門司往還 小倉城下から大里宿 ― 2019-06-05
門司往還 小倉城下から大里宿(本土赤間関への渡海地)
門司往還は、常盤橋から、門司口門(小倉北区砂津川河口)を経て、大里宿(門司区大里本町)までの区間をいいます。多くの大名の参勤街道として活況を呈していました。
門司往還は、常盤橋から、門司口門(小倉北区砂津川河口)を経て、大里宿(門司区大里本町)までの区間をいいます。多くの大名の参勤街道として活況を呈していました。
小倉駅前 旧コレットを抜ける "参勤交代往還路"
"参勤交代往還路"案内板 旧コレット裏
岩松助左衛門の墓(西顕寺)
西顕寺から真っ直ぐに歩くと、突き当たりを左折し新砂津交差点を左に折れる。
砂津川沿いを歩き踏切りを渡り、カード下を右折、門司口橋で砂津川を渡る。
門司口門跡
貴布祢神社
岩松助左衛門生家跡
長浜閻魔堂
大里宿へ
門司港赤煉瓦プレイス・門司麦酒煉瓦館(帝国麦酒門司工場)
豊前大里宿絵図
豊前大里宿趾
長崎番所趾
人馬継所趾
御高札・南部屋跡
重松彦之丞屋敷趾
御番所趾
大里宿の街並み
昔のゴミ箱がありました。
大里村 庄屋石原宗祐屋敷趾
判行寺石碑趾 西生寺
“大里宿”について
慶長17年(1612)、冷水峠が開通して、長崎街道が短縮されたので、九州諸大名はこの路を参勤に利用するようになりました。筑前六宿はこの時成立しました。細川藩もこれに関連し、本土渡海の為に、短距離で潮の都合のよい大里を選び、ここに宿駅を設置したようです。
大里宿は九州最北部に位置し、上り赤間関には海上約一里半(5.9km)、下り小倉へは一里十九町十七間余(約6km)となる宿駅です。
宿駅は村の中央部を町区(田畑川と水無川の間)とし、両端を南北区とする、全長646mの街道沿いに軒を連ねた小さな宿駅でした。(北九州市観光協会HPより)
慶長17年(1612)、冷水峠が開通して、長崎街道が短縮されたので、九州諸大名はこの路を参勤に利用するようになりました。筑前六宿はこの時成立しました。細川藩もこれに関連し、本土渡海の為に、短距離で潮の都合のよい大里を選び、ここに宿駅を設置したようです。
大里宿は九州最北部に位置し、上り赤間関には海上約一里半(5.9km)、下り小倉へは一里十九町十七間余(約6km)となる宿駅です。
宿駅は村の中央部を町区(田畑川と水無川の間)とし、両端を南北区とする、全長646mの街道沿いに軒を連ねた小さな宿駅でした。(北九州市観光協会HPより)
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