宮地嶽神社 菖蒲まつり ― 福岡県福津市宮司元町 ― 2021-06-01
「江戸菖蒲初刈り神事」のニュースを見て、翌日訪れました。
宮地嶽神社では6月中旬まで「菖蒲まつり」が行なわれます。
期間中には、拝殿前に十万株の菖蒲を植栽し、神社一体が菖蒲園となります。
期間中には、拝殿前に十万株の菖蒲を植栽し、神社一体が菖蒲園となります。
江戸菖蒲
菖蒲は古くより厄除けに用いられたり、「尚武(しょうぶ)」に通じることから、端午の節句に飾ります。「菖蒲狩り」は梅雨の風流のひとつで、日本では800年以上前から栽培されていました。
花菖蒲は元来、江戸菖蒲・肥後菖蒲・伊勢菖蒲に分かれており、江戸菖蒲が最も原種に近い品種です。江戸時代、武家階級にその鑑賞が始まり、庶民の間に広まるにつれその品種の改良が行なわれ今日の隆盛をみています。伊勢菖蒲・肥後菖蒲に比べ、江戸系の菖蒲は植栽が難しいのですが、花は楚々として格別な貴品を漂わせています。
当社では、昭和40年、35種300株に増殖し、江戸菖蒲苑として開放いたしました。今日では、菖蒲苑だけで100種10万株の菖蒲を植栽しており、開花時には拝殿前にも移設し、大神様そして皆様方の目を楽しませてくれています。
また、5月31日の江戸菖蒲初刈り神事を皮切りに、6月中旬まで「菖蒲まつり」が開催されます。
(宮地嶽神社HPより)
菖蒲は古くより厄除けに用いられたり、「尚武(しょうぶ)」に通じることから、端午の節句に飾ります。「菖蒲狩り」は梅雨の風流のひとつで、日本では800年以上前から栽培されていました。
花菖蒲は元来、江戸菖蒲・肥後菖蒲・伊勢菖蒲に分かれており、江戸菖蒲が最も原種に近い品種です。江戸時代、武家階級にその鑑賞が始まり、庶民の間に広まるにつれその品種の改良が行なわれ今日の隆盛をみています。伊勢菖蒲・肥後菖蒲に比べ、江戸系の菖蒲は植栽が難しいのですが、花は楚々として格別な貴品を漂わせています。
当社では、昭和40年、35種300株に増殖し、江戸菖蒲苑として開放いたしました。今日では、菖蒲苑だけで100種10万株の菖蒲を植栽しており、開花時には拝殿前にも移設し、大神様そして皆様方の目を楽しませてくれています。
また、5月31日の江戸菖蒲初刈り神事を皮切りに、6月中旬まで「菖蒲まつり」が開催されます。
(宮地嶽神社HPより)
※ 2016年、年末の「おおしめ祭」の様子です ↓ ↓ ↓
ナカマル醤油醸造元神湊本店 ― 福岡県宗像市神湊 ― 2021-06-01
現人神社 ― 福岡県那珂川市仲3丁目 ― 2021-06-05
住吉三神を祀る日本最古の神社
現人神社は住吉神社の発祥地と言われます。
「祓いの神」「仕事運の神」として祈祷が行われてきました。
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
の住吉三神をお祭りする最古の神社と言われています。
現人神社は住吉神社の発祥地と言われます。
「祓いの神」「仕事運の神」として祈祷が行われてきました。
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
の住吉三神をお祭りする最古の神社と言われています。
那珂川市の指定文化財の鳥居
「この現人大明神の額は那珂川市の指定文化財で、この横にある那珂川市の指定文化財の鳥居に明治5年まで掛けられていました。」とあります。
現人神社の由緒
全国に二千余社ある住吉三神をお祀りする神社。
現人神社は、その住吉三神のルーツであり、最古の神社です。
はじまりは、世界が混沌としていた神話の時代。
世界を作りし男神・イザナギノミコトは、女神・イザナミノミコトが亡くなったことを嘆き悲しみ、黄泉の国(死んだ人がいく国)を訪ねます。しかし、女神・イザナミノミコトの体は腐って崩れており、男神・イザナギノミコトは怖くなって逃げだしました。
黄泉の国に行き死んだ人たちに触れてしまった穢れを祓うために、男神・イザナギノミコトが禊を行ったところ、三柱の神様が生まれました。この三柱、底筒男命・中筒男命・表筒男命のことを、「住吉三神」と呼びます。
この三神は穢れを祓う神様であり、また、 現世に人の姿で現れて、人々を導く神様として知られています。
神代の昔、イザナギノミコトは西隈の那珂川のほとりの立花木(現人神社のすぐそば)で禊を行ったと著名な国学者・青柳種信は、「筑前国続風土記拾遺」の中で考察しています。古代の海岸線は現在よりもかなり内陸に入れ込んでおり、弥生時代には福岡市内のほとんどが海中だったと九州大学名誉教授山崎光夫博士も唱えております。
これらのことから、イザナギノミコトが禊を行ったのは那珂川であり、住吉三神がうまれたのは現人神社のすぐ傍だったと理解できます。遙か昔から住吉三神は、この現人神社の地にお祀りされていました。
