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桜島 黒神埋没鳥居 -- 鹿児島市黒神町(黒神中学校横)2015-09-17



垂水方面より桜島を望む。

                                      黒神町方面より桜島を望む。



黒神地区にあった「腹五社神社」の鳥居は、大正噴火後たった1日のうちに軽石や火山灰に埋め尽くされました。 もともと高さ3mあったという鳥居ですが、今は笠木部分の約1mを地上に見せるのみです。





桜島フェリー。
                                          桜島フェリーより。

石橋記念公園 -- 鹿児島市浜町2015-09-17


鹿児島県立石橋記念館



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石橋記念公園のプロフィール  (石橋記念公園 HPより)

鹿児島市の中心を流れる 甲突川 には、かつて上流から 玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋 の5つの大きなアーチ石橋が架かり、「甲突川の五石橋」として県民に親しまれてきました。
この五石橋は、江戸時代末期に城下整備の一環として架けられたもので、薩摩藩の財政改革の成功と肥後(熊本県)から招かれた名石工”岩永三五郎”によって架 橋が実現した歴史的所産です。また、主に中国から伝わった架橋技術が石垣伝統技術とも融合して独自の発展を遂げた、我が国を代表する石橋群で、創建以来 150年余の間、現役の橋として利用されてきました。

しかしながら、平成5年(1993)8月6日、市街地の約1万2千戸が浸水するなど大災害をもたらした集中豪雨による洪水で、五石橋のうち武之橋と新上 橋が流失してしまいました。
そこで残った3橋は、貴重な文化遺産として後世まで確実に残すため、河川改修に合わせて移設して保存することになりました。

移設復元工事は、文化財や土木工学等の専門家の指導、助言を得ながら、県が西田橋を、鹿児島市が高麗橋と玉江橋を行い、あわせて五石橋の歴史や技術等を伝える石橋記念館を整備して平成12年に石橋記念公園として開園しました。
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西田橋
記念館に一番近い場所にあるのが「西田橋」で、鹿児島城に最も近い場所にかけられ、参勤交代で藩主が利用する橋だったため5橋の中で最も費用を要した橋と言われている





                         西田橋御門


高麗橋
西田橋を渡り、稲荷川にかかった普通のコンクリート橋を渡って見えてくるのが「高麗橋」で、後に多くの倒幕志士を輩出した下級藩士が多く住んでいた加治屋町と高麗町を結んでいた橋であった。








肥後の名石工・岩永三五郎の像が建立されている。


玉江橋
一番海岸側に移築されているのが、実際には一番山側に架けられていた「玉江橋」で、残った3橋の中で最も建築当時の姿を残していると言われる。










「甲突川五石橋」の現存時の位置図。
新上橋(しんかんばし)、武之橋(たけのはし)は、1993年(平成5年)の鹿児島大水害(8・6水害)にて流出。
高麗橋(こうらいばし)・西田橋(にしだばし)・玉江橋(たまえばし)は、今回訪れた石橋記念公園に移設され雄姿を忍ばせています。

霧島神宮 -- 鹿児島県霧島市霧島田口2015-09-17


一の鳥居

三の鳥居

さざれ石

霧島神宮は霧島山の中腹の傾斜地に鎮座し、高千穂山頂に向かって社殿が配置されている。
本殿・弊殿・拝殿は大規模な複合社殿で、登廊下で達する一段高いところにあり、登廊下の下に勅使殿が建ち、この前方両側に門守神社が配置される。また登廊下の途中から西に廊下が出て、神饌所につながっている。

勅使殿

登廊下

東長庁

彫刻や絵様には時代の先取りの傾向が強くみとめられ、また本殿向拝柱の龍の彫刻の手法などがみられ、鹿児島地方の代表的な近世社寺建築である。


御神木の杉