「和白塩田跡」 「新開築堤記念碑」 福岡市東区和白 塩浜地区2020-09-29



JR海ノ中道線と並行する県道59号線にある、西鉄バス「塩浜」バス停
JR海ノ中道線の向こうに広大な農地がひろがります。


県道59号線の塩浜三苫口交差点にある、JR海ノ中道線踏み切りを渡り和白干潟を目指すと
すぐ 福岡市塩浜ポンプ場。 すぐ横に 新開築堤記念碑(昭和34年建立)があります。


新開築堤記念碑 「下和白沖ノ畑より奈多宝塚に連なる延々二、五粁の築堤は 黒田藩士松本平内を吟味役 博多の侠商大山忠平 鳥羽屋七蔵 菊野屋貞次を御用達とし 中国の人長尾増平を総棟梁として 嘉永六年の四月に着工 その後六年の歳月を費し 安政五年の末に完成させる一大土木事業なり 是による干拓地三十一町歩は かつては塩田として和白塩の名声を馳せ 今日においては蔬菜園芸の興隆を招来せり 更に此の築堤の恩恵は 約二百五十町歩の農地を保全し 本町永世発展の礎となれり 依て茲に全町民感謝の誠を籠めてその業績を頌する」  
裏に、 昭和34年 和白町 建立 とあります。

この石碑の文面によると、「この塩浜地区の堤防は江戸時代(安政5年)に黒田藩によって築堤され、広い農地を保全した」 とあります。福岡藩は、製塩作業を奨励し、和白沖の海浜を利用して製塩を藩の事業としてい、広い塩田があったそうです。
堤防は現在は改築されて 塩浜海岸の遊歩道 奈多海岸の遊歩道に整備されています。
製塩が廃れ 塩田跡は、砂質の土壌を活かした白葱・玉葱・甘藷などの畑作地となっています。


         五丁川の河口から見た塩浜海岸。

         展望場所があります
         戦時中の水上飛行機の出入り場所だったらしいスロープがあります


          塩浜海岸の遊歩道

堤防は現在は改築されて、遊歩道が整備されています。 
和白干潟も満潮時は潮が上がります。この堤防がなかったら暴風雨、台風で、左側の農地などは相当な被害を受けるのでは。堤防の原型は江戸時代に築堤されたそうです。
(新開築堤記念碑の文面をご覧ください)






【雁ノ巣飛行場の水上機滑走台跡】 雁ノ巣レクレーションセンター出口付近
水上飛行機用のスロープ跡が残っています。
雁の巣飛行場は太平洋戦争時は航空隊が置かれ、戦後は米軍のプレディー飛行場となった。