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軍艦島(端島) クルーズ 上陸再開!!2020-03-09

”2019年9月23日より台風17号による損壊の為、供用停止となっておりました端島見学施設ですが、長崎市による復旧工事の完了検査が終了したため、2月21日より供用再開となりました。”  
2020年2月21日より、上陸再開!!の記事を見て早速訪れました。
昨年来た台風17号は、酷くて色んな場所を壊しました。半年間上陸できないのは流石にビックリです。
天気予報では、「晴れのちくもり 夕方雨」の予報。
なんとか行けるだろうと、3月9日予約を入れました。

午前便で、10:10集合、10:30出航~13:00頃まで・・
常盤2号桟橋から出発です。
軍艦島到着までは、客席よりガラス越しの撮影になります。



三菱重工長崎造船所
    造船の街、長崎の象徴「ジャイアント・カンチレバークレーン」



三菱長崎造船所 第三船渠     No.3 DOCK
   4年に亘り崖を削り、海を埋め立て、1905年に完成させた東洋最大のドックです。
   100年以上を経た今も現役ドックで、底や壁面の石垣も当時のものらしいです。






女神大橋  「斜張橋」(しゃちょうきょう)別名「ヴィーナスウィング」。




高鉾島  異国からの貿易船は、この島を長崎港に入る際の目印としていたそうです。



神の島教会と岬のマリア像
   船からではないと見れない景色です。

ここから、船はスピードアップ!
伊王島を結ぶ、伊王島大橋を通過。


長崎港から南西へ、およそ14.5㎞の沖合に浮かぶ高島。
   高島炭坑(北渓井坑跡)が世界遺産に登録された。



軍艦島のお隣の島「中ノ島」
   ここから、軍艦島周遊クルージング。 デッキからの撮影ができます。
いよいよ軍艦島周遊クルージング
   東側のドルフィン桟橋方面より、反時計回りに西側へと周遊します。









東側は、高波を防ぐ防波堤が・・、社宅も防波堤の役割をしたそうです。


軍艦「土佐」に似た軍艦島、北西より望む。



西南より望む。

いよいよドルフィン桟橋より上陸です。
見学通路のトンネルを抜け、見学広場に向かいます。




第2見学広場から
総合事務所・・・鉱山の中枢であったレンガ造りの建物。
この島の司令塔的存在で軍事機密があり、子供達は入れなかったそうです。

第二竪坑坑口桟橋跡
主力坑であった第二竪坑。鉱山施設は現在ほとんど崩壊していますが、かろうじて第二竪坑へ行くために設けられた桟橋への昇降階段部分が残っています。写真左の穴は、風呂があったそうです。


 岸壁はコンクリートの補強で覆われているため、岸壁の表面のコンクリートが崩落した部分からのみ、世界遺産である石組を見ることができます。


第3見学広場
30号棟・31号棟アパート
30号棟アパートは1916(大正5)年に建設され、当時の日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパートで、グラバーハウスと呼ばれているそうで、建築学会上大変貴重な建物です。が、保存対象ではなく倒壊の危険があるそうで、傾斜を検知するGPSが上の四隅に設置されているそうです。



プールの跡。



岸壁・・明治時代に建造された、「天川工法」と呼ばれる伝統的な石組で組まれた護岸。
     コンクリート補強されているのがわかる。


貯炭ベルトコンベアー
四角い枠がドミノのように立ち並んでいますが、この上にベルトコンベアーが乗っていました。




11:25頃上陸~12:05頃 ドルフィン桟橋出航。 40分ほどの上陸でした。


三菱重工香焼工場(こうやぎこうじょう)、通称100万トンドック

船の修理工場「小菅修船所」
日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグが小菅修船場です。
船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台(船架、現存しない)がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。


      「迎賓館」を港側より望む。


松が枝ターミナルにはクルーズ船がよく停泊しています。

駐車場は、森の駐車場(南)
昼間(午前8時から午後6時まで)  30分につき 2時間まで  50円  2時間越   150円
650円でした。

オランダ坂を散策して帰りました。

喫茶店 Carpe diem、カルペ・ディエム2020-03-10


長崎で軍艦島クルーズのあと、喫茶店で食事をしました。
お店の名前が気になり店主さんにお尋ねしました。

ラテン語: Carpe diem、カルペ・ディエム
古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句で、「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳されるそうです。
「Carpe」は、「(花などを)摘む」を意味する、「Diem」は「日」を意味する。
ラテン語で今を生きるっていう意味だそうです。
「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」とか・・・・

「日々是好日」のようなことですかね!

近くのオランダ坂を散策しました。




櫻井神社・櫻井大神宮 福岡県糸島市志摩桜井2020-03-24

県の重要文化財であり、黒田家ゆかりの神社を訪れました。

周船寺から新しい道路ができて、九州大学、伊都キャンパスを抜け糸島の中心部へ向かいます。
昔は、志摩シーサイドへ良く通った道ですが、かなり様子が違っています。
でも、九大を過ぎて、(昔は左折のところが今は直進)ちょっと走ると昔のままです。
県道567号線を進み、二見が浦方面へ向かうと「櫻井神社1km」のサインが現れます。
そこを右折です。






          



桁に支えられた太鼓橋


          手水舎

           楼門




          楼門から望む拝殿

拝殿、中殿、本殿  奥が岩戸宮


豪華な装飾が施された、三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿



         岩戸宮

豪華な装飾が施された、三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿




③ 八神殿(はっしんでん)・須賀神社(すがじんじゃ)


④ 日子(ひこ)・楠(くすのき)神社   ⑤ 春日神社(かすがじんじゃ) 

⑦ 八幡宮(はちまんぐう)

⑧ 金比羅神社(ことひらじんじゃ) 

⑨ 二見が浦遥拝所(ふたみがうらようはいしょ)



櫻井神社
ご祭神:神直日神(かむなおひのかみ)・大直日神(おおなおひのかみ)・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、島岡大明神、八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)
当社ご創建の基は、慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現されました。それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は家臣を二回に渡り遣わして問われるに、その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、益々ご神威に感謝され、寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建され、現在もその当時の姿を留め本殿・拝殿・楼門は福岡県の重要文化財に指定されております。

三間社流造(さんげんやしろながれづくり)の本殿には豪華な装飾が施され、ほぼ同時期に建てられた拝殿、楼門(ろうもん)ともに「福岡県指定文化財」に指定されています。
                                      (櫻井神社HPより)


① 櫻井猿田彦神社(さくらいさるたひこじんじゃ) ② 塞の神(さいのかみ) 


           神楽殿

伊勢神宮から譲与された鳥居
鳥居は2013年伊勢神宮の「式年遷宮」で解体されたもの


          櫻井大神宮



櫻井大神宮
ご祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)豊受大御神(とようけのおおみかみ)
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、伊勢神宮の祀官橋本氏により、伊勢神宮の内宮・外宮の両宮のご分霊を奉じさせ、ご鎮座頂いたことがご創祀であります。
内宮・外宮を一宇に合祀されたご本殿の千木は向かって右が水平切りで内宮(天照大御神)を現し、向かって左が垂直切りで外宮(豊受大御神)を現している当宮独自の建築様式であります。
当宮も伊勢神宮のご遷宮に倣い、宮地を2か所に定め、20年ごとに式年遷宮を執り行っておりましたが、第13回目にして止まり、現在の社殿は慶応二年(1866)のもので、150年近く経っております。

山中にある櫻井大神宮は、伊勢神宮と深い関わりを持ち、伊勢の内宮と外宮を一体化した神明造り(しんめいづくり)の社殿です。                (櫻井神社HPより)

           ご神木








        筑前二見ヶ浦

昨年の大注連縄 掛け替えの様子です ↓ ↓
桜井二見ヶ浦の夫婦岩大注連縄掛祭 - 福岡県糸島市志摩桜井 ― 2019-05-04
        http://kaz1001.asablo.jp/blog/2019/05/04/9068547