斑鳩の里 法隆寺へ - 格安フェリーの旅 2日目 - ― 2023-05-27
旅の二日目は、斑鳩の里法隆寺と奈良へ。
通天閣を拝んで、JR新今宮駅へ向かいました。
JR新今宮駅―JR法隆寺駅

法隆寺着。バスの時間を見ると、あと35分!
徒歩で20分くらいらしい。 ぼちぼち歩いて法隆寺まで向かいました。
法隆寺が開かれたのは607年(女性天皇・推古天皇の時代)、推古天皇を補佐した聖徳太子(厩戸皇子)によって創建されました。670年にすべて焼失してしまいます。
7世紀後半~8世紀初頭に再建、その後さまざまな修繕が行われ今に至ります。
1993年、歴史的価値が認められ世界遺産に登録されました。
7世紀後半~8世紀初頭に再建、その後さまざまな修繕が行われ今に至ります。
1993年、歴史的価値が認められ世界遺産に登録されました。
南大門
法隆寺の玄関にあたる総門です。三間一戸の八脚門(やつあしもん)で現法隆寺建立時には中門前の石段上に立っていたが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
法隆寺の玄関にあたる総門です。三間一戸の八脚門(やつあしもん)で現法隆寺建立時には中門前の石段上に立っていたが、寺域の拡大により現在の場所に移されたと言われます。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
中門
南大門をくぐって正面に見えてくるのが中門(ちゅうもん)です。この門の先に、法隆寺の中核である西院伽藍が広がっています。軒が深く覆いかぶさり、正面が四間二戸と入口が二つある形が特徴です。
世界最古の木造建築「中門」を、伽藍の内側から見ました。
見どころはエンタシスの柱! 柱の真ん中やや下の方が一番太い形状の柱です。
見どころはエンタシスの柱! 柱の真ん中やや下の方が一番太い形状の柱です。
五重塔
法隆寺の五重塔は高さ32.5m、現存する日本最古の塔であると同時に金堂と共に世界最古の木造建築物です。 法隆寺の五重塔の相輪には、変わった部分があります。それは相輪に鎌がかけられていることです。
金堂
世界最古の木造建築、金堂(こんどう)です。飛鳥様式、最古の建物です。
卍崩しの高欄など、飛鳥時代の様式をよく反映しています。一見2階建てのようですが、2層目は外観だけで部屋はありません。四隅の柱に据えつけられた昇り龍と下り龍が見事です。
桂昌院燈籠
法隆寺境内の中央、最も目立つ場所に桂昌院燈籠といわれる大きな銅製の燈籠が建っている。
元禄7年(1694年)、法隆寺が大修理に際し、五代将軍綱吉の生母桂昌院から金400両、燈籠代として金50両、その他米200俵、水引などの寄進を受けつくられたのがこの桂昌院燈籠。
法隆寺境内の中央、最も目立つ場所に桂昌院燈籠といわれる大きな銅製の燈籠が建っている。
元禄7年(1694年)、法隆寺が大修理に際し、五代将軍綱吉の生母桂昌院から金400両、燈籠代として金50両、その他米200俵、水引などの寄進を受けつくられたのがこの桂昌院燈籠。
徳川家の三つ葉葵の紋章と桂昌院の養女先であった本庄家の九ツ目結紋の二つの紋章がついている。
いちばん左に、元禄七年甲戌十一月嘉辰 母儀桂昌院本庄氏 とある。
大講堂
西院伽藍の奥へ進むと、法要を営んだり、仏道を学ぶために使われた大講堂が見えてきます。平安中期に落雷のため焼け落ちたものの、正暦元年(990)に再建されました。
国宝の薬師三尊像
薬師三尊像中心の薬師如来座像は2.5mもの高さがあり、金堂の薬師如来よりもふっくらと丸みを帯びているのが特徴です。両隣には日光菩薩・月光菩薩とよばれる脇侍が控えています。
薬師三尊像中心の薬師如来座像は2.5mもの高さがあり、金堂の薬師如来よりもふっくらと丸みを帯びているのが特徴です。両隣には日光菩薩・月光菩薩とよばれる脇侍が控えています。
お堂の外から中をチラリ!
回廊
西院伽藍を囲む回廊、単廊式で、中門から奥の大講堂へとつながっています。
注目すべきは円柱です。よく見ると、柱の中央が膨らんでいるのがわかります。
西院伽藍を囲む回廊、単廊式で、中門から奥の大講堂へとつながっています。
注目すべきは円柱です。よく見ると、柱の中央が膨らんでいるのがわかります。
金堂と五重塔
聖霊院
聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。
聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。
東室・妻室
西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。
西院伽藍の東西には、それぞれ東室・西室という南北に長い建物があります。
この東室は東に位置する僧房で、法隆寺に住む僧が生活していた建物です。この建物の東側には、同じく僧房である小子房の妻室があります。
東大門へ向かい、東院伽藍へ。
東大門
西院の東大門をくぐると、広い参道の正面に東院伽藍が現われます
東院伽藍(とういんがらん)
739年に聖徳太子の斑鳩宮の故地の荒廃を嘆いた僧行信が、太子の威徳を偲んで上宮王院を創立したもので、平安時代に法隆寺の管理下に入り、東院と呼ばれるようになった。
739年に聖徳太子の斑鳩宮の故地の荒廃を嘆いた僧行信が、太子の威徳を偲んで上宮王院を創立したもので、平安時代に法隆寺の管理下に入り、東院と呼ばれるようになった。
東院四脚門
東院の西面に開かれた切妻造、本瓦葺の四脚門です。
(1185-1274)の建造で、東院西面の景観を形成し、少し離れて西から見れば、屋根越しに青銅製の宝形をのせた東院のシンボル・夢殿を望むことができます。
東院の西面に開かれた切妻造、本瓦葺の四脚門です。
(1185-1274)の建造で、東院西面の景観を形成し、少し離れて西から見れば、屋根越しに青銅製の宝形をのせた東院のシンボル・夢殿を望むことができます。
夢殿(国宝)
東院伽藍は聖徳太子の居住地であった斑鳩宮跡につくられたもので、夢殿は聖徳太子の供養のために建てられました。 日本最古の八角形の円堂です。
東院伽藍は聖徳太子の居住地であった斑鳩宮跡につくられたもので、夢殿は聖徳太子の供養のために建てられました。 日本最古の八角形の円堂です。
絵殿・舎利殿
この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。また、西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。
この建物の東側は舎利殿と呼ばれ、聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、そしてその掌中から出現したという舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。また、西側には聖徳太子一代の事跡を描いた障子絵が納められた絵殿があります。
東院鐘楼 中宮寺と刻まれた梵鐘が吊される鐘楼
この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされています。
この鐘楼は袴腰(はかまごし)と呼ばれる形式の鎌倉時代の建物で、内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされています。
法隆寺の西院伽藍、東院伽藍の散策が終わり、法隆寺駅までの道のりを訪ねると、やっぱり歩きしかないみたいデス。バスは1時間に1本くらいしかありません。
バス通りに出て駅に向かおうと信号待ちしていたら、西から97番の春日大社行きのバスが見えました。慌てて近くのバス停(中宮寺前)へ。間に合いました! 各停なので少し時間がかかりますが薬師寺まで乗ります。
世界遺産・薬師寺 - 格安フェリーの旅 2日目 ②- ― 2023-05-27
法隆寺から 奈良・西の京・斑鳩回遊ラインのバス 97番で、法隆寺から薬師寺へ。
休ケ岡八幡宮
寛平年間(889~898)に栄紹別当により大分県宇佐八幡宮から現在地に勧請されました。
現在の社殿は、慶長年間1603年豊臣秀頼により建てられたものです。
寛平年間(889~898)に栄紹別当により大分県宇佐八幡宮から現在地に勧請されました。
現在の社殿は、慶長年間1603年豊臣秀頼により建てられたものです。

薬師寺は、「法相宗(ほっそうしゅう)」の大本山です。
薬師寺は、天武9年(680年)に天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して建立した寺で、養老2年(718年)に飛鳥の藤原京から平城京に移されました。
薬師寺は、天武9年(680年)に天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して建立した寺で、養老2年(718年)に飛鳥の藤原京から平城京に移されました。
南門
南門は、薬師寺境内南正面に位置する門(四脚門、切妻造、本瓦葺)です。
室町時代後期の1512年(永正9年)に建築された門で、もとは薬師寺西院の門です。
南門は、薬師寺境内南正面に位置する門(四脚門、切妻造、本瓦葺)です。
室町時代後期の1512年(永正9年)に建築された門で、もとは薬師寺西院の門です。
中門
現在の中門は、昭和59年(1984年)に再建されたものであり、西塔などと同じくまだ比較的新しい雰囲気を感じさせる建築となっている。建築様式としては、三角形の棟が三つ設けられた「三棟造」と呼ばれるものとなっています。
現在の中門は、昭和59年(1984年)に再建されたものであり、西塔などと同じくまだ比較的新しい雰囲気を感じさせる建築となっている。建築様式としては、三角形の棟が三つ設けられた「三棟造」と呼ばれるものとなっています。
二天王像
二天王像は、いわゆる仁王像とは異なり、重厚な鎧などを身に着けた「武装」したお姿が特徴です。
安土桃山時代の享禄元年(1582)に発生した兵火によって焼失し、平成3年(1991年)に「二天王像」の復元も行われ現在は中門の東西にそれぞれ配置されています。
二天王像は、いわゆる仁王像とは異なり、重厚な鎧などを身に着けた「武装」したお姿が特徴です。
安土桃山時代の享禄元年(1582)に発生した兵火によって焼失し、平成3年(1991年)に「二天王像」の復元も行われ現在は中門の東西にそれぞれ配置されています。
西塔
昭和56年(1981)に再建された西塔は、金堂などと同じく朱色が目立つ華やかな外観で美しいコントラストをみせてくれます。
昭和56年(1981)に再建された西塔は、金堂などと同じく朱色が目立つ華やかな外観で美しいコントラストをみせてくれます。
東塔
東塔は創建時の唯一の建築で、天平2年(730)の建立と考えられている。
東塔は創建時の唯一の建築で、天平2年(730)の建立と考えられている。
金堂
金堂は、1528年に戦火に巻き込まれ焼失しました。その後豊臣家が本格的な再建に取りかかるはずでしたが、その豊臣家の滅亡によって400年近く仮堂のままの状態でした。
金堂の再建は歴代の薬師寺住職の悲願でしたが、1976年4月、ついに白鳳時代様式の本格的な金堂が復興したのです。
金堂は、1528年に戦火に巻き込まれ焼失しました。その後豊臣家が本格的な再建に取りかかるはずでしたが、その豊臣家の滅亡によって400年近く仮堂のままの状態でした。
金堂の再建は歴代の薬師寺住職の悲願でしたが、1976年4月、ついに白鳳時代様式の本格的な金堂が復興したのです。
薬師三尊像は焼失を免れ、今日に伝わっています。
本尊の「薬師如来像」は、脇侍(わきじ)に「日光菩薩像」と「月光菩薩像」が祀られています。日本の仏像彫刻の最高傑作のひとつ。
本尊の「薬師如来像」は、脇侍(わきじ)に「日光菩薩像」と「月光菩薩像」が祀られています。日本の仏像彫刻の最高傑作のひとつ。
大講堂
奈良の古寺では修学道場である講堂が建てられ、僧侶は仏教の教義について学び義論を重ねました。 薬師寺では、その大きさから大講堂と呼ばれています。
現在は、弥勒三尊像をお祀りし、法相唯識の道場として、最勝会や慈恩会など論義法会が行われています。
奈良の古寺では修学道場である講堂が建てられ、僧侶は仏教の教義について学び義論を重ねました。 薬師寺では、その大きさから大講堂と呼ばれています。
現在は、弥勒三尊像をお祀りし、法相唯識の道場として、最勝会や慈恩会など論義法会が行われています。
食堂
食堂(じきどう)内には、故平山郁夫画伯の弟子である田渕俊夫画伯が描いた御本尊・阿弥陀三尊浄土図を中心に全長50mにわたる美しい14面の壁画が内壁全体を荘厳する。
食堂(じきどう)内には、故平山郁夫画伯の弟子である田渕俊夫画伯が描いた御本尊・阿弥陀三尊浄土図を中心に全長50mにわたる美しい14面の壁画が内壁全体を荘厳する。
東僧房
東僧坊は、大講堂の北東に位置しています。新しい建物で、現在はお土産や参拝者の休憩所となっています。国宝薬師三尊像の薬師如来が座っておられる台座の文様のレプリカが見られます。
鐘楼
不動堂
薬師寺境内にある不動堂には、御本尊不動明王(平安時代)をはじめ役行者・蔵王権現等をお祀りし、護摩祈願・先祖供養を行っております
薬師寺境内にある不動堂には、御本尊不動明王(平安時代)をはじめ役行者・蔵王権現等をお祀りし、護摩祈願・先祖供養を行っております
薬師寺の北側の門である興楽門
【玄奘三蔵院伽藍】(げんじょうさんぞういんがらん)
薬師寺「玄奘三蔵院伽藍」は、「金堂」や「東塔」などがある「白鳳伽藍」の北側に広がる平成3年(1991年)に新築された真新しい伽藍です。
「玄奘三蔵」はいわゆる「三蔵法師」として「西遊記」などに登場する有名な古代中国の僧侶であり、その玄奘の弟子にあたる「慈恩大師基」と呼ばれる僧侶が開基した「法相宗」は日本ではこの薬師寺と興福寺が所属する宗派となってます。
「玄奘三蔵」はいわゆる「三蔵法師」として「西遊記」などに登場する有名な古代中国の僧侶であり、その玄奘の弟子にあたる「慈恩大師基」と呼ばれる僧侶が開基した「法相宗」は日本ではこの薬師寺と興福寺が所属する宗派となってます。
薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である
薬師寺は平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火で多くの建物を失った。
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である
薬師寺は平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものである。平城京の薬師寺は天禄4年(973年)の火災と享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火で多くの建物を失った。
現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。
金堂の内陣は鉄筋コンクリートとし、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建された。法隆寺専属の宮大工の西岡常一氏によれば、500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算とのことである。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。
金堂の内陣は鉄筋コンクリートとし、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建された。法隆寺専属の宮大工の西岡常一氏によれば、500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算とのことである。




































































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