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南串山町棚畑(ジャガイモ畑) - 長崎県雲仙市南串山町2018-03-10

南串山町棚畑(ジャガイモ畑) - 長崎県雲仙市南串山町

数年前のメモに、
”雲仙市南串山町棚畑展望台”
”畑一面に「マルチ」と呼ばれる透明のビニールが”
”小豆島から移住した農民が開拓”
             で、検索して、雲仙市南串山町と南島原を訪れました。


長崎はじゃがいも出荷量 全国第2位なのです。(1位は北海道!)

試験場のある愛野から、南島原にかけて段々畑だらけ
広がる広大な段々畑。石垣ががっちりと固められ、圧巻。

この時期、畑にマルチと呼ばれる透明のビニールが張られます。
夕暮れ時は、夕日がマルチで反射し、辺り一面オレンジ色に染まるそうです。


・南串山町、大谷大橋より望む(地図の青色)
       対岸は、長崎市の東長崎あたりです。

                                            右上の半島が、国崎半島。





           神社の裏に、展望台があります。






展望台の東側、民家の奥の凄然とした棚畑が圧倒でした。


・地図の緑色の印方面に移動しました。








では、何故ここ長崎・島原がじゃがいも出荷量全国第2位なのか調べました。

ジャガイモは,今から400年ほど前に,オランダ船によって,長崎に伝えられたそうです。
北海道で栽培されている品種では,あたたかい地方では,たくさん収穫することはむずかしかったそうです。
1950年にこの試験場が愛野につくられ、1955年に、あたたかい気候に合うおいしい品種(ウンゼン・タチバナ)がつくりだされ島原半島でたくさん栽培されるようになったそうです。
その後も,県総合農林試験場愛野馬鈴薯支場でつくりだされた,新しい品種(ニシユタカ,普賢丸など)がたくさん栽培されるようになって,長崎県のジャガイモの収穫量が日本第2位にまでふえたそうです。



このあと、島原の乱でキリシタン農民が立てこもった事で有名な原城跡を訪れました。
棚畑(ジャガイモ畑)を訪れたきっかけは、以前こんな記事とつながったからでした。

島原の乱後の農民移住について
島原の乱では天草や島原半島の南部・西部は殆ど壊滅状態。
島原藩主として就任した高力摂津守は農民の居ない領地に困り果て
幕府に対し、西国の大名・九州の大名に石高に応じた百姓を天草や
島原移住させる様布告する様に依頼した。
乱後の農民の移住は小豆島からが一番多くよく知られてるが、
是に応じ長州毛利や薩摩の島津が領民の移住に応じた。


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