櫛田神社の節分名物、日本一大きいお多福面 - 福岡市博多区上川端町 ― 2026-01-16
諏訪神社 ― 佐賀県唐津市(旧東松浦郡浜玉町) ― 2026-01-10
諏訪神社は、その創建が784年(延暦3年)と伝えられる
佐賀県唐津市浜玉町(旧東松浦郡浜玉町)に鎮座する由緒ある神社です。
御神砂、お守り、受所
諏訪神社入り口の右横には宮司さんのお宅があり、神砂などのお守りはこちらでいただけます。
拝殿
拝殿の真ん中に鷹が奉られています
御本殿
御神木 大楠
この社の前の大楠は、諏訪姫様の愛鷹の、化身といわれています。その根元が愛鷹の爪で、其の爪がグッと台地に食い込んで、ご本殿に祀られてある諏訪姫様を今もなおしっかりと護っております。 境内案内板より
道祖神社 御祭神・・・猿田彦命(雄石)、天宇豆目命(雌石)
境内に祀ってある夫婦岩。55年ほど前に近くの野田という部落で「女岩」が夜毎にすすり泣くといわれ、先代宮司と村人が相談の上、諏訪神社に前からあった「男岩」に嫁入りさせ、その後鳴き声はきこえなくなったという話しである。「道祖神」として祀られ、その後、「縁結び」「夫婦円満」「子授け」の神として参詣者が後を絶たないそうです。
境内に祀ってある夫婦岩。55年ほど前に近くの野田という部落で「女岩」が夜毎にすすり泣くといわれ、先代宮司と村人が相談の上、諏訪神社に前からあった「男岩」に嫁入りさせ、その後鳴き声はきこえなくなったという話しである。「道祖神」として祀られ、その後、「縁結び」「夫婦円満」「子授け」の神として参詣者が後を絶たないそうです。
御神苑
御神苑の奥の一番高い所が古墳(自害された諏訪姫様を祀る)と謂われています。
謝罪の松
御神苑のなかに幹がねじれた松の木があります。
御神苑のなかに幹がねじれた松の木があります。
これは、諏訪姫様の愛鷹をかみ殺した蝮が、古墳に眠っておられる諏訪姫様に、
のたうち回りながら謝罪をしているところから、
「のたうち回りの松」又は「謝罪の松」と謂います。
祇園社
社殿の四隅を支える人の姿が・・・
抱擁の木
諏訪姫様と誓来の永遠の愛の契りが具体化したこの抱擁の樹は、インド密教の世界では「歓喜仏」と称して、もの凄いエネルギーが存在します。故に偉大な仏と謂われ、畏敬と尊厳の象徴として崇拝されています。 境内案内板より
諏訪姫様と誓来の永遠の愛の契りが具体化したこの抱擁の樹は、インド密教の世界では「歓喜仏」と称して、もの凄いエネルギーが存在します。故に偉大な仏と謂われ、畏敬と尊厳の象徴として崇拝されています。 境内案内板より
末社殿の鳥居 境内の奥の方には、末社が並んでいます
皇大神宮・道祖神社・稲荷神社・天満宮
諏訪神社の概要
諏訪神社は、その創建が784年(延暦3年)と伝えられており、非常に長い歴史を持っています。所在地は、佐賀県唐津市浜玉町です。祭神としては、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)、そして諏訪前命(すわさきのみこと)が祀られています。特に諏訪前命にまつわる伝説が有名で、百済からの渡来人との悲恋物語が神社の由来として語り継がれています。
諏訪前命と百済の伝説
百済から渡来した鷹使い「誓来(せいらい)」が大和朝廷に鷹を献上するために訪れた際、朝廷から遣わされたのが、大矢田連の娘である諏訪姫でした。誓来は諏訪姫に鷹狩の技術を教え、二人は恋に落ちました。しかし、誓来は祖国に戻らなければならず、別れの時が訪れます。その際、鷹狩が行われましたが、誓来の鷹がマムシに絞め殺されてしまいます。これを悲しんだ諏訪姫は自害し、その後、彼女は諏訪神社に祀られることになりました。この伝説から、諏訪神社の砂には「マムシ除け」のご利益があるとされています。
諏訪神社の歴史
諏訪神社の創建は、延暦3年(784年)と伝えられていますが、諏訪姫の物語が語る時期と百済の存在した時期が一致しないため、西暦500年頃に創建されたともされています。応仁の乱の際には戦火に巻き込まれて焼失しましたが、その後、規模を縮小して再建されました。
豊臣秀吉が文禄・慶長の役のために名護屋城へ向かう途中、この神社に戦勝祈願のために参拝したとの記録も残っています。この時、地元の住民が献上した「けえらん」という餅菓子は、現在でも神社周辺で土産物として販売されており、地域の特産品となっています。
by 佐賀県 観光 © mytabi
諏訪神社は、その創建が784年(延暦3年)と伝えられており、非常に長い歴史を持っています。所在地は、佐賀県唐津市浜玉町です。祭神としては、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)、そして諏訪前命(すわさきのみこと)が祀られています。特に諏訪前命にまつわる伝説が有名で、百済からの渡来人との悲恋物語が神社の由来として語り継がれています。
諏訪前命と百済の伝説
百済から渡来した鷹使い「誓来(せいらい)」が大和朝廷に鷹を献上するために訪れた際、朝廷から遣わされたのが、大矢田連の娘である諏訪姫でした。誓来は諏訪姫に鷹狩の技術を教え、二人は恋に落ちました。しかし、誓来は祖国に戻らなければならず、別れの時が訪れます。その際、鷹狩が行われましたが、誓来の鷹がマムシに絞め殺されてしまいます。これを悲しんだ諏訪姫は自害し、その後、彼女は諏訪神社に祀られることになりました。この伝説から、諏訪神社の砂には「マムシ除け」のご利益があるとされています。
諏訪神社の歴史
諏訪神社の創建は、延暦3年(784年)と伝えられていますが、諏訪姫の物語が語る時期と百済の存在した時期が一致しないため、西暦500年頃に創建されたともされています。応仁の乱の際には戦火に巻き込まれて焼失しましたが、その後、規模を縮小して再建されました。
豊臣秀吉が文禄・慶長の役のために名護屋城へ向かう途中、この神社に戦勝祈願のために参拝したとの記録も残っています。この時、地元の住民が献上した「けえらん」という餅菓子は、現在でも神社周辺で土産物として販売されており、地域の特産品となっています。
by 佐賀県 観光 © mytabi
景観を守る建物、けいらん屋さんも・・・
2026年 初ドライブ 唐津市七山 Funny Nanayamaへ ― 2026-01-09
長閑な山里で心地良い音楽が流れる COFFEE & JAZZ・ROCK FUNNY NANAYAMA
今日も美味しいランチをいただきました。
中央の大木は、佐賀の銘木ホルトノキ(樹齢350年)、その左の建物が滝川公民館。
右奥のグリーンのお店がFunny Nanayamaです。横の橋は今も半分倒壊しています。
2023年7月10日に、佐賀県唐津市七山で大雨特別警報が発令。
土砂崩れで、県道や市道などが寸断されました。
土砂崩れで、県道や市道などが寸断されました。
この地が、映画にも使われました。
映画『傲慢と善良』 辻村深月原作 2023年最大のベストセラー小説の映画化
ボランティアに行ってからのシーンが七山で展開され重要なシーンとなっています。
Funny Nanayamaと災害支援ボランティアセンター(滝川公民館)がたっぷり登場します。
Funny Nanayamaと災害支援ボランティアセンター(滝川公民館)がたっぷり登場します。
2024/10のblog です https://kaz1001.asablo.jp/blog/2024/10/03/9721604
心地良い音楽が流れる COFFEE & JAZZ・ROCK FUNNY NANAYAMA
時々、無性に行きたくなるお店です
時々、無性に行きたくなるお店です
いつものコースで、那珂川を抜け、曲渕-三瀬峠-北山ダム北側-北天グリーンロード-
佐賀市と浜玉町を結ぶR323を走り、七山へ。
我が家からFunny Nanayamaまで、1時間15分くらい。
那珂川市を抜けると、数えるほどの信号しかありません。
青丸の三瀬村三瀬の交差点から唐津市七山、滝川の信号まで18.5km、約20分ほど 信号はありません。 快適なドライブコースです。
明けましておめでとうございます。 ― 2026-01-01
筑前國一之宮 住吉神社 「年越しの大祓」 - 福岡市博多区住吉3丁目 ― 2025-12-31
今年も恒例の 筑前國一之宮 住吉神社 「大晦(おおつもごり)の大祓」
今年一年が無事にすごせた事に感謝して、住吉神社にお礼へ。
清らかな心身で新年を迎えるため、「大祓式」に参列しました。
清らかな心身で新年を迎えるため、「大祓式」に参列しました。
三時より神事が始まります。
祝詞(のりと)が唱えられ、お祓いが行われたあと、参詣客は頂いた袋の中の
細かく切った紙、切幣(きりぬさ)を左・右・左と振りかける。
人形(ひとかた)で、身体の悪い部分を撫でて息を三回吹きかける。
これで自分に付いている穢れを祓い落とし、自分の穢れを人形に移して川に流していただきます。
祝詞(のりと)が唱えられ、お祓いが行われたあと、参詣客は頂いた袋の中の
細かく切った紙、切幣(きりぬさ)を左・右・左と振りかける。
人形(ひとかた)で、身体の悪い部分を撫でて息を三回吹きかける。
これで自分に付いている穢れを祓い落とし、自分の穢れを人形に移して川に流していただきます。
今年もありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。
神事の後で宮司からお話がありました
日々御本殿でご祈願祭や恒例祭典や神様に朝夕ご飯の度にたたいている太鼓が傷んで宮本卯之助商店という創業150年の会社に修理を依頼したところ、太鼓の中に凄いことが書いてあったそうです。
貝原益軒『筑前国続風土記』のなかにも、拝殿の前に御覧松なる大きな松があったと記されているそうです。江戸時代に御覧の松となれば、既に500年から600年たっているような松ではなかろうかと思われます。
で、御覧の松が昭和8年に寿命を迎えましたので、その胴、幹の部分をくり抜いて太鼓を作ったそうで、昭和10年の式年遷宮を奉祝する品として拵えられ、その際 黒田長重公、広田 弘毅、金子健太郎の連名が太鼓に記されていた。
殿様が見ても、天皇陛下が見ても素晴らしい松が枯れたので、その一部分を当社の太鼓として、残りの松を満州国の皇帝に献上されたということが太鼓の中に記されています。
それを書いたのが宮司の祖先で、住吉宮社家 横田神職の名前が記されていたそうです。
偶然、写真も見つかりご披露されました。
貝原益軒『筑前国続風土記』のなかにも、拝殿の前に御覧松なる大きな松があったと記されているそうです。江戸時代に御覧の松となれば、既に500年から600年たっているような松ではなかろうかと思われます。
で、御覧の松が昭和8年に寿命を迎えましたので、その胴、幹の部分をくり抜いて太鼓を作ったそうで、昭和10年の式年遷宮を奉祝する品として拵えられ、その際 黒田長重公、広田 弘毅、金子健太郎の連名が太鼓に記されていた。
殿様が見ても、天皇陛下が見ても素晴らしい松が枯れたので、その一部分を当社の太鼓として、残りの松を満州国の皇帝に献上されたということが太鼓の中に記されています。
それを書いたのが宮司の祖先で、住吉宮社家 横田神職の名前が記されていたそうです。
偶然、写真も見つかりご披露されました。
明治30年 住吉鳥居 御覧松
博腎会病院の横、那珂川沿いににあったそうです
中央の鳥居が現在の南門にある鳥居だそうです。大きさが伺えます。
博腎会病院の横、那珂川沿いににあったそうです
中央の鳥居が現在の南門にある鳥居だそうです。大きさが伺えます。




































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