1800年前の仲哀天皇の御世に神功皇后が大陸遠征されたときには、住吉三神が「人の姿になって現れ」嵐をしずめ、水先案内をしました。嵐がしずまった海を渡り、無事に大陸遠征を果たした神功皇后は、神恩に感謝し、祈請(うけい)によって当地をお知りになりました。神功皇后は、「人として姿を現した」ことから住吉三神を「現人神」と呼び、那珂川の水を引いて神田を潤し五穀豊穣を祈念して、「現人大明神」の尊号を授けられました。 (現人神社HPより)
全国に二千余社ある住吉三神をお祀りする神社。
現人神社は、その住吉三神のルーツであり、最古の神社です。
はじまりは、世界が混沌としていた神話の時代。
世界を作りし男神・イザナギノミコトは、女神・イザナミノミコトが亡くなったことを嘆き悲しみ、黄泉の国(死んだ人がいく国)を訪ねます。しかし、女神・イザナミノミコトの体は腐って崩れており、男神・イザナギノミコトは怖くなって逃げだしました。
黄泉の国に行き死んだ人たちに触れてしまった穢れを祓うために、男神・イザナギノミコトが禊を行ったところ、三柱の神様が生まれました。この三柱、底筒男命・中筒男命・表筒男命のことを、「住吉三神」と呼びます。
この三神は穢れを祓う神様であり、また、 現世に人の姿で現れて、人々を導く神様として知られています。
神代の昔、イザナギノミコトは西隈の那珂川のほとりの立花木(現人神社のすぐそば)で禊を行ったと著名な国学者・青柳種信は、「筑前国続風土記拾遺」の中で考察しています。古代の海岸線は現在よりもかなり内陸に入れ込んでおり、弥生時代には福岡市内のほとんどが海中だったと九州大学名誉教授山崎光夫博士も唱えております。
これらのことから、イザナギノミコトが禊を行ったのは那珂川であり、住吉三神がうまれたのは現人神社のすぐ傍だったと理解できます。遙か昔から住吉三神は、この現人神社の地にお祀りされていました。
1800年前の仲哀天皇の御世に神功皇后が大陸遠征されたときには、住吉三神が「人の姿になって現れ」嵐をしずめ、水先案内をしました。嵐がしずまった海を渡り、無事に大陸遠征を果たした神功皇后は、神恩に感謝し、祈請(うけい)によって当地をお知りになりました。神功皇后は、「人として姿を現した」ことから住吉三神を「現人神」と呼び、那珂川の水を引いて神田を潤し五穀豊穣を祈念して、「現人大明神」の尊号を授けられました。 (現人神社HPより)
地禄神社
沢山の「かざぐるま」が飾り付けられています。
夏になると、願い結び風鈴が飾られるようです。
歴史ある巨大な神木
拝殿の横には巨大なご神木が見えます。
樹齢はなんとおよそ1000年なんだとか...
拝殿の横には巨大なご神木が見えます。
樹齢はなんとおよそ1000年なんだとか...
頂いたパンフをスキャンしました。
美奈宜神社(林田) ― 福岡県朝倉市林田 ― 2021-06-12
朝倉には、二つの「美奈宜神社」があります。
朝倉市の荷原(いないばる)地区にある、美奈宜神社(荷原)と
朝倉市の林田地区にある、美奈宜神社(林田) です。
先月、美奈宜神社(荷原)を訪れましたので、今回は、美奈宜神社(林田)へ。
甘木の中心部を南に、大分道をくぐりさらに筑後川方面へ、
朝倉市の荷原(いないばる)地区にある、美奈宜神社(荷原)と
朝倉市の林田地区にある、美奈宜神社(林田) です。
先月、美奈宜神社(荷原)を訪れましたので、今回は、美奈宜神社(林田)へ。
甘木の中心部を南に、大分道をくぐりさらに筑後川方面へ、
林田地区 蜷城(ひなしろ)小学校の 南に鎮座します。
美奈宜神社(林田) 朝倉市林田210
【ご祭神】
素戔嗚尊、大己貴命、事代主命
【概要】
延喜式に記載される式内社で、神功皇后攝政2年(202)の創立。
皇后新羅討征の帰路に放った白鷺が舞い降りたこの地に三神を祀ります。
羽白熊鷲を討つ折、磯良に命じ蜷(にな)の城を造ります。
【ご祭神】
素戔嗚尊、大己貴命、事代主命
【概要】
延喜式に記載される式内社で、神功皇后攝政2年(202)の創立。
皇后新羅討征の帰路に放った白鷺が舞い降りたこの地に三神を祀ります。
羽白熊鷲を討つ折、磯良に命じ蜷(にな)の城を造ります。
そのことから、この地を蜷城(ひなしろ)といいます。
朝倉市HPより
朝倉市HPより
一の鳥居 - - 元禄十七年(1704年)建立。
燈籠ですかね? 正徳三年九月(1713年)と記されています。
手水舎
注連柱
二の鳥居前の狛犬
二の鳥居と神門
神門
元禄十五年(1702年)、忠臣蔵討ち入りの年に修復建立。
元禄十五年(1702年)、忠臣蔵討ち入りの年に修復建立。
拝殿
拝殿前の狛犬
文政三年(1820年)建立。
文政三年(1820年)建立。
拝殿、本殿
本殿裏に、筑前式内社十一社を祀る石祠が並んでいます。
