簡単アクセスカウンター
アクセスカウンター

古都 秋月・雛めぐり - 朝倉市秋月2017-03-04


秋月の長屋門での野外ひな展示

古都秋月雛めぐり 昨年より開催されているらしい。ニュースを見て訪問。
今年も2月24日~3月5日まで長屋門にて野外雛展示を実施!
福岡県秋月の長屋門にて、9時~16時まで約300体の雛人形が並びます。










秋月眼鏡橋・秋月城跡 - 朝倉市秋月2017-03-04

古都秋月雛めぐりを見たあと、“筑前の小京都”と呼ばれる端正な町並みを散策。
眼鏡橋などを再訪しました。 


野鳥川に架かる目鏡橋
約200年の歴史がある県指定有形文化財。
花崗岩で出来たアーチ橋、1810年の架橋。









現在は垂裕神社の神門となっている「黒門」、もとは13世紀初めに秋月氏が築いた古処山城の裏門だったそうです。






瓦坂
城の大手門に続く道で、橋面は土が流れないように瓦を縦に敷き詰めてある。











那珂川町山田の初御代桜(ハツミヨザクラ)2017-03-08







初御代桜の由来は
安徳の花樹農家の指導で宮崎県から切り花用として植樹されたそうです。
昔は蜜柑畑だったそうで、斜面の段々がうまい具合に映りをよくしてます。
40年ほどまえに植樹されたそうですが、たいへん手入れが行き届いています。

私有地で地元の方が大切に育てていらっしゃいます。
裂田の溝の駐車場に車を停めて、徒歩2~3分です。

一昨年は、3月17日でかなり遅かったのですが、
今年は満開を見ることが出しました。
小雨の中、日が射すのを待ちました。



中津城 (日本三大水城) - 大分県中津市二ノ丁2017-03-11

大分県中津の城下町を散策しました。




中津城の歴史を簡単に
1587年(天正15年) - 黒田孝高(如水)、秀吉より豊前国6郡12万3000石を与えられる。馬ヶ岳城に入城。
1588年(天正16年) - 黒田孝高(如水)は、領地の中心である山国川河口に中津城の築城を始めた。
1600年(慶長5年)  - 黒田家は関ヶ原の長政の戦功により筑前52万石名島城に転封となり築城が中断される。
1600年(慶長5年)  - 細川忠興が豊前国と豊後国2郡39万石で入封。大修築を開始する。
1621年(元和7年)  - 扇形の縄張りに拡張され、中津城が完成。
1632年(寛永9年)   - 細川家の熊本藩転、小笠原長次が8万石で入封し事実上中津藩が成立。
1717年(享保2年)    奥平家第七代昌成公が中津十万石の領主として入城。
1871年(明治4年)    廃藩置県により中津城は廃城。小倉県中津支庁舎となる。
1964年(昭和39年)   旧藩主奥平家が中心となり、中津市民からの寄付も合わせて天守閣が建造された。

模擬天守です。
天守の存在については不明である。
中津城の天守等の絵図が残されてなく、山口の萩城の図を参考に作られたらしい。

内堀は当時のままらしく、水門より海水が入って潮の干満で水が増減する水城だそうです。
高松城、今治城とともに日本三大水城に数えられています。
石垣と、海近く河口に立つ姿は興味をそそります。



















                                                      下半分が、黒田の石垣




                                                     中津神社

西南役中津隊の碑

                                                      中津大神宮




        金比羅宮、鉄御門跡、城井神社
城井神社

                                                      奥平神社




天守内は、奥平家歴史資料館として公開されています。


                          天守最上階です

                          天守より、中津市街を望む

                          中津川、周防灘方面を望む














中津 寺町散策・福沢諭吉旧居 - 大分県中津市2017-03-11

大分県中津の城下町を散策しました。


福沢諭吉旧居
福沢諭吉が幼年期から青年期を過ごした住まいです。
旧居や彼が勉強したと言う土蔵の二階もそのまま残っており、記念館が隣接する。

3月に訪れましたので、お茶と雛飾りが・・・
天井の棚、福沢諭吉若年期の発明品です。





寶池山 西蓮寺
黒田孝高公が播州から豊前中津に入国の際に、弟の黒田市右衛門がともに中津に入り、寺町に西蓮寺を建立した。天保14年再建という本堂は歴史を感じさせる。





正壽山 浄安寺
小笠原長継公の菩提を弔うために、長男の小笠原政直が1640年(嘉永17)に建立したといわれています。





岡谷山浄蓮院 圓龍寺
小笠原長次公が播州龍野7万石から中津藩主として入国したとき、専誉上人を開山として開かれた。山門を入って左手に観音堂と閻魔堂がある。閻魔堂には、江戸時代の造立と思われる閻魔大王像が安置されている。








鏡智山 円応寺
開山は真誉上人見道大和尚。和尚は黒田氏に従って福岡に移り、同名の円応寺(現:福岡市中央区大手門)を開いた。
境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔がある。
寂玄上人(じゃくげんしょうにん)が禅問答の末に、カッパを仏道に入れ、その後お寺を火事や水難から守らせたと伝わっています。瓦に「水」の字がたくさんあります。







智光山 合元寺 [赤壁寺]
1587年(天正15年)黒田孝高(くろだよしたか)が建立した寺。黒田孝高の奸計(かんけい)で、宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)が討たれた時、合元寺に籠(こも)っていた家臣全員も討ち死。その返り血が幾度塗りかえても浮き出るため、壁を、赤く塗ったといわれています。





魚町の蛭子宮(おいべっさん)
魚町の蛭子宮は江戸時代に若松港の蛭子宮の御分霊を勧請したと伝えられ、祭典は12月3日にとり行なわれます。



旧中津城下町は、江戸時代に使われていた町名が現在でも残っています。