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櫻井神社・櫻井大神宮 福岡県糸島市志摩桜井2020-03-24

県の重要文化財であり、黒田家ゆかりの神社を訪れました。

周船寺から新しい道路ができて、九州大学、伊都キャンパスを抜け糸島の中心部へ向かいます。
昔は、志摩シーサイドへ良く通った道ですが、かなり様子が違っています。
でも、九大を過ぎて、(昔は左折のところが今は直進)ちょっと走ると昔のままです。
県道567号線を進み、二見が浦方面へ向かうと「櫻井神社1km」のサインが現れます。
そこを右折です。






          



桁に支えられた太鼓橋


          手水舎

           楼門




          楼門から望む拝殿

拝殿、中殿、本殿  奥が岩戸宮


豪華な装飾が施された、三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿



         岩戸宮

豪華な装飾が施された、三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿




③ 八神殿(はっしんでん)・須賀神社(すがじんじゃ)


④ 日子(ひこ)・楠(くすのき)神社   ⑤ 春日神社(かすがじんじゃ) 

⑦ 八幡宮(はちまんぐう)

⑧ 金比羅神社(ことひらじんじゃ) 

⑨ 二見が浦遥拝所(ふたみがうらようはいしょ)



櫻井神社
ご祭神:神直日神(かむなおひのかみ)・大直日神(おおなおひのかみ)・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、島岡大明神、八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)
当社ご創建の基は、慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現されました。それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は家臣を二回に渡り遣わして問われるに、その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、益々ご神威に感謝され、寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建され、現在もその当時の姿を留め本殿・拝殿・楼門は福岡県の重要文化財に指定されております。

三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿には豪華な装飾が施され、ほぼ同時期に建てられた拝殿、楼門(ろうもん)ともに「福岡県指定文化財」に指定されています。
                                      (櫻井神社HPより)


① 櫻井猿田彦神社(さくらいさるたひこじんじゃ) ② 塞の神(さいのかみ) 


           神楽殿

伊勢神宮から譲与された鳥居
鳥居は2013年伊勢神宮の「式年遷宮」で解体されたもの


          櫻井大神宮



櫻井大神宮
ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)豊受大御神(とようけのおおみかみ)
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、伊勢神宮の祀官橋本氏により、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮のご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いたことがご創祀であります。
内宮・外宮を一宇に合祀されたご本殿の千木は向かって右が水平切りで内宮(天照大御神)を現し、向かって左が垂直切りで外宮(豊受大御神)を現している当宮独自の建築様式であります。
当宮も伊勢神宮のご遷宮に倣い、宮地を2か所に定め、20年ごとに式年遷宮を執り行っておりましたが、第13回目にして止まり、現在の社殿は慶応二年(1866)のもので、150年近く経っております。

山中にある櫻井大神宮は、伊勢神宮と深い関わりを持ち、伊勢の内宮と外宮を一体化した神明造り(しんめいづくり)の社殿です。                (櫻井神社HPより)

           ご神木





【浦姫神社】  糸島市志摩桜井3315


浦姫伝説
 慶長十五年(西暦一六一〇年)のことです。糸島一帯が大暴風雨に襲われたとき桜井の三郎畑という小高い丘に大きな岩屋ができました。
 これを見ようと村人が大勢集まりました,その中の山伏が「神様の岩屋だから,人は出入りしてはならない」と厳かにいうと,人々は跪き拝むのでした。その人達の中に浦新左衛門毎治の妻女がいました。
 その夜妻女が眠りについていると,夢の中にその岩屋が現れ,その中に運ばれていきました。奥深いところで神々のお姿にふれ伏し拝みますとキラキラと輝く小石が飛んできて,顔に当たりました。夢から覚めた妻女は神のお告げのもと,五年の辛い修業を行い,正確な予言をするようになりました。その後,浦姫様と呼ばれ,評判は福岡の黒田忠之公にまで届きました。忠之公は,審議を確かめるため使者を遣わしましたが,「私には人の心など物事すべてがわかるのです」といって,使者の浦姫への疑念や城を出るときの様子などを,見透かしたように言い当てたのです。
 敬服した使者が福岡に戻り,忠之公に事の始終を報告しますと,忠之公はすっかり感心されました。その後黒田藩にお家騒動が起こり,幕府から呼び出されることになりました。忠之公は家老を江戸へ上らせたものの不安でならず,浦姫のもとへお忍びで行かれました。江戸の成り行きを尋ねますと,浦姫は庭にある榎の大木に登り,江戸の方を見つめ一心に思いを凝らします。しばらくすると,浦姫の心に江戸城の裁きの様子が映り,家老の明快な返答ぶりを教えてくれました。
 忠之公は,その信じられないような能力に驚かれ,後に浦姫の話が事実と少しも違わないことを知るとその信頼は益々深まり,難しい事が起こる度に相談されたということです。
 浦姫が登ったといわれる榎は枯れてしまいましたが,その古株から芽を出した若木は浦姫の生まれ変わりだと,長く言い伝えられてきました。











        筑前二見ヶ浦

昨年の大注連縄 掛け替えの様子です ↓ ↓
桜井二見ヶ浦の夫婦岩大注連縄掛祭 - 福岡県糸島市志摩桜井 ― 2019-05-04
        http://kaz1001.asablo.jp/blog/2019/05/04/9068547



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