古羅漢・羅漢寺 - 大分県中津市本耶馬渓町跡田 ― 2017-11-15
古羅漢の景 ~ふるらかんのけい~
羅漢寺前に屏風を拡げたように、頂上に怪奇な岩峰や天然橋を持った高さ100mほどの丘が続いているのが古羅漢の景です。羅漢寺に入るには、この古羅漢の下のトンネルを通ります。
羅漢寺前に屏風を拡げたように、頂上に怪奇な岩峰や天然橋を持った高さ100mほどの丘が続いているのが古羅漢の景です。羅漢寺に入るには、この古羅漢の下のトンネルを通ります。
羅漢寺側から見たトンネル
中津を代表する古刹 羅漢寺
日本三大五百羅漢の一つである羅漢寺は、大化元年(645年)にインドの僧、法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされる古刹です。無漏窟(むろくつ)にある五百羅漢をはじめとして三千体以上の石仏があると言われています。室町幕府の三代将軍足利義満により建立されたと言われている山門など歴史的建造物も多く、見応え充分です。
戦国時代、大友宗麟(おおともそうりん)が領内寺院を邪宗として焼き払い羅漢寺もほとんどの伽藍(がらん)を焼失してしまいました。
寺は当初臨済宗でしたが、慶長5年(1600年)鉄村玄さくが来寺してから曹洞宗となりました。
(中津耶馬渓観光協会HPより)
日本三大五百羅漢の一つである羅漢寺は、大化元年(645年)にインドの僧、法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされる古刹です。無漏窟(むろくつ)にある五百羅漢をはじめとして三千体以上の石仏があると言われています。室町幕府の三代将軍足利義満により建立されたと言われている山門など歴史的建造物も多く、見応え充分です。
戦国時代、大友宗麟(おおともそうりん)が領内寺院を邪宗として焼き払い羅漢寺もほとんどの伽藍(がらん)を焼失してしまいました。
寺は当初臨済宗でしたが、慶長5年(1600年)鉄村玄さくが来寺してから曹洞宗となりました。
(中津耶馬渓観光協会HPより)
禅海堂(ぜんかいどう)
参道の入り口、リフト乗り場の手前に禅海堂があり、青の洞門を掘った禅海和尚のノミやツチ、遺品などが展示してあります。
参道の入り口、リフト乗り場の手前に禅海堂があり、青の洞門を掘った禅海和尚のノミやツチ、遺品などが展示してあります。
禅海和尚のノミやツチと、一字一石が書かれた石。
禅海堂より見る 古羅漢
観光リフトで羅漢寺へ
千体地蔵
山門
仁王門へ向かう下り。
仁王門
室町時代に建立され、門の天井には当時の将軍、足利義満より送られた 「羅漢護国禅寺」の扁額(へんがく:建物の表札)があります。
昭和十八年、羅漢寺の大火災の難を免れた貴重な建物です。
仁王門には、寛延四年(1751年)に建立された二体の仁王像があります。
(中津耶馬渓観光協会HPより)
室町時代に建立され、門の天井には当時の将軍、足利義満より送られた 「羅漢護国禅寺」の扁額(へんがく:建物の表札)があります。
昭和十八年、羅漢寺の大火災の難を免れた貴重な建物です。
仁王門には、寛延四年(1751年)に建立された二体の仁王像があります。
(中津耶馬渓観光協会HPより)
青の洞門・競秀峰 - 大分県中津市本耶馬渓町曽木 ― 2017-11-15
青の洞門・競秀峰
耶馬渓を代表する名勝で、山国川沿いに巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、その裾野には青の洞門があります。
耶馬渓を代表する名勝で、山国川沿いに巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、その裾野には青の洞門があります。
禅海和尚の像。
当時難所だった道を安全に通ることができるようにと禅海和尚がノミで掘り続けて造ったトンネルです。
寛延3年(1750)の第一期工事落成後、工事資金調達のために通行料を徴収していたため、この青の洞門は“日本初の有料道路”ではないかともいわれています。
青の洞門駐車場より望む。
山国川対岸の国道212号より競秀峰を望む。
※ 春に、耶馬溪の石橋をめぐりました。
青の洞門下流500mに、わが国唯一の美しい8連アーチの耶馬渓橋があります。
そのときのblogは ↓
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