また白峯神社(崇徳天皇)や淡島明神などの末社もあります。
また白峯神社(崇徳天皇)や淡島明神などの末社もあります。
筑前国式内社の石祠群
白峯神社
何故か、朝青龍関の優勝額が伝承館の中にありました。
約100年振りに生まれ変わった社務所、2019年竣工だそうです。
もう一つの美奈宜神社 ↓ ↓
この後、三連水車に向かいました。
6月17日、水車が稼働します。水車の組み立て作業を見に行きました。
朝倉の揚水車群「三連水車」・「二連水車」組み立てのようす ― 2021-06-12
約230年前、自動回転式の重連水車が設置され、日本最古の実働する水車として全国的にも有名です。
平成2年には「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。
朝倉の揚水車群は、6月17日に水神社で「山田堰通水式」が行われ、稼働を開始します。
現在、朝倉市には菱野の「三連水車」・三島の「二連水車」・久重の「二連水車」の7基が、
現役で農地をうるおしています。
また、地元の職人によって水車は5年ごとに作り替えられ、その技術を継承しています。
天気が怪しいですが、今日あたり水車の組み立てがあるのではないか?と思い出かけました。
朝から、甘木の「美奈宜神社(林田)」を散策し12時前に到着。
三島の「二連水車」・久重の「二連水車」は、ほぼ作業が終わっていました。
平成2年には「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。
朝倉の揚水車群は、6月17日に水神社で「山田堰通水式」が行われ、稼働を開始します。
現在、朝倉市には菱野の「三連水車」・三島の「二連水車」・久重の「二連水車」の7基が、
現役で農地をうるおしています。
また、地元の職人によって水車は5年ごとに作り替えられ、その技術を継承しています。
天気が怪しいですが、今日あたり水車の組み立てがあるのではないか?と思い出かけました。
朝から、甘木の「美奈宜神社(林田)」を散策し12時前に到着。
三島の「二連水車」・久重の「二連水車」は、ほぼ作業が終わっていました。
久重の「二連水車」
今年(2021年)、新しく作られました。
朝から、羽根板と柄杓が竹のくさびで固定されたようです。
軸とスポークの構造を詳しく見ることができます。
柄杓の口に「水切り」と呼ばれるフタがあります。これが水の流出方向を自由に変えうまく桶に水を落とす仕組みになっているそうです。
あとで取り付けられるトイ
トイが組みあがり、17日の通水式を待つだけです。
三島の「二連水車」
今年(2021年)、新しく作られました。
3月中旬、小石原の帰りに組み立て作業に遭遇!
部品を繋ぐのは、竹で出来た杭
菱野の「三連水車」
昨年(2020年)新しくなりました。
水を受ける羽根板や、柄杓は取り外されている
羽根板や、柄杓がスタンバイです
菱野の「三連水車」は、14時くらいから作業が始まりました。
清めの塩が撒かれ、次にお酒が撒かれています。
外輪部に、端を薄く削った板を重ねて、日の脚の先端に溝を開け固定、輪を作っている
足元のロープは、板を水に浸けてあります。作業がしやすくなるよう、なるほどー。
この作業は毎年行われ、年数分 何層にもなるそうです。
羽根板が半分取り付けられました。
水を受ける柄杓を組み上げていく。
【名称】 朝倉の揚水車群 朝倉の揚水車群「三連水車」
【稼働期間】 例年 6月17日 から 10月中旬 まで(水稲作付期間)
【所在地】 朝倉市菱野(三連水車)
【概要】 約230年前、自動回転式の重連水車が設置され、日本最古の実働する水車として全国的にも有名です。
平成2年には「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。
朝倉の揚水車群は、6月17日に水神社で「山田堰通水式」が行われ、稼働を開始します。
当日は神事が行われ、その後、水神社境内地下にある水門が開門します。
【稼働期間】 例年 6月17日 から 10月中旬 まで(水稲作付期間)
【所在地】 朝倉市菱野(三連水車)
【概要】 約230年前、自動回転式の重連水車が設置され、日本最古の実働する水車として全国的にも有名です。
平成2年には「堀川用水」とともに国の史跡に指定されています。
朝倉の揚水車群は、6月17日に水神社で「山田堰通水式」が行われ、稼働を開始します。
当日は神事が行われ、その後、水神社境内地下にある水門が開門します。
15分ほどかけて約2km離れた水車群に水が到達し、水車が稼働します。



























































































最近のコメント