新しくなった福岡市美術館へ行ってきました。 ― 2019-05-01
新しくなった福岡市美術館
福岡市美術館リニューアルオープン記念展
+ インカ・ショニバレCBE : Flower Power
+ インカ・ショニバレCBE : Flower Power
福岡市美術館リニューアルオープン記念展
+ インカ・ショニバレCBE : Flower Power
+ インカ・ショニバレCBE : Flower Power
最後の展示、桜を放つ女性のみ撮影可でした。
ハイビスカスの下に座る少年
瓶の中のネルソンの船
Nelson's Ship in a Bottle The Fourth Plinth Trafalgar Square, London では、
直径2.8m、長さ4.7mと超巨大な作品だった。が、
この見事な帆船を、どうやってあの細い口からボトルのなかに入れたのかが気になる!
オディールとオデット ビデオ14分 (テーマ 白鳥の湖、白と黒、善と悪)
さようなら、過ぎ去った日々よ ビデオ17分
暗幕でしきったホールにて連続放映
瓶の中のネルソンの船
Nelson's Ship in a Bottle The Fourth Plinth Trafalgar Square, London では、
直径2.8m、長さ4.7mと超巨大な作品だった。が、
この見事な帆船を、どうやってあの細い口からボトルのなかに入れたのかが気になる!
オディールとオデット ビデオ14分 (テーマ 白鳥の湖、白と黒、善と悪)
さようなら、過ぎ去った日々よ ビデオ17分
暗幕でしきったホールにて連続放映
ウィンド・スカルピチャ― "マテリアル"
オランダ製ワックスプリント綿布
「アフリカンプリント」
たくさんの興味ある作品と巡り合いました。
おなじみの市美術館所蔵の作品の数々をいっせいに見ることができます。
大濠公園側に設けられた新しいアプローチ
北側の広い「エスプラナード」と呼ばれる広場から2階への入口
大濠公園ジョギングロードの案内
長崎街道 桂川~上穂波~内野宿 ― 2019-05-02
長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間57里(およそ228km)を25か所の宿場で結んでいました。
長崎街道は慶長17年(1612年)に冷水峠が拓かれたことによって小倉から長崎まで57里(228キロ)に25宿が整備されました。
黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれます。
黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれます。
長崎街道 桂川~上穂波~内野宿
今回、桂川駅からスタート、内野宿、冷水峠を越えて山家宿の山家駅まで歩きました。
筑紫野市側の大根地神社鳥居までは軽快でしたが、鳥居から山家までの国道200号が疲れました。
天開稲荷大明神
JR筑豊本線新茶屋踏切、街道案内板。斜めに横切ります。
豆田天満宮
菅原道真が祀られています。
菅原道真が祀られています。
R200に合流、出雲交差点手前
しばらくR200沿いを歩く
長尾の信号を右折
穂波川に架かる 汐井川橋
筑穂町長尾から穂波町天道までの道筋は、元禄14年(1701)までの間に路線の変更があったそうです。 右折すると古い街道で一里塚・桂川駅方面となります。
筑穂町JR沿いにの榎の大木があります。なぜ街道から外れたこの場所にあるのか??
旧街道沿いの榎の大木の下にある一里塚跡
一里塚 、 一字一石塔 、 猿田彦大神
街道との分岐点に戻ります。
長尾の老松神社
飯塚市穂波支所 街道沿いから見たので裏ですかね!
阿恵の老松神社が見えてきました。 右折すると上穂波駅です。
阿恵の老松神社
阿恵の旧街道沿い
馬出橋(うまでばし)
参勤交代で旧長崎街道を通っていた人々は、ここ(山口川)で馬を洗い休憩していたそうです。
参勤交代で旧長崎街道を通っていた人々は、ここ(山口川)で馬を洗い休憩していたそうです。
虎御前の墓
JR筑豊本線 湯ノ浦踏切。 踏切を渡ると愛宕神社。
愛宕神社
街道と筑豊本線が交差する踏切近くの小高い丘の上にあります。
街道と筑豊本線が交差する踏切近くの小高い丘の上にあります。
猿田彦大神
街道はJR筑豊本線沿いに進みます。
湯之浦公民館
左が国道200号、JR筑豊本線、長崎街道。 横山峠に向かいます。
横山踏切を渡り、国道200号方面へ。
横山の切通/横山峠 (横山踏切より上穂波方面を望む。)
阿恵から内野に向かう途中に岩盤が掘削された切通があります。
長崎街道とJR筑豊本線と国道200号
阿恵から内野に向かう途中に岩盤が掘削された切通があります。
長崎街道とJR筑豊本線と国道200号
内野横山 ・・国道200号の右側のちょっと高いところを街道は進みます。
内野宿が見えてきました。
街道の右は、JR筑豊本線です。
小太公民館
JR筑豊本線 筑前内野駅
長崎街道 内野宿 ― 2019-05-02
長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間57里(およそ228km)を25か所の宿場で結んでいました。
長崎街道は慶長17年(1612年)に冷水峠が拓かれたことによって小倉から長崎まで57里(228キロ)に25宿が整備されました。
黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれます。
長崎街道 内野宿
JR筑前内野駅
街道沿いにある内野小学校
東構口跡
若松屋
左、麹屋 右、松屋
内野郵便局
薩摩屋 油屋跡
人馬継所跡/角屋
本陣 御茶屋跡へ向かう小路
肥前屋
小倉屋
三辻屋(酒屋)
長崎屋
大庭家
内野上町
大黒屋
伊藤家
西構口跡
老松神社
内野関屋・大門跡
国道200号
冷水バイパス脇の旧道を進みます。
内野荒田の大根地神社鳥居が見えてきました。
鳥居を進むと、冷水峠越えです。
長崎街道 冷水峠越え (内野~冷水峠~山家) ― 2019-05-02
長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間57里(およそ228km)を25か所の宿場で結んでいました。
長崎街道は慶長17年(1612年)に冷水峠が拓かれたことによって小倉から長崎まで57里(228キロ)に25宿が整備されました。
黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれます。
長崎街道 冷水峠越え (内野~冷水峠~山家)
内野荒田→長崎街道→首なし地蔵→大根地神社⛩→山家
内野荒田の大根地神社鳥居
冷水バイパスの下を通って、冷水峠に向かいます。
峠の入り口民家の横、JR筑豊本線 冷水トンネル
トンネルの上から内野方面を望む 線路の上は冷水バイパス
民家が2軒ほどあり、田植え中の昼食会が・・・・・
2軒の民家をちょっと上ると、石畳の坂。
首なし地蔵堂が見えてきました。 (山主の方が山の手入れをされてました)
地蔵堂が新しくなっています。
首なし地蔵
冷水の由来とも言われる小川が流れ、文政年間の石橋も残っています。
この付近も大雨でかなり荒れてやっと通過できるようになったそうです。
この付近も大雨でかなり荒れてやっと通過できるようになったそうです。
一里塚跡
大根地神社鳥居が見えてきました。
神社方面散策の地元の方が、「通れましたか?」と声をかけられました。
ここ数か月で通行可となったようです。
大根地神社鳥居
旧長崎街道に面し、大根地神社参道入口として建てられたもので、鳥居の手前に「大根地宮十四丁」及び「正一位稲荷別格大々祀式鎮座」の石標柱が建っています。
郡境石 「従是東穂波郡」と銘文があります
九州自然歩道にもなっている。(案内板)
しばらく下ると、冷水峠国道200号に合流する。
大根地神社⛩(山家側)
国道200号沿いを下ります。 ところどころ。旧街道が右左に残っています。
上西山バス停 (バスはここまで運行されています)
旧街道を散策していたら、2時間に一本のバスが行ってしまいました。( ノД`)シクシク…
下西山バス停
下西山バス停横の橋の上から、冷水方面を望む。 冷水道路
下西山バス停横の橋の上から、冷水方面を望む。 JR筑豊本線 冷水トンネル
国道200号をひたすら歩きました。
歩道はなく、車がすぐ脇を通過していきます。
JR筑豊本線 山家駅
やっと着きましたが、JRもバスも一時間待ち!!
桜井二見ヶ浦の夫婦岩大注連縄掛祭 - 福岡県糸島市志摩桜井 ― 2019-05-04
桜井二見ヶ浦の夫婦岩大注連縄掛祭
糸島半島の北部、県道54号線沿いに二見ヶ浦に進むと、海岸沿いに大きな夫婦岩と大鳥居が目につきます。
桜井二見ヶ浦は、糸島半島北部に位置し、夫婦岩は海岸から約150メートルの海中に屹立しています。
夫婦岩は櫻井神社の宇良宮として、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)が祀られています。
古くから桜井神社(県の文化財)の社地として神聖な場と崇敬され、長さ30メートル、重さ1トンの大注連縄(おおしめなわ)が張られています。
この2つの岩は、高さ11.2メートルと11.8メートルで、冬は玄界灘の荒波を砕いて雄大剛壮の観を呈し、春は波穏やかな海中に夫婦の姿を現し、古くは竜宮の入口として親しまれていました。
神聖の処と崇敬され、毎年4月下旬から5月上旬の大潮の日には、60余人の氏子たちにより、長さ30m、重さ1tの大注連縄(おおしめなわ)が掛け換えられます。
桜井二見ヶ浦は、糸島半島北部に位置し、夫婦岩は海岸から約150メートルの海中に屹立しています。
夫婦岩は櫻井神社の宇良宮として、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)が祀られています。
古くから桜井神社(県の文化財)の社地として神聖な場と崇敬され、長さ30メートル、重さ1トンの大注連縄(おおしめなわ)が張られています。
この2つの岩は、高さ11.2メートルと11.8メートルで、冬は玄界灘の荒波を砕いて雄大剛壮の観を呈し、春は波穏やかな海中に夫婦の姿を現し、古くは竜宮の入口として親しまれていました。
神聖の処と崇敬され、毎年4月下旬から5月上旬の大潮の日には、60余人の氏子たちにより、長さ30m、重さ1tの大注連縄(おおしめなわ)が掛け換えられます。
海中の鳥居は「櫻井型神明造両袖構」と称する独特の型をしています。
午後二時頃 しめ縄到着
神事の準備が始まりました
神事が終わると、50人ほどの氏子が大蛇のように長い注連縄を担ぎ、海を夫婦岩まで歩いて渡ります。
大蛇のような注連縄が海を渡ります
長さ30m、重さ1tの大注連縄(おおしめなわ)が掛け換えられます。
終了後 神賑の餅まきがありました。
神事日程について(小雨斎行)
五月四日 午前八時より 神社にて祭典(祈願書御祈祷)斎行
同 日 午前九時より 神社広庭にて大注連ない行事
同 日 午後二時半頃 二見ヶ浦にて祭典しめ縄かけ祭・大注連祓神事。
(潮の引き方により時間が遅くなる場合があります。)
同 日 終了後 神賑の餅まきがあります。
※二見ヶ浦では磯あそびも出来ます。
櫻井神社 福岡県糸島市志摩桜井4227
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