博多の町 -- 旧町名碑さがし (櫛田・冷泉界隈) 2014-09-06 ― 2014-09-07
博多の町を歩くと、旧町名と由来を書いた石柱を見かけます。
この石材は西鉄市内電車の敷石として使用されていた
ものです。と記してあります。
太宰府にも、旧字名の石柱が見られます。
今回は、同窓会の集まりで櫛田神社近くの「蕎麦むらた」に行く途中、
櫛田神社と冷泉界隈の旧町名碑をみて廻りました。
① 社家町(しゃけまち)
博多総鎮守 櫛田神社の社地で創建当時からの同宮の神主や巫女の家筋「社家」が代々住まっていた。櫛田裁縫女学校もこの町にあった。
② 大乗寺前町(だいじょうじまえまち)
律宗の大乗寺前芝居小屋宝玉舎があった。
ビルの名前にも・・・・・
旧大乗寺前町碑の正面に、はかた伝統工芸館。
③ 上厨子町(かみずしまち)
深見喜七鋳物工場(深見鴨金鋳造所)跡地(平成五年八月深見喜兵衛建立)
自販機の裏に隠れています。
④ 箔屋番(はくやのばん)
箔屋新左ヱ門がいた。博多鋏誕生の地。
ビルのエントランス右側に・・
⑤ 竹若番(たけわかばん)
博多織の祖、竹若藤兵衛の住居があった。
山笠最大難所の看板。
写真右奥の大博通りから入ってきて右折、一方通行逆走です。
⑥ 万行寺前町(まんぎょうじまえまち)
万行寺は初め普賢堂町に建てられたが、弘治三年(一五五七年)にこの地へ移転した時よりの町名は、寛文五年(一六六五年)に祇園町に再移転後もそのまま使われ続けた。
⑦ 赤間町(あかままち)
細工物師、宮大工など居住。狂歌名人 泥卯 こと坂本卯平も大工としてこの町にいた。
壽福院の入り口に町名碑があります。
⑧ 上小山町(かみおやままち)
日本の独楽の発祥の地。この界隈には寺院が多く建ち並び、その塀が長く続く様を博多の人は八丁塀と云った。
※ 本来、御供所界隈ですが、大博通り手前でしたので・・・
龍宮寺の前に碑があります。
今回、8本の旧町名碑を撮ることができました。
次回は、御供所界隈の残りを伺いたいと思います。

























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