天神中央公園を散策!! 「旧福岡県庁舎の名残り」 ― 2014-05-22
チョッと時間ができたのでので、天神公園を散歩。
イベント「A級グルメ大食覧会」準備でゴタゴタしてました。
この天神公園にあるベンチなどが旧福岡県庁舎の石材を再利用したものである。という記述を見たことがあり、カメラ片手に散歩しました。イベントのテントがいっぱいで東南側しか観れませんでした。
天神公園の南側にある、「噴水広場」。
どこかの門柱でしょうか? 立派なオブジェになってます。
うわさのベンチです。
ベンチとテーブルですが、加工も手間でしょうね。
鉄棒ですかね? 御影石??ピカピカですよ。
昔の写真か何かを見れば、何処にあったかわかるのでしょうね。
春日公園にも旧県庁舎に使われていた石がたくさん使われているそうです。
いつか訪問したいと思います。
噴水広場の裏にひっそりある石碑を発見。
「福岡藩刑場跡」の碑とあります。
どの時代のものか不明なのでネットで調べてみました。
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[福岡市中央区役所のHPより]
天神中央公園の一角に、福岡藩の刑場がその昔あったことを示す碑がひっそりと立っています。那珂川が近くに流れ、血などを洗い流すのに便利な場所だったため、この地に刑場があったといわれています。
昭和の初め、この地に福岡県知事公舎があったころ、僧侶の幽霊が出るとの噂が広がりました。時の大塚惟精(いせい)知事が調べてみたところ、江戸時代に空誉上人(くうよしょうにん)が処刑されていたことが分かりました。
早速、大塚知事は公舎の庭の隅に小祠を建て、手厚く供養しました。その名残がこの跡碑だと思われます。
その後、県庁が現在地の東公園に移転するまで、代々の知事は空誉上人が祭られている堂がある浄念寺にお参りをし、公舎を撤去する際には魂抜き(お祓い)をしました。
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東区 名島橋 と 名島川橋梁 ― 2014-05-22
「名島橋」親柱。 3号線 東側より福岡市内方面を望む。
東側上流側から市内を望む。左の架橋は臨港貨物線。
東側下流より市内方面。
東側下流より市内方面。長い長いコンテナが臨港線を・・・
西側上流側から名島方面を望む。右は臨港線。
西側上流側から、名島川橋梁。
大正期に建設された名島川橋梁、延長が210mにも及ぶ。
映っている列車は、一本向うのJR鹿児島線です。
JR鹿児島本線、上流東側より。
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遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など) -- 「土木遺産in九州」HPより--
現在のような車社会を予想し得なかった昭和8年に、両側の幅2.5mの歩道を含み橋幅が24.0m もある名島橋が建設されました(幅の広い理由として、当時は、飛行場代用施設として考えていたとか、電車を通す構想があったためなど様々な憶測が語られている橋でもあります)。
その白く輝く御影石に覆われたバルコニーを持つヨーロッパ風の7連のアーチは、力強く優美であり堂々とした風格を示しています。このようなデザインは新潟市の万代橋(1929年完成)にも見られます。
75年以上経った現在、一般国道3号として1日6万台以上の車が通行する橋であると共に福岡市民のシンボル的な存在として愛されています。
隣接して、上流に大正12年に架設された西鉄宮地岳線(現 貝塚線)名島川橋梁があります。
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名島神社 と 名島城跡 ― 2014-05-22
名島海岸
帆柱石
帆柱石。 ??万年前のカシ属の木の幹の化石(珪化木)
字が薄く読みつらいですが、わかりやすかったので・・・・
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名島檣石(なじまほばしらいし)
カシ属の幹の化石(珪化木)で、円柱状の石片が連続しています。名島の丘陵を形成する第三紀の地層中に露出したもので、時代は漸新世前期(約3700万年前)に属すると考えられています。
香椎宮の社伝によれば、神功皇后の三韓出兵の時に用いた船の帆柱が化石になったといい、近くの「まないた石」や「縁の石」の大石とともに伝えを偲ばせています。
福岡市教育委員会 案内板より
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名島海岸に面した鳥居。 長年の海風に耐えた姿が・・・・
名島神社 鳥居
名島神社 参道
名島神社 本殿
豊川稲荷神社、本殿の左すぐです。
本殿すぐ裏に名島城跡へ登る階段があります
大手石垣遺構とありましたが、福岡城築城のためほとんどの石が持っていかれたとのことで
遺構らしきものを見れませんでした。すこしの石垣?はありましたが・・・・
名島城の北西隅の突き出した曲輪上に築かれた隅櫓跡
名島神社のお隣に、弁財天。
縁 石
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名島運動公園管理事務所 HP 名島の歴史・地域紹介より
■名島神社
4世紀ごろ神功皇后は名島海岸より、三韓への遠征の折にこの地より宗像三女神を拝し、 遠征の無事を祈られました。
その結果、新羅を討ち、百済、高句麗を帰服させ無事に帰還できたことから、祈願成就のお礼として宗像三女を奉ったそうです。
その後、名島神社は武闘は神功皇后に纏わる由緒ある神社として、古来より、時の権力者が数多く参詣されています。
■名島城
名島城は元々立花鑑載が天文年間に立花城の出城として築いた城だそうです。
その後、天正15年、九州平定を終えた豊臣秀吉が小早川隆景に筑前、筑後、肥前の土地を与え、この小早川隆景が名島の地に水軍を活かせる海上を築きました。 豊臣秀吉も名島城築城に積極的に関わったと筑前国続風土記に記されています。
しかし、慶長5年の関ヶ原の戦いで徳川家が勝利を治め、名島城は黒田長政に与えられたのでした。
それからというもの、城下の地域が狭いことを嫌った長政は名島城のすべての資材を運び出し、福岡城を築きました。名島城は慶長7年、ついに廃城となってしまいました。
■帆柱石
名島が誇るこの帆柱石は、昭和9年5月に国の天然記念物に指定された樫属の桂化木です。
桂化木とは、土中に埋もれた樹木に桂酸がしみ込んで、木の組織と入れ替わり化石となったものです。
その昔、神功皇后三韓出兵の時の船の帆柱が化石になったという言い伝えもあるようです。
■縁 石
帆柱石のお話で触れた「神功皇后」ですが、日本書紀によれば、聡明にして美貌であり、不思議な霊感を持ち神託を告げる才能の持ち主だったとか。
この神功皇后が朝鮮半島から帰朝した際、ご懐妊なさっていたそうです。
そして、この石の上に腰を下ろし休まれた後、元気な子を産んだそうです。このことから、緑石に寄り添い祈ると安産になり、また縁遠き子女が祈れば良縁に巡り合う…と
云われるようになったそうです。
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