岩屋城跡 ― 福岡県太宰府市観世音寺2022-06-03


 岩屋城は、四王寺山の中腹に築かれていた山城です。戦国時代の大友宗麟の家臣高橋紹運は、立花道雪らとともに斜陽の大友家を支え、1586(天正14)年、九州制覇を目指す島津氏4万の大軍に対して、岩屋城城主としてわずか700余名で籠城。援軍として豊臣秀吉の軍が九州に上陸するまでの時間を稼ぐため、最後の一兵まで苛烈に戦い抜き、紹運以下家臣全員が玉砕したと伝わります。
 本丸跡からは太宰府の街並みを一望できる絶好のビューポイントとなっています。また、道路を挟んで山道を下ると、当時の二の丸付近に紹運の墓があります。(太宰府市観光推進課HPより)






                   本丸跡から太宰府の街並みを望む。 左方向に九国博の屋根が見えます。
                   子孫によって建立された「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑





高橋紹運と勇士の墓へ向かいます

       本丸跡から、道路を挟んで山道を下ります。


       本丸の南西下にある高橋紹運と勇士の墓がある部分が二ノ丸とされる。


          高橋紹運の墓(右)と岩屋城の戦いの戦没者慰霊碑(左奥)



「高橋紹運」(たかはし・じょううん)について少し・・

豊後大友家の重臣であり、立花道雪の盟友であり、猛将立花宗茂の実父です。
  (名前が変わったり、養子にいったりややこしいですね。)
戦国時代の豊後大友家の重臣
  【豊後三老】
    立花道雪 、元々は戸次鑑連(道雪)
    臼杵鑑速(あきすみ)
    吉弘鑑理(あきただ)、子(高橋 紹運)、孫(立花 宗茂)

立花道雪より、高橋紹運の長男の高橋統虎を養子に請われたが、紹運も高橋統虎の資質に期待して最初は拒絶するも、
    "道雪殿と父が争うことになったならこの太刀で父を討て"
と言って一振りの脇差と共に高橋統虎を養子に出した。との話が有名ですね。
高橋統虎こそ、猛将立花宗茂です。(戸次道雪の娘、誾千代の婿養子となり立花山城主に。)


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