福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社 ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社を探していると、案内板があり、見つけました。
正面の鳥居。
倒壊したのでしょうか、石灯籠の石塊が放置されています。
注連縄柱
手水舎
狛犬
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
境内神社、天満宮 (菅原道真)
境内神社、稲荷神社(倉稲魂神)
小烏神社(こがらすじんじゃ)
御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
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御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
当社のご祭神、建角身神(八咫烏)は『古事記』『日本書紀』によると神産霊神(神産巣日神)のお孫神で神徳高く、国土開拓のために産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には先導を務めた。皇軍が熊野山中で荒ぶる神々に苦戦を強いられると、建角身神は八咫烏(やたがらす)に化身し、賊軍の説得に努め、土着の神々を服属させると、ついには皇軍を大和国へと導き、大和平定に多大な功績をたてられた。
また『山城国風土記逸文』によると、加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、山城国の加茂に移り、古代京都を拓かれるとともに、丹波国の伊可古夜姫を娶り玉依姫をもうけられた。そもそも建角身神の『建』とは、「荒々しい、勇猛な」神であることを意味している。古代から京都の地の守護神として、永く今日まで下加茂神社の西殿に祀られている。(これら加茂建角身神は小烏神社のご祭神とご同神である。)
『小烏大明神』『小烏神社』そして地元「古小烏」の地名に見られる「烏」の名称は、建角身神の化身・八咫烏(やたがらす)に由来すると考えられる。
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
小烏神社 由緒より抜粋
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神社の社紋には八咫烏がデザインされているらしい。
小烏神社(こがらすじんじゃ)
御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
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御祭神 建角身神(八咫烏) (別称 小烏大明神)
当社のご祭神、建角身神(八咫烏)は『古事記』『日本書紀』によると神産霊神(神産巣日神)のお孫神で神徳高く、国土開拓のために産霊の威徳をもって、神武天皇ご東征の折には先導を務めた。皇軍が熊野山中で荒ぶる神々に苦戦を強いられると、建角身神は八咫烏(やたがらす)に化身し、賊軍の説得に努め、土着の神々を服属させると、ついには皇軍を大和国へと導き、大和平定に多大な功績をたてられた。
また『山城国風土記逸文』によると、加茂建角身神は大和国の葛木山の峰から、山城国の加茂に移り、古代京都を拓かれるとともに、丹波国の伊可古夜姫を娶り玉依姫をもうけられた。そもそも建角身神の『建』とは、「荒々しい、勇猛な」神であることを意味している。古代から京都の地の守護神として、永く今日まで下加茂神社の西殿に祀られている。(これら加茂建角身神は小烏神社のご祭神とご同神である。)
『小烏大明神』『小烏神社』そして地元「古小烏」の地名に見られる「烏」の名称は、建角身神の化身・八咫烏(やたがらす)に由来すると考えられる。
社殿
社殿は、本殿、渡殿、拝殿の三殿からなり、慶長十三年頃の建築様式を今に伝えている。
小烏神社 由緒より抜粋
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神社の社紋には八咫烏がデザインされているらしい。
参拝後、境内を抜けて「味噌喰地蔵尊」を探しに向かいました。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580123
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580178
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊 ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社の境内を抜け、筑紫女学園の通り(警固本通り)に出ようと迷っていると、
ご近所の方がお掃除をされていました。
丘陵のトップあたりの三叉路に、赤い鳥居が・・・・
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
小烏神社の境内を抜け、筑紫女学園の通り(警固本通り)に出ようと迷っていると、
ご近所の方がお掃除をされていました。
丘陵のトップあたりの三叉路に、赤い鳥居が・・・・
味噌喰地蔵尊
享保の大飢饉の犠牲者を慰霊する目的で建立されたものです。
享保の大飢饉の犠牲者を慰霊する目的で建立されたものです。
警固本通りに向かって、くねくね道を下ります。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580099
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580140
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580178
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社 ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
筑紫女学園の通り(警固本通り)から旧道方面に
音響機材のSTAFFさんの近くです。
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
高級住宅街と、こんもりした緑地帯を歩きました。
筑紫女学園の通り(警固本通り)から旧道方面に
音響機材のSTAFFさんの近くです。
江戸時代には大鋸ノ谷(おがのたに)と称されていたそうです。
ちょっと入っただけで鬱蒼とした丘陵地です。
ちょっと入っただけで鬱蒼とした丘陵地です。
桜ヶ峰神社
天満宮・菅原神社
鳥居の扁額。 天満宮とあります。
菅原神社とも・・・・ 天神信仰ですね。
菅原神社とも・・・・ 天神信仰ですね。
境内の片隅には、小さな社がありました。
「一徳神社」とあります。
お社に住居表示があるのははじめてです!
お社に住居表示があるのははじめてです!
貼る場所をちょっと考えてほしいですね。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
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福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
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福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
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福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地)
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福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。 ふくろうの森(赤坂西緑地) ― 2015-02-26
中央区平尾~浄水に続いて、
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社を訪れたあと、ふくろうの森(赤坂西緑地)へ。
丘陵地になっている この辺りは、高級住宅地で、今も緑地が多く残されています。
天満宮・菅原神社から、護国神社方面へ。
桜坂・古小烏あたりから護国神社に向けて
桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社を訪れたあと、ふくろうの森(赤坂西緑地)へ。
丘陵地になっている この辺りは、高級住宅地で、今も緑地が多く残されています。
天満宮・菅原神社から、護国神社方面へ。
路地を入ると鬱蒼とした木々の茂みが!
ふくろうの森(赤坂西緑地)です。
住所は赤坂3丁目みたいですが、目の前の森は桜坂2丁目みたいです。
そしてその西側は、六本松3丁目です。護国神社の前にある京懐石「松幸」の裏というか!
こんな都会に、たくさんの緑が残されています。
そしてその西側は、六本松3丁目です。護国神社の前にある京懐石「松幸」の裏というか!
こんな都会に、たくさんの緑が残されています。

月形洗蔵居宅碑
月形洗蔵は、日本が開国するまでの混迷の時代に、薩長連合のきっかけをつくった福岡藩士です。幕末の筑前藩主黒田長溥が佐幕的立場から、勤王党に大弾圧を加え、乙丑の獄で月形洗蔵らを斬首刑に処してしまいました。
月形洗蔵は、日本が開国するまでの混迷の時代に、薩長連合のきっかけをつくった福岡藩士です。幕末の筑前藩主黒田長溥が佐幕的立場から、勤王党に大弾圧を加え、乙丑の獄で月形洗蔵らを斬首刑に処してしまいました。
野村望東尼誕生之地碑
野村望東は、文化3(1806)年9月6日、黒田藩士である浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城に程近い南谷の御厩後(おうまやのうしろ)に生まれた。本名は、「モト」。現在、彼女の生誕地には、石碑がたっている。
野村望東は、文化3(1806)年9月6日、黒田藩士である浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城に程近い南谷の御厩後(おうまやのうしろ)に生まれた。本名は、「モト」。現在、彼女の生誕地には、石碑がたっている。
丘陵地になっている この辺りは、福岡藩の武家屋敷跡で、今も緑地が多く残されています。
福岡市中央区平尾 ~ 浄水 界隈を散策しました。
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/25/7579028
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。小烏神社
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580099
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。味噌喰地蔵尊
http://kaz1001.asablo.jp/blog/2015/02/26/7580123
福岡市中央区 桜坂 ~ 赤坂 界隈を散策しました。桜ヶ峰神社 - 天満宮・菅原神社
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