長崎街道 (佐賀)-- 小田宿(江北)から塩田道(焼米宿・鳴瀬宿・塩田宿)2025-06-05

小田宿を出ると、北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道と
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。

    小田宿(江北)から



        JR江北駅 H22年までは、肥前山口駅でした。
                  (ちなみに、私の車のナビはまだ「肥前山口駅」と表示されます)
2022年9月23日の西九州新幹線開業に伴って、肥前山口駅から江北駅(こうほくえき)へ。
肥前山口駅の駅名標2枚を地元の地区と神社に寄贈した。
樹脂製の一枚が町役場の玄関に展示している。のを聞いて覗きに行きました。



          カンカン石

馬頭観音堂
        小田宿の中心部にある馬頭観音


小田宿の中心部にある馬頭観音は古くから知られていました。この馬頭観音像は奈良時代に小田を訪れた行基が大楠に彫ったという伝説が残っています。そばに観音堂も建てられ、文政9年(1826)にはシーボルトも立ち寄り、画家のフレネーフェに馬頭観音像の細密な写実画を描いてもらっています。残念ながら観音堂は嘉永4年(1851)に火災で焼失してしまいましたが、平成10年(1998)に地区の人たちの尽力で再建されています。なお大楠は街の天然記念物に指定されて、大事に守られています。



関川家住宅
          白壁のコントラストが鮮やかです。





         池園を楽しみにしてましたが、覗くとかなり荒れているみたいです



          長崎街道 小田宿

         国土交通省 九州地方整備局 佐賀国道事務所 提供のMapです




         焼米宿・追分

海童神社
長崎街道にある焼米池の西側、国道34号線の焼米池から六角川へ流れ込む川に架かる焼米橋のすぐ横に参道入口があり、一の鳥居が建っています。

        三の鳥居には「海童神社」扁額
         唐破風付き妻入りの切妻造りの拝殿。


         北方町の焼米池のほとりにある神社です。







追分観音堂 志久庵室】



         追分観音堂の十三仏    室町時代の永禄六地蔵塔



      追分交差点を左折すると、長崎街道の塩田道
        北方追分は長崎街道の塚崎道と、脇街道である塩田道の分岐点。
        江戸時代初期の長崎街道は塩田道が本道でしたが、度々の塩田川の氾濫で、
        北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道本道となったようです。








         鳴瀬橋交差点
        鳴瀬橋より塩田方面を望む

【鳴瀬宿】
        六地蔵塔と阿弥陀堂
       長崎街道鳴瀬宿跡



        浄土真宗・金峰山・西岸寺




        鳴瀬神社 一ノ鳥居   燈籠の上に狛犬がのってます
 


                    二ノ鳥居  肥前鳥居みたいです





         鳴瀬宿の街道 塩田道



          志田神社


         塩田津へ向かいます。





長崎街道塩田宿 「塩田津の街並み」― 佐賀県嬉野市 ―2025-06-05



小田宿(江北)を出ると、北方宿から塚崎宿を通り、嬉野宿を目指す本街道と
塩田方面から嬉野宿へ行く塩田道に分かれます。
江戸時代初期の開通時は、北方宿の手前で六角川に沿って南へ向かい、
塩田川を嬉野へと行く塩田道が本道でした。
                  国土交通省 九州地方整備局 佐賀国道事務所 提供のMapです

「塩田津の街並み」の入り口です。

川港塩田津と長崎街道塩田宿が交わる、歴史と文化のかおる町。

平成17年に伝建地区に選定された塩田津は、川港と長崎街道の宿場町です。中央を通る長崎街道沿いには白壁やかや葺きの建物、土蔵がひしめき、高台には寺社がひかえます。塩田石工による川沿いの石垣や恵比寿像も点在し、重厚かつ良好な伝統的な町並みを形作っています。


 円田家 土蔵
 保存計画番号 伝統的建造物群保存地区現状変更許可証が
各家屋に表示されています。 街を保存する姿勢が見えてきます。


       通りの入り口にあるお食事処「ひろせ屋」、
       今日は、清掃作業車が沢山走っています。(汲み取りも!(笑))


③鬼崎家
「居蔵造り」の大型町家で、19世紀初期にまで遡るふるい町家。
    趣のある軒下。大戸・くぐり戸もすてきです。


          旧検量所

磁器の原料となる天草石の集荷施設として1949(昭和24)年に建てられた旧検量所です。船で運んできた陶石を積み替えた車ごと、重さが量れる計測器や走行クレーンの跡が残っています。


④旧下村家  裏から失礼いたします。
      通り土間を裏から表へ抜けます。
塩田津の中で数少ない草葺民家で、1階は通り土間に沿って部屋が並び、
2階の船底天正は白漆喰仕上げとなっています。
         ④旧下村家
    大戸屋・くぐり戸。 擦り上げ戸が見れます。






                       右に通路を入ると本應寺に向かいます。


本應寺








                    ⑥江口家住宅
                    江口家は蓮池藩塩田御蔵の上納米を扱う商家で、
                    米屋の他に酒造や製陶業も営んでいたようです。



森家主屋と土蔵



長崎街道塩田宿 「塩田津の街並み」― 佐賀県嬉野市 ― 
        ①西岡家、②杉光家、③鬼﨑家、④旧下村家、⑤御蔵、⑥江口家
        ⑦吉富家、⑧小柳・田崎家、⑨西家、⑩旧向井家、⑪旧警防団屯所
        ⑫本應寺、⑬生連寺、⑭常在寺、⑮立傳寺、⑯上福天神





                                塩田津まちなみてらす・御蔵馬場


⑤御蔵
江戸時代(1603~1867)、嬉野地域で収穫された米は、出荷前に倉庫(大蔵)に保管されていました。 1813年にこの地域に5つの米蔵が建てられました





                        御蔵馬場



手前、尾形家~ 奥、西岡家。

                      手前、松尾家。
                      橋村家 2階の漆喰に「旅館 梅屋」とあります



①西岡家住宅
西岡家は、江戸中期ごろから廻船業や陶器販売などで財を成し地域屈指の豪商となりました。主屋は3年の歳月をかけ江戸末期の1855年(安政2年)に完成したものです。



②杉光家

大戸屋・くぐり戸。 擦り上げ戸。格子などが現役です。







         ⑯上福天神  参道入口の肥前鳥居



⑧小柳家・田崎家
大壁造り入母屋桟瓦ふき3階建てで塩田津最大級の居蔵造りである。


                       ⑦吉富家


⑨西家



香月家


                        ⑩旧向井家、 ⑪旧警防団屯所  ⑭常在寺





         「川港塩田津」が想像できます。


『重要伝統的建造物群保存地区』の”すごさ、美しさ”

塩田津は、かつて有明海の大きな干満による塩田川の水運と長崎街道の陸路が交差して賑わった「川港塩田津」と「長崎街道塩田宿」の二つの側面を見ることができる歴史と文化の町です。

2005(平成17)年「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された塩田津は、往時の町並みを保存すべく町並みの修理・修景が進み、江戸時代に確立された建築様式で 火災・風水害に強い白い漆喰に覆われた大型町家「居蔵家(いぐらや)」が建ち並ぶ重厚な町並みが特徴です。
                               by 佐賀県公式観光サイト あそぼーさが

駆け足で街並みを観て廻りました。
「重要伝統的建造物群保存地区」往時の町並みを保存すべく町並みの修理・修景が行われて守られているのが伝わります。