玉名市 高瀬裏川、花しょうぶまつりと石橋 -- 高瀬裏川の桁橋群 ― 2014-06-01
高瀬裏川の桁橋群。手前より 土戸橋、酢屋橋、小崎橋、上町橋。
裏川より商店街に抜ける道。風情がありますね。
なつかしい「高瀬あめ」が並んでました。
奥の高瀬蔵にて物産展が開催されていました。
上町橋から登れます。
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天正16年(1588)加藤清正の肥後入国後、大河川の治水と渡し場、米の集散場設置のため河口を改修しました。菊池川、緑川、球磨川を選び、その河口の高瀨、八代、川尻の三河口をつくって、産業、経済、交通の中心をこれらの地に設定しました。
船着場周辺には菊地川流域の米の集積地として米蔵が設置され、城北産米の陸揚げと、積み出し船の発着場として整備が行われました。加藤氏の改易後、船着場は細川氏が受け継ぎ、堤防下の川岸に堅固な石畳と石垣を築き、間を切って米蔵へ通ずる石段と、米蔵より川へ通ずる石敷の坂道と川へ突出する石畳を設けました。上流の菊池、山鹿方面と玉名の一部から平田舟によって運ばれた米俵は上手の船着場より石段を登って蔵入され、蔵出し俵は「俵ごろばかし」と呼ばれる石敷の坂をころがして、停泊中の船へと積みこまれ大坂堂島の蔵屋敷へ納められた。流域からは年間25万俵が高瀬御蔵から積み出された米は「高瀬米」と呼ばれ大阪の米相場の基準となっていました。 (玉名市ホームページより)
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昭和55年以前はドブ川化していたのを緑化モデル地区として整備され「高瀬裏川水際緑地」
が完成したそうです。歴史と景観の保護に感謝です。






















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