざき散策!(格安フェリーの旅)-- 天王山ハイキング・山崎合戦 -
今回は、京都沿革の歴史重要地点 山崎合戦と淀川三川合流部を散策に出掛けました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
おおやまざき散策! --②
JR山崎駅 → サントリー山崎蒸留所 → 離宮八幡宮 → 歴史資料館 → 天王山登山口
②天王山登山口→ 宝積寺(ほうしゃくじ) → 三川合流展望台 → 旗立松展望台
→ 十七烈士の墓 → 酒解神社(さかとけ) → 天王山山頂 山崎城跡
→ アサヒグループ大山崎山荘美術館
JR山崎駅 → 阪急大山崎 → 阪急西山天王山
→ 山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園) → 明智光秀本陣跡(境野1号墳)
→ 久貝(バス) 長岡京淀線90系統(バス) → 京阪淀駅 → 石清水八幡宮
JR山崎駅近くの天王山上り口 天王山登山口石標
【大念寺】
【宝積寺(ほうしゃくじ)】
宝積寺 山門。 阿吽の金剛力士像(重要文化財)
山崎合戦の後に秀吉が一夜で建立した三重塔は重要文化財に指定されています。
宝積寺(ほうしゃくじ)は、神亀元年724年、聖武天皇の勅願により行基によって開山され、
本堂に十一面観音を本尊に大黒天神も祀られております。
山崎の戦いの際に、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が本陣を置いた寺でもあります。
山崎の戦いの際に、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が本陣を置いた寺でもあります。
境内にある「秀吉 出世石」。
説明板によると山崎合戦の折、秀吉はここを陣所とし、この石に腰掛けた。
戦いに勝利し天下人への道を歩み始めたという言い伝え。
本堂向かって右手にある閻魔堂
宝積寺石造五重塔(鎌倉時代)
宝積寺を経て、登山道に入ります
天王山への山道入口は、本堂向かって右手にある閻魔堂の更に奥にあります。
天王山ハイキングコース 約4.8km のスタートです。
途中開けたところで、三川合流地点が見える
青木葉谷展望広場
陶板絵図② 「秀吉の中国大返し」 解説文は堺屋太一作
三川合流地点が見える青木葉谷展望広場の展望所
展望所の眼下には淀川が見えている。
梅田のビル群や大阪城も見えるというのだが、霞んでいて見えません。
山崎の合戦時に秀吉が軍旗をかかげた旗立松展望台
旗立松の奥には「山崎合戦之地」石碑がある。
しかし実際には山崎合戦は、ここ天王山上ではなく、その麓の地(小泉川沿い)で行われた。
旗立松の山頂側に展望台があり、そこから明智軍と秀吉軍が布陣していたとされる山崎の古戦場や三川合流地点が確認できます。
酒解神社 (さかとけじんじゃ) の一の鳥居
陶板絵図③「頼みの諸将来たらず」
陶板絵図④「天下分け目の天王山」
陶板絵図④「天下分け目の天王山」
禁門の変の首謀者の一人である真木和泉守以下17名が眠る墓です。幕末、尊王譲位の活動家であった和泉守は脱藩浪士を率いて山崎に軍を置きました。
陶板絵図⑤「明智光秀の最期」
自玉手祭来酒解神社(酒解神社)
神社の場所は天王山山頂より約百メートルほど下つたところに位置し、本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築で日本にある板倉式倉庫としては最古の例であり、国の重要文化財に指定されています
神社の場所は天王山山頂より約百メートルほど下つたところに位置し、本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築で日本にある板倉式倉庫としては最古の例であり、国の重要文化財に指定されています
本殿
左に天王山山頂へ向かいます。 右は小倉神社方面へ。
天王山山頂・山崎城跡
麓から歩くこと、1時間程度、270.4メートルの標高の高さにある山頂です。山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。かつて城が築かれており、その痕跡を発見できるところにあります。
麓から歩くこと、1時間程度、270.4メートルの標高の高さにある山頂です。山頂は大きく広場のようになっており、土肌がみえています。かつて城が築かれており、その痕跡を発見できるところにあります。
井戸の跡
陶板絵図⑥「秀吉の天下人への道…」
天王山山頂へ続く道の途中にある「竹林のこみち」かな?
下りの途中で、下の方に覗き見ることができました。
陶板絵図⑥「本能寺の変」
アサヒグループ山崎山荘美術館に向かう、トンネルの手前にあります。
アサヒグループ山崎山荘美術館に向かう、トンネルの手前にあります。
【アサヒグループ大山崎山荘美術館】を覗いて観ようと、トンネルを抜けて向かいます。
アサヒグループ大山崎山荘美術館は、大正から昭和初期にかけて加賀正太郎によって建築された「大山崎山荘」(登録有形文化財)を本館として、建築家・安藤忠雄設計による地中館(1995年竣工)、山手館(2012年竣工)とともに公開しています。
羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀による山崎の戦いや、幕末の禁門の変で知られる天王山。
天王山は気軽に登ることができる標高約270メートルの山で、登山道は整備されているため気軽にハイキングを楽しむことができます。
当日も、5~6グループがハイキングを楽しんで天王山山頂・山崎城跡で昼食をとっておられました。気軽にと言っても70過ぎの前期高齢者にとってはかなりの休憩が必要でした。
10:00登山口~11:30天王山山頂、下りは半分くらいの時間でした。
山崎合戦と淀川三川合流部を思い描きながら楽しい時間でした。
天王山は気軽に登ることができる標高約270メートルの山で、登山道は整備されているため気軽にハイキングを楽しむことができます。
当日も、5~6グループがハイキングを楽しんで天王山山頂・山崎城跡で昼食をとっておられました。気軽にと言っても70過ぎの前期高齢者にとってはかなりの休憩が必要でした。
10:00登山口~11:30天王山山頂、下りは半分くらいの時間でした。
山崎合戦と淀川三川合流部を思い描きながら楽しい時間でした。
おおやまざき散策!③ -- 山崎合戦古戦場 ・ 石清水八幡宮-- ― 2025-05-23
おおやまざき散策!(格安フェリーの旅)-- 天王山ハイキング・山崎合戦
今回は、京都沿革の歴史重要地点 山崎合戦と淀川三川合流部を散策に出掛けました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
「天下分け目の天王山」・ 山崎合戦古戦場碑 ・ 明智光秀本陣跡を目指しました。
おおやまざき散策!--③
JR山崎駅 → サントリー山崎蒸留所 → 離宮八幡宮 → 歴史資料館 → 天王山登山口
天王山登山口→ 宝積寺(ほうしゃくじ)→ 三川合流展望台 → 旗立松展望台→十七烈士の墓 → 酒解神社(さかとけ) → 天王山山頂 山崎城跡→ アサヒグループ大山崎山荘美術館
③ JR山崎駅 → 阪急大山崎 → 阪急西山天王山
→ 山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園) → 明智光秀本陣跡(境野1号墳)
→ 久貝(バス) 長岡京淀線90系統(バス) → 京阪淀駅 → 石清水八幡宮
阪急大山崎 から一駅、 阪急西山天王山へ
阪急西山天王山で下車。
ナビで、山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園)を検索すると、割と直線距離で案内が出たので南へ徒歩で向かう。
山崎合戦古戦場碑 (天王山夢ほたる公園) に到着。
(天王山夢ほたる公園)
何もない高架の下に、山崎合戦古戦場碑がポツンとありました。
古戦場碑とは離れた、公園の橋の方に設置されていました。
さらに、大山崎中学校とサントリーワイナリーの間を東へ向かうと明智光秀本陣跡です。
長岡京淀線90系統(バス) 久貝バス停から、 京阪淀駅へ向かう。
電車で一駅で石清水八幡宮駅です。
ケーブルカーだと約3分、徒歩だと約30〜40分かかる
【男山展望台】
石清水八が鎮座している場所は、木津川・宇治川・桂川の3つの川が
合流して淀川となる地点であり、京都と難波間の交通の要衝だったそうです
合流して淀川となる地点であり、京都と難波間の交通の要衝だったそうです
【石清水八幡宮】
南総門へ向かう参道
供御所にある竃神殿には大きな釜があります。
南総門
石清水八幡宮の八幡様は、京都の裏鬼門を守る守護神として
860年(平安時代前期)に大分県の宇佐神宮から勧請されました
860年(平安時代前期)に大分県の宇佐神宮から勧請されました
八幡造り御本殿
本殿は八幡造という建築様式で内殿と外殿という2つの棟が前後に並び、横から見ると屋根がM字型に見えることも大きな特徴。現存する八幡造では最古かつ最大規模で、貴重な社殿形式。
築地塀 通称「信長塀」ともいわれる社殿を囲む土塀
御本殿昇殿口
鬼門封じ 東北の角が切りとられている石垣
気比社、水若宮
若宮社
住吉社、一童社
校倉(あぜくら)(宝蔵)、江戸時代中期からある類例の少ない校倉建築で京都府指定文化財です。
楠木正成の楠 樹齢約700年の楠木正成奉納の大楠
左の神楽殿の角から、本殿内を覗ける空間があります。望遠で見ると・・
本殿の桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長寄進の「黄金の樋(とい)」が架けられている。
黄金の雨樋 天正8年織田信長寄進の雨樋(通常非公開)
中央チョイ下に横に走る雨樋が見えます。
八幡宮関係者の方に教えてもらいました。
永仁の石灯籠
三ノ鳥居
一ッ石 「勝負石」とも呼ばれる勝負必勝・勝運の石
表参道をくだり、二ノ鳥居 頓宮 一ノ鳥居へ 向かいます。
七曲がり
二ノ鳥居
頓宮
頓宮 年に一度重儀が斎行される社殿
一ノ鳥居 「八幡宮」の額が掛かる表参道入口の鳥居
扁額は一条天皇の勅願で藤原行成が書いた木製のものを後に、江戸時代
松花堂昭乗が書写したもので、八の字が向かい合う鳩となっています。
松花堂昭乗が書写したもので、八の字が向かい合う鳩となっています。
天王山名物「秀吉の道 陶板絵図」 ― 2025-05-28
おおやまざき散策!② -- 天王山ハイキング・アサヒグループ大山崎山荘美術館 --
↓ ↓
天王山ハイキング登山中に写真を撮った天王山名物「秀吉の道 陶板絵図」をまとめました。
大山崎町では、このハイキングコースを「秀吉の道」と名づけ、秀吉の天下取りの物語を解説する案内板を設置しました。
案内板の数は全部で6カ所。いずれも絵画と解説文があり、美しい陶板で製作されています。
高さ1.8メートル、幅は5メートルを超えるものもあり、合戦の絵図などは、さながら壮大な絵巻物を見るようです。
原画となったのは、日本画家である岩井弘さんによって描かれた屏風絵図で、当時の戦国武将や合戦の様子などが、迫力あるタッチで表現されています。
また解説文は、人気作家でもある経済評論家・堺屋太一さんによるものです。史実をふまえながらも新たな視点で描かれ、魅力あふれる解説文になっており、英文でも注釈が添えられています。
「秀吉の道」は、天王山のふもとにあるアサヒビール大山崎山荘美術館付近から始まって、宝積寺を通り、三川合流展望広場、旗立松展望台、酒解神社、そして天王山山頂広場へと続いています。秀吉の天下取りの物語を描いた陶板絵図はこのコースに沿って設置されています。
陶板は、まず明智光秀の謀反「本能寺の変」に始まり、「中国大返し」「山崎の合戦」などを経て、山頂の「秀吉の覇権」で完結します。最後の陶板絵図「秀吉の覇権」では、天下統一を果たした覇者としての威厳をもった秀吉が描かれています。 (大山崎町観光課HPより)
案内板の数は全部で6カ所。いずれも絵画と解説文があり、美しい陶板で製作されています。
高さ1.8メートル、幅は5メートルを超えるものもあり、合戦の絵図などは、さながら壮大な絵巻物を見るようです。
原画となったのは、日本画家である岩井弘さんによって描かれた屏風絵図で、当時の戦国武将や合戦の様子などが、迫力あるタッチで表現されています。
また解説文は、人気作家でもある経済評論家・堺屋太一さんによるものです。史実をふまえながらも新たな視点で描かれ、魅力あふれる解説文になっており、英文でも注釈が添えられています。
「秀吉の道」は、天王山のふもとにあるアサヒビール大山崎山荘美術館付近から始まって、宝積寺を通り、三川合流展望広場、旗立松展望台、酒解神社、そして天王山山頂広場へと続いています。秀吉の天下取りの物語を描いた陶板絵図はこのコースに沿って設置されています。
陶板は、まず明智光秀の謀反「本能寺の変」に始まり、「中国大返し」「山崎の合戦」などを経て、山頂の「秀吉の覇権」で完結します。最後の陶板絵図「秀吉の覇権」では、天下統一を果たした覇者としての威厳をもった秀吉が描かれています。 (大山崎町観光課HPより)
1枚目 本能寺の変~「鬼」信長を討った「人」光秀~
2枚目 秀吉の中国大返し~勝負を決めた判断と行動~
3枚目 頼みの諸将来たらず~明智光秀の誤算~
4枚目 天下分け目の天王山~勝負は川沿いで決まった~
5枚目 明智光秀の最後~古い常識人の敗北~
6枚目 秀吉の「天下人への道」はここからはじまった
大山崎町観光課HPより 秀吉の道パンフ (PDFファイル: 2.5MB) ↓ ↓